102.シンガポール修学旅行 2
髪を整えたら出発である。初日は全体行動になっているので、ホテルの中庭に集まりバスで出発だ。
まずは博物館へと向かう。突き抜けた青い空に、真っ白なコロニアルスタイルの建物が映えている。シンガポールに来たんだと、しみじみと実感した。
博物館の中では、日本語のツアーガイドが付いて中を見学することになっていた。新しいこの国の暗い過去や、そこからの現在の発展に至るまでがわかるように展示されている。シンガポールの歴史を学ぶにはうってつけだ。しかし、日本の付けた傷跡も突きつけられて、観光気分だった気持ちが一気に引き締められた。
傷つけられても、なお、こんなに美しく成長できる姿に感動すら覚える。
博物館の見学を終えたら、途中で昼食のチキンライスをとり、午後からは植物園へ行く。大きな木を模した独特のタワーが何本も立っていて壮観だ。園内は自由行動だ。
理子さんと芽衣さんは早速彼氏の元へ行く。良いデートスポットに違いない。
私は羨ましそうにそれを見送った。さて彼氏のいない私は綱と歩こう。そう思ってクルリと見回せば、桝さんと隣り合う綱が見えた。
うそ……。
思わぬ姿にショックを受ける。
それならそうだと、先に言ってくれたらよかったのに、綱のバカ!
そう思ってギュッとこぶしを握り締める。
だが違う。当然のように綱と歩くと思っていて、確認も約束もしなかった自分が悪いのだ。考えればわかることだ。生徒会執行部になった綱は顔が広くなった。人気だってある。綱にだって一緒に歩きたい友達や女の子がいたって不思議ではない。いつまでも私のお守りばっかりしているわけではないのだ。
なんで思い付かなかったのだろう。桝さんと一緒にいることもショックだが、自分の想像力のなさにも愕然とする。
どうしよう。誰とも約束をしていない。ここへ来て、ひとりぼっちだ。
芙蓉学院の白いジャケットはこんなとき酷く残酷だ。誰からみても、私がひとりぼっちだとわかってしまう。恥ずかしくて、とても惨めだ。
誰か、混ぜてくれるグループはいないだろうか。詩歌ちゃんや明香ちゃんはどこだろう。
慌ててあたりを見回せば、にこやかな八坂くんと目が合った。
くわばらくわばら。いくらなんでも、八坂くんはヤバい。今後の生活を考えれば、今は辛くともボッチの方が安全だ。
そちらにはサッと目をそらす。
「姫奈ちゃん、あからさますぎ」
苦笑いと共にやってくるから、深ーくため息を吐いた。
「わかってるなら自重願います」
ボソッと呟く。
「え? 聞こえなーい?」
絶対聞こえてたでしょう!?
「デートしよ! デート!」
「嫌です。八坂くんと仲良くすると女子の視線が痛いんですよ?」
「だったら、僕はせっかくの修学旅行をひとりぼっち……」
シュンと俯かれ、罪悪感に胸が痛む。確かにそれは辛い。私だって独りは嫌だ。ジャケットを脱いで、目立たないようにすれば何とかなるかもしれない。そう思った瞬間。
「姫奈、一緒に回りましょう」
綱の声にハッと振り向く。私は嬉しかったのに、綱からは不機嫌なオーラが出ている。怖い。
「だーめ! 僕が先に誘った!」
八坂くんが私の腕をつかむ。
「ちょっと!」
咎めれば、八坂くんの腕を綱が手で払った。
「八坂くんは班別行動でずっと姫奈と一緒でしょう? たまには違う人と交流を深めた方がいいのでは?」
綱がニッコリ笑う。
「べっつにー? 生駒こそいつも姫奈ちゃんにベッタリでしょ? たまには違う人と歩いたら? 桝さんとか仲いいじゃん」
八坂くんの言葉がチクリと私に刺さる。
「あ、そ、そうね、桝さんは、いいの?」
ちらりと見れば、桝さんが一人でこちらを見ている。
「別に約束なんてしてないです」
「でも」
「私は姫奈と歩きたい。姫奈は?」
「私だって」
だって、寂しかったのだ。修学旅行が始まってから、いつもより話せていない。
