104.シンガポール修学旅行 4
ホテルに戻ってのディナーは、今回案内をしてくれた大学生との合同立食パーティーになっていた。
ワンピースに今日買ったクロサンをつけて会場へ向かう。理子さんと芽衣さんは新しいサンダルを早速下ろしていた。
会場には、立食パーティーが用意されていた。これもマナー研修の一環である。
会場で、氷川くんと綱と一緒になる。そこへ詩歌ちゃんと八坂くんが合流してきて、なんだかんだでいつものメンバーになった。紫ちゃんと二階堂くんも合流する。
お互いに今日の研修の報告をしながら、食事をとっているとジャックがやって来た。
『ヒナコ! 探したよ!』
『ジャック!』
探したという言葉に嬉しくなってしまう。
ジャックは私たちのグループをぐるりと見て、人懐っこい笑顔で微笑んだ。
『今日、アンジとヒナコの班を担当したジャックです』
ジャックが自己紹介すれば、皆も当り障りのない笑顔を返す。
『ヒナコ、元気なかったみたいだからちょっと心配しちゃったよ』
『ありがとう! ジャック』
心配そうな顔で覗き込まれる。ちょっと近いなと戸惑いつつ、私は笑って見せた。すると、ポンポンと頭を撫で、耳元で囁いた。
『八時になったらドアの外に来て。がんばり屋のヒナコにプレゼント用意したんだ』
バクンと胸が高鳴った。この人は私を見ていてくれる。頑張ってることを認めてくれる。
目を見開いてジャックを見れば、バチリと視線が絡み合う。ジャックはウインクすると、ヒラヒラと手を振って立ち去った。
ちょ! ちょ! ちょ! あれじゃない? ついに私もあれなんじゃない? 告白とかされちゃったりするんじゃない? 大学生の彼氏とか最高では? でも遠距離だわ! でもでもそう言うのが逆に愛を育てちゃったりするパターンよね? 海を挟んでロマンスとか! まるで映画みたいじゃない!!
「あれは何ですか」
綱が不愉快そうに顔を歪める。
「ただのハエ」
八坂くんの声が低くてギョッとした。
「そんな言い方ないじゃない。親切な人だったわ!」
「姫奈ちゃんだけにね」
私が特別扱いされるのが気に入らないのだ。バカみたいに僻んでる。そうにしか思えない。
「言い過ぎよ」
「姫奈ちゃんチョロすぎ、『かわいい』だなんて真に受けるなって言ったでしょ」
八坂くんの言葉に、綱が呆れたように追随する。
「姫奈、社交辞令ですよ」
「わかってるもん! 私はどうせブスですよっ!」
「そんなこと言ってない!」
「そうです。そんなことは誰も言っていません」
八坂くんと綱の言い草にムカムカとして、私は背を向けた。いつもは喧嘩ばかりの癖に、なんで私を責めるときばかり息がぴったりなのか。本当に仲良しだな! そうだ、綱なんて私なんかより、ずっと仲のいい友達がいっぱいいるのだ。
「もういいわ! 一人にして! ほっといて!」
もういい、一人でご飯を食べよう。喧嘩してご飯だとか、美味しい食べ物がまずくなる。
私はビュッフェコーナーへ一人で向かった。皆が顔を見合わせてため息をついている。
なんで私が悪者なの? あんな良い人を悪く言う八坂くんの方が悪いのに! 顔が良ければ性格が悪くても許されるわけ? そんなのズルくない?
追ってくるかと思ってちらりと綱を確認すれば、桝さんが話しかけているところだった。ああ、見なければ良かった。
何だか今日の料理は色がくすんで見えた。いつもの氷川系列だから料理が劣っているわけではないと思う。昼間の街が明るすぎたのか、刺激的な料理で感覚がマヒしてしまったのだろうか。
大好きなローストビーフも一人で食べると味気ない。
私は食事を早々に切り上げて、会場の外へ出た。
ジャックとの待ち合わせ時間には早すぎるけれど、髪を少し直してから戻ればいいと思ったのだ。綱なんかいなくても、私にはジャックがいる。
会場の外には、パーテーションがあり、その奥にソファーがひっそりと用意されている。
パーテーションの横を通りかかれば、聞き慣れた声が聞こえた。
今日沢山「かわいい」と言ってくれたジャックの声。早口で訛りのある独特の英語だ。
『ヒナコに本気なの? まだ子供だよ?』
自分の名前が聞こえて足を止めた。はしたないとは思いつつ、好奇心に負けてパーテーションの間から続きの言葉を盗み聞く。
だってだって! 本気なの? とか! そうよ! 私だって知りたいもん!
