106.シンガポール修学旅行 6
最終日の夜は少し特別だ。ディナーの後は少し長めの自由時間になるのだ。個室に行くことは不可だが、ホテルのマナーさえ外さなければ、どこで過ごしてもいい。紳士淑女として楽しむ分には何も言いませんよ、ということだ。
要するに、なんだ、あれだよあれ、リア充タイムってやつ。付き合ってる子たちは一緒に過ごすし、パリピはプールサイドでフォトジェニックナイトだ。
前回私はもちろん氷川くんと過ごした。ベストは本来なら特権でラウンジの個室を貸し切って小さな打ち上げを開く。しかし、私がわがまま言って抜けて来てもらったのだ。まぁ、ホテルのブランド店で買い物したくらいだったけど。
今回は誰からもお誘いはない。綱はもちろん、詩歌ちゃんも明香ちゃんも執行部の打ち上げだし、だからと言って八坂くんと過ごすのはご免だ。紫ちゃんは二階堂くんと過ごすだろうし、理子さんも芽衣さんもカレシと過ごすそうだ。最悪ボッチかもしれない。
ジャックが本気だったら今夜誘いもできたけれど、それも夢だった。っていうか、そうなってたら危なかったのだ。ひどい目にあったとは思うけど、ギリギリラッキーだったのかもしれない。気がついて良かった。
しかたがないから、たくさん撮った写真の整理でもしよう。忘れないうちに関連書籍を探しに行くのもいいかもしれない。ホテルのコンシェルジュに相談すれば、現地ならではの情報も貰えるかも。一人はちょっと寂しいけれど我慢できない事でもない。やることはいっぱいある。
小さくため息をつく。
「どうしたの?」
おめかしした理子さんに顔を覗かれた。
「ううん? ちょっと疲れちゃったかな」
「最終日だものね」
芽衣さんもすごく綺麗にしている。カレシと会えるウキウキが髪に光った天使の輪から零れ落ちている。
「そういう時は、格好だけでも上げていかなきゃ!」
理子さんに言われて、私も鏡の前に立った。皆のウキウキした空気を台無しにしたくない。
無駄になるかもしれないが、最後の夜のために理子さんに髪のアレンジを教えてもらい、頑張って整える。今日買ったバングルを腕に嵌め、香水を足首にちょっとだけ付けてみた。少し大人になった気分だ。
ホテルの部屋がノックされ、外に出てみると八坂くんがいた。
「姫奈ちゃん、ちょっとだけいい?」
異性の部屋に入ることは禁じられているので、私が廊下へと出る。
「なあに?」
「これ、履いてくれない?」
差し出されたのはビーズのサンダルだった。買うのを止めてしまった、カラフルなビーズの蝶々。ジャックのことを思い出して、胸がキュッと痛くなる。
「あんなことになって、渡すのもどうかな、と思ったんだけどさ……。蝶は幸運を運ぶモチーフなんだって聞いたから」
八坂くんは下を向いた。
あの日、あの時、すでに買ってきてくれていたのだろう。
まさか昨日の夜、私がこっぴどく振られるだなんて思いもしなかったに違いない。
「ありがとう。嬉しい。本当は欲しかったの」
あの時は意地を張って買うことができなかったけれど。今日沢山のお店を見ても同じものはどこにも売っていなかったのだ。
「よかった。絶対似合うと思ってた」
珍しくはにかむ八坂くん。なんだかんだと意地悪をするが、本当はとても優しいのだ。
シンプルなリトルブラックドレスに、ゴールドソールのサンダルが映えるだろう。
日本へ戻ったら何かお礼をしなくては。
「じゃあ、またあとで」
そう言うと八坂くんは部屋に戻っていった。フワリと香る残り香に、ローズを感じて少し変な気がした。八坂くんも昨日作った香水をつけたのだろう。なんだか、微妙に照れる。
同じローズを使ったはずなのに、八坂くんの香りは、晴れ渡る空にスラリと花開く一輪の薔薇を思わせる。私はバニラと合わせたせいなのか、朝もやの中の蕾みたいなのに不思議だ。
私も自分の部屋に戻ってビーズサンダルに履き替えた。
理子さんも芽衣さんも、あのお店で買ったビーズサンダルを履いている。三人でウフフと笑った。
班別でのディナーがつつがなく終わって、さて自由時間という時にホテルのスタッフから一通の手紙が渡された。
理子さんと芽衣さんが、キャと声を上げた。
「なにそれ?」
隣の席の三峯くんが聞いてくる。
「わからない……」
私もわからずに疑問符がいっぱいだ。真っ白なホテルの便箋。裏側には何も書いてない。封印がされているから、ここで開くべきではないのだろう。
「爆弾だったりしてね」
八坂くんが皮肉に笑う。
驚いて思わず手紙を落とせば、三峯くんが拾ってくれた。
「そんなわけないよ。こんなに薄っぺらだし。刃物の刃も入って無さそうだよ」
照明に透かして見てから、ニッコリ笑って私に渡してくれた。
「刃物の刃って……」
「薬物も入ってなさそうだったよ?」
「や、薬物!?」
受け取りながらも顔が引きつる。
「そんなわけないわよ。スタッフが相手の方をご存じのはずだもの」
芽衣さんの言葉に安心すれば、理子さんが笑った。
「この後のお誘いじゃない?」
「きっとそうよ」
理子さんと芽衣さんの言葉に顔がボッと赤くなる。
「やだ、そんなわけないわよ。心あたりがないもの」
期待する心と裏腹の言葉。勘違いだったら恥ずかしい。けれど本当だったら嬉しい。
誰にも誘われないとか、さすがに寂しいけれど、だからといって誘える相手もいないのだ。
神様がドSなの知ってる! 知ってるけれど、もうそろそろ、リア充イベントあっても良いと思うの! だってこのままじゃ、高校生になってもカレシいない感じになっちゃうと思うのよ! 綱には負け惜しみを言ったけど、やっぱりカレシは欲しいじゃない!!
ていうか、あれだけひどい目にあって、ちゃんと反省したのだから、たまにはご褒美ください! お願いします!
昨日の今日でいい加減懲りてくださいと、綱のため息が聞こえた気がした。いや違う。モテる人にはわからないだろうけれど、昨日の今日だからこそなのだ。リベンジというやつだ。
「で、行くの?」
三峯くんが興味津々に聞いてくる。
「まだ、誘われたって決まったわけじゃないもの」
「今開けちゃいなよ?」
「そんなのダメよ。相手の方にも失礼だわ」
きっぱりと答えれば、つまんない、と三峯くん。
「私は玩具ではなくってよ?」
軽く睨めば、肩をすくめられた。
「果たし状だったりして」
八坂くんが口をはさんでゾッとする。
「え……」
どうしよう。大黒さんからの呼び出しとかだったらどうしよう。
「まぁ、行きたくなかったら無視しなよ」
八坂くんが茶化す。
「そんなの悪いわ」
「果たし状でも?」
「……その場合は逃げるわ」
「あれ意外、逃げるの?」
「なにが意外なのよ! 私これでもお嬢様なんですからね?」
「しかもただのお嬢様じゃないよね。箱入りのお嬢様!」
八坂くんが茶化すように言えば、三峯くんもウンウンなんて頷く。
まったくもって二人は私を馬鹿にしているのだ。