生徒会でもある綱はいつだって忙しいのだ。みんなのために働く姿は凛々しいけれど、私は少し寂しかった。
「そしたら僕、ひとりぼっちだよ?」
八坂くんがあざといオネダリ顔付きで、もう一度腕を取れば、綱も珍しく私の手を引いた。
「ちょっと、二人とも!」
両方から引っ張られ腕が痛い。なんなんだ、すっごく子供だ。綱がこんなに子供っぽいのは珍しい。
「二人ともやめないか。姫奈子さんが困っている」
頭の上から声がふって来た。氷川くんだ。
「和親は関係ないだろ?」
八坂くんがブーたれながら、ヒシっと私の腕に縋りついた。綱は少しだけ手の力を弱めたけれど、それでも手を離さない。
「大岡裁きって知ってる?」
詩歌ちゃんだ。それを聞いて二人は慌てて手を離した。
「うーちゃん!」
私は自由になって詩歌ちゃんにハグをする。
「姫奈ちゃん一緒にまわりましょ?」
「ええ! 嬉しい! うーちゃんからお花の話をいっぱい聞きたいわ!」
そう言えば、詩歌ちゃんは顔を赤らめた。
「浅間さんが一歩リード、だね」
八坂くんが肩をすくめれば、氷川くんも綱も苦笑いをした。
「俺も一緒に行っても良いか?」
氷川くんが詩歌ちゃんに尋ねる。そりゃそうだよね。みんな詩歌ちゃんと行きたいに違いない。
「ええ、みんな一緒に行きましょう?」
詩歌ちゃんが柔らかく微笑む。自然に問題を解決してしまう。誰も嫌な思いをさせないそつない立ち回り。さすが、だ。
私たちは園内パンフレットを覗き込んだ。どこから見学しようか。タワーに昇るのは絶対だし、温室にだって行ってみたい。
他の子たちはどこからまわるのだろう。そう思って顔をあげたら、一人佇む桝さんが見えた。
まだ、ひとりぼっちだ。そこだけ暗い影が差しているように見える。まるで綱を軸にして、さっきの私と世界が反転したみたいだ。
前世の自分を思い出して心臓が重くなる。仲の良い取り巻きがいないとき、私も良く一人でポツンと立っていた。それが嫌で、チーム分けが発生する授業の時はズル休みをしていたのだ。そして出席日数が足りなくなった。
「ね、ねぇ、桝さんにも声かけていいかな?」
行き先を相談する皆に声をかける。みんな不思議そうな顔をして私を見た。
「姫奈ちゃん? 仲良いっけ?」
「ううん。 私、あまり話したことなくて、もしかしたら桝さんも嫌がるかもしれないけど」
「だったら別に良くない?」
八坂くんは本当に不思議そうにキョトンとした。
「でも一人みたいだから……」
「だが、そういう場合桝さんが一緒にいたい相手に声をかけるべきだと俺は思う」
氷川くんがきっぱりと言い切った。
「もうそろそろ自分の希望は自分で口にすべきだし、そういう努力が彼女には感じられない。いつまでも誰かに助けてもらって当然では彼女のためにならない。特に特定の誰かに依存することは良くないだろう」
正論すぎて胸に刺さる。私の前世もきっとそう思われていた。いいや、今の私だってさほど変わりはない。いつだって綱に助けてもらって当然で、綱に頼っている。そのことにすら、今日まで気が付かなかったのだ。
八坂くんも同意見のようで頷いた。綱は無表情だ。
「でも、そんなの、急にできないし、折角の修学旅行が辛いのはヤダわ。私服ならともかく、制服姿で海外で、ひとりぼっちなんてすごく目立つし……きっと悲しいわ」
自分の過ちがわかっていたって、そんなに急に直せない。そんなことは私が一番わかっている。やり直しをしている今でさえ、正解なんてわからなくて、スマートに友達一人誘うことができない。
依存していると突きつけられてなお、綱に頼っているのだ。私では桝さんに声をかけることすらできないくせに、桝さんを誘おうだなんて、おかしな話だ。
自分の行動が、いかにおかしなことか気が付いて俯いた。
「姫奈ちゃんは優しいのね」