『だからだよ。子供でチョロい今がチャンスじゃないか。だって、ドレスにつけてるクロサン見たろ? あのくそ高いのを迷わず買ってた。それにあの子、ミツミネだけじゃなくヤサカやヒカワとも仲が良いんだ。どうせ当分会わないんだし、口説くくらい問題ない』
『ヒカワってあのヒカワ?』
『そう! このホテルだってヒカワが持ってるんだ!』
ジャックの屈託のない言葉を聞いて凍り付いた。
浮かれてたのは私ばっかり。八坂くんの言ったとおり、真に受けちゃいけなかった。私が可愛いわけなかった。欲しいのは私じゃなくて、私の持っている縁故のほうだ。
馬鹿みたいで可笑しくなる。唇を噛んで会場へ足を向ければ、そこには八坂くんが立っていた。
「笑っちゃうでしょ?」
惨めだ。一番見られたくない人に見られてしまった。
あの高慢な顔で笑い飛ばすに決まってる。馬鹿だって言えばいい。
八坂くんは怒った顔でツカツカと私に近づいてくる。私は身構えて、体を固くして一歩下がった。
八坂くんは長い腕を伸ばして、私の腕を乱暴にとるとそのまま引き寄せた。
「ちょっと! 八坂くん! 事務所に怒られるわよ!」
思わず声をあげれば、ギュウと頭を抱き締められた。顔が胸に圧迫されて苦しい。
「なんでこんな時まで僕のことなの」
くぐもった声が頭の上から響いた。なんで、八坂くんが泣きそうな声をしてるんだろう。
『アンジ? と……ヒナコ?』
ジャックの声が背中側から響いた。私たちの声を聴いて、パーテーションの向こうから出てきたのだろう。
思わず足が震える。あの人は、優しいふりをして私を騙そうとした人。体中が強張って、それなのに逃げ出したい。もう顔なんて見たくない。
『ヒナコはオレに会いに来たんでしょ? 離して?』
私を案じる優しいジャックの声。動揺して震えれば、八坂くんが腕に力を込めた。首さえ動かせない。
「黙ってて、背中に手を回して」
今は僕を信じて、八坂くんが小さな声で耳打ちをする。
私は震える手で、八坂くんの背に手を回した。
『……なんだよ、それ。何にも知らないお嬢様のふりして本当は』
『黙れよ!』
ジャックの言葉を、八坂くんが声を荒げて遮った。こんなふうに怒鳴るところ、初めて見る。
『お前が勝手に勘違いしただけだろ。姫奈ちゃんは「かわいい」だけの女じゃない』
私は八坂くんの背中をぎゅっと掴んだ。
『別に勘違いなんかしてないさ。そもそも、ヒナコなんかに興味はなかった。ムキになるなよ』
『彼女の価値がわからないなんてクソだな』
『ヤサカの物に手を出す気はないって言ってるんだ、これで満足だろ?』
せせら笑うようにして去っていくジャックの足音が響く。それを追うようにしてもう一つの足音が走った。
ドアの閉まる音がして、それを合図に私は八坂くんの背中から手を放した。八坂くんも腕の力を緩めてくれる。
胸を押して距離を取る。
「……ありがとう」
私は八坂くんにお礼を言った。きっと八坂くんは私を守ってくれたのだ。それに、ジャックに向けて言ってくれた言葉がうれしかった。
「八坂くんの忠告通りだったわね。私ばっかり浮かれてバカみたい」
八坂くんのおかげで、そう笑えるくらいには心が落ち着いていた。
「僕らの周りではよくあるんだ。ああいうことは」
「よくある?」
「誰かの名前目当てってこと」
その言葉にハッとした。
私も前世ではそうだった。氷川くんの肩書が欲しかった。彼のことを何にも知らずに、その肩書に惹かれたのだ。でもだって、それしか好きな人を選ぶ方法がわからなかった。お菓子を『××セレクション金賞』のあおりで選ぶように、中も見ず、私は氷川くんを望んだ。それなのに、自分は中身を見て欲しいだなんて、なんて傲慢なんだろう。
神様はみんな知っていて、こうやって罰を下す。私のやった罪を知らしめるのだ。
「だからあんまり気にしない方がいいよ」
八坂くんはそう言って慰めてくれた。その言葉が苦しい。前世の私はこんなにも酷いことをしていたのだ。
「そう、なの、ありがとう」
慰めてもらう価値もない私は、それだけ吐き出して俯いた。
シンとしてしまう。だけど、なんだか疲れてしまって上手い言葉が見つからない。心は落ち着いてはいるけれど、傷ついていないわけじゃない。それに過去の自分への罪深さに打ちのめされてもいた。
「あのさ、昼間、ゴメンね」
八坂くんに謝られて不思議に思う。
「真に受けるなって、言ったこと」
「ああ、あれ」
かわいいと言われて浮かれていた私に忠告してくれたのだった。それを私は無視をした。勝手に僻みだと決めつけて聞き流した。最低だ。
「真実だったじゃない。八坂くんが謝ることないわ」
「違うよ。姫奈ちゃんは可愛い」
「もういいの」
蒸し返してほしくない。私が一番わかってる。デブでなくてもブスなのだ。心が、こんなにもブスなのだ。慰めの言葉を素直に受け入れることもできない。
私は唇を噛んで俯いた。
「だって、姫奈ちゃんが……こんな簡単にとか、思わないじゃない」
「なにがよ」
「『かわいい』って言われるだけで喜ぶとか、思わない」
「……だって、言われたことなかったんだもの」
顔をあげて睨みつける。嫌な自分が止まらない。
「モテる人にはわからないでしょう? かわいいだなんて……あんな風に、言われたことなんかなかったんだもの。初めて、だったんだもの」
あんな風に男の人から可愛いと言われたことはなかった。婚約者だったはずの氷川くんでさえ、ただの一度も言わなかった。
だからそれを信じたかった。こんな私でも誰かにとっては可愛い女の子なのだと、そう思いたかったのだ。
「僕、何回も言ってるけど」
「八坂くんのは揶揄いじゃない。それくらいは私もわかるわ」
八坂くんは肩をすくめた。
「姫奈ちゃんは可愛いよ」
「嘘吐き」
軽く告げられる言葉を不機嫌に睨み付ければ、八坂くんはニコリと笑う。
「嘘じゃないよ。昨日、吊り橋で和親に腕を出した姫奈ちゃん。かっこよくてジャンヌ・ダルクみたいだった」
「ちょっと、盛りすぎよ」
「茶色い髪が日に透けて光るのが眩しかった」
「やだ、いつ見てたの?」
言われて顔が赤くなる。
「いっつも見てるよ。ちょっとしたことで赤くなる頬っぺは触ってみたいし、神秘的なグレーの瞳が、ご飯を見るとキラキラするのも可愛い」
イタリア男の真骨頂なのか、次々に繰り出される誉め言葉にタジタジになる。
「も、もういいからっ!」
「まだまだだよ? 選んでくれる食べ物は絶対に美味しいし、今日も一生懸命写真撮って勉強してたよね。そういうところは本当に素敵だし、僕は姫奈ちゃんが好きだよ」
「いい! もう、本当にいいから! あんまり優しくしないで! 私バカだから勘違いしちゃうわ」
弱り切っているところで、そんなに優しい言葉をもらったら自分を好きなんじゃないかと勘違いしてしまう。
皆に人気の八坂くんが、性格ブスが嫌いな八坂くんが、こんな私なんかを恋愛対象として好きになるはずないのに、だ。社交辞令とわかっていても、期待したくなってしまう。
「勘違いしていいよ」
「いやよ!」
「しちゃいなよ」
八坂くんが蜂蜜みたいに甘い笑顔で穏やかに微笑んだ。雑誌でも見たことのない、天使の魅惑な笑顔だ。どんだけかっこいいんだこの人。心拍数が急上昇して、顔がドンドン赤くなる。
「もう、そうやって! ダメなんだからね! 八坂くん、自分がどれだけ凶悪にカッコイイかわかってる? そんなこと軽々しく言ったら、本当にダメなんだからね!」
格好良いは凶器だ。八坂くんにすればただの慰めでも、慰めですまなくなったらどう責任をとるつもりだ。
顔を真っ赤にして涙目で言えば、八坂くんは満足そうに笑った。
「軽々しくなんて言ってないしー。姫奈ちゃんにしか言わないし」
「私にも言わなくていいですっ!」
「えー! ちょっとくらいいいじゃない」
「いやよ! 間違って好きになったらどうするの! 私、同担拒否なんだもの! 八坂くんみたいなモテモテの人、好きになったら地獄じゃない!」
「いいよ、地獄に堕ちちゃお?」
恐ろしく美しい微笑みで八坂くんが囁いた。これは悪魔だ。悪魔の囁きだ。堕天使ルシファーさながらの、天使で悪魔な囁きだ。
「あ、悪魔! 悪魔だわ!! これ以上近寄るの禁止!!」
「あはは、やっと姫奈ちゃんらしくなった」
私が後退りながら指でバリアを作れば、八坂くんは可笑しそうに笑う。慈しむように穏やかに光る瞳の色はまろやかな鼈甲飴だ。
「でも、わかった?」
「?」
「だから、簡単な『かわいい』に騙されないで」
簡単に騙されてしまった私を、八坂くんは心配してくれたのだ。こうやって揶揄って、私をいつもの私に戻してくれる優しい人。
「……ありがとう、心配かけてごめんなさい」
「ううん、そろそろ戻ろうか。今日も美味しいデザート選んでよ」
「そういえば、ラピス・サグがあったわ!」
「なにそれ」
「虹みたいで可愛いのよ! プランカンのお菓子でね、お餅みたいなんだって三峯くんが言ってたわ。私も食べたことないの」
二人で会場に戻り、みんなに合流した。桝さんはもう居なかった。
デザートを選んで、一緒に食べる。色とりどりの薄いお餅が重なって虹を作ったラピス・サグが、黒い皿の上でキラキラ光る。さっきの味気ない食事が嘘みたいだった。
「美味しいわ!」
そう言えば、詩歌ちゃんが安心したように笑った。