詩歌ちゃんが笑った。
「そうじゃないわ。私だって八坂くんが声かけてくれなかったら、一人だったかもしれないもの。そう思ったら、なんだか、自分みたいで」
慌てて否定すれば、綱がため息をついた。そうだ、ただもう一つの自分の可能性を見たくない、過去の黒歴史を隠してしまいたい、ただそれだけで優しいわけじゃない。
綱を軸に世界を反転させてしまったのが私みたいでその罪悪感もあった。
「私は一緒でもかまわないけど、皆は?」
詩歌ちゃんが問えば、氷川くんと八坂くんは呆れたように肩をすくめた。
「まぁ、別に姫奈子さんがそうしたいなら俺は構わない」
「僕もいいけど、女の子ってめんどくさいね」
「わかりました。私が声をかけてきます。それでいいんですね?」
綱は少し怒っているように感じた。
「ごめんなさい。そうしてくれると助かるわ」
それから綱は桝さんを連れて来た。桝さんはとても緊張しているようで、俯いてばかりだ。私は綱との約束があったから、目礼だけして自らは声をかけなかった。
自然と、詩歌ちゃんと私、氷川くんと八坂くん、桝さんと綱みたいな形になって植物園の中を歩く。桝さんはゆっくり見学したいようで、少し私たち四人より遅れがちだ。私たちは時折立ち止まって、桝さんと綱を待ったりした。
詩歌ちゃんはいろいろな花を良く知っていて親切に教えてくれる。温かいシンガポールでは珍しい高山地帯の温室を見学し、木の形のタワーに昇る。タワーの間に張り巡らされた吊り橋は、下から想像していたよりもしっかりとしていた。しかし結構怖い。
思わず綱に頼ろうとして後ろを振り返れば、桝さんが不安そうな顔で綱を見上げていた。
「少し怖いな」
氷川くんに話しかけられ、ハッとする。
「氷川くんにも怖いものなんてあるんですね」
思わず笑ってしまう。いつだって堂々としていて、迷うことなんてなくて、怖いものなしだと思っていたからだ。
「俺を何だと思っている」
片眉をあげて私を軽く睨む。本気で怒っているわけじゃないとわかる。
「何でもできるスーパーヒーローだと思っていました」
「和親、高評価だね」
八坂くんが揶揄う。
氷川くんがムッとして八坂くんを睨んだ。
「確かに人前ではそうあるべきだと思っていたが、最近は少し思うところもある」
「私は良いと思いますよ? 高所恐怖症でも」
「別に高所恐怖症じゃない!」
私の言葉を氷川くんが慌てて否定する。それが可笑しい。
私は左手を自分の腰に当て、氷川くんに突き出した。エスコートする男性の様にピンと胸を張って、ワザとおどけて偉そうにしてみる。ビュウと風が吹いて髪が流れた。
「こうしておきますから、怖かったらいつでも掴んでいいですよ?」
こんな軽口、前世では絶対に言えなかった。
氷川くんも私に自分の気持ちを漏らしたことはほとんどなかったように思う。それとも、聞き漏らしていたのか、忘れてしまったのか。氷川くんが私に向けた言葉は、注意ばかりだった気がする。
氷川くんはキョトンと一瞬動きを止めた。しまった、失礼だったかと思った瞬間、気持ちがいいくらいの大声で笑いだした。
今度は私がギョッとする。
「これは……今日くらい高所恐怖症でもいいと思えるな」
氷川くんが笑えば、八坂くんも笑った。
「うん。僕も今日だけ高所恐怖症!」
「私も」
詩歌ちゃんはそう笑って、私の腕を取った。
さすがに男子二人は私の腕を取らなかったが、四人で身体を寄せ合い、笑いながら吊り橋を渡る。私の腕を取るには女の子の様に縋らなければならないのだから、恥ずかしくて絶対にしないとわかっていたから、こんな冗談が言えたのだ。
私を先頭に吊り橋を渡りきって、氷川くんが私を見た。
「いつでも頼れる手があるというのは、それだけで嬉しいものだな」
優しく微笑む姿は本当に珍しくて、バクバクと胸が音を立てた。
夕日に染まる大きな人工ツリー。虫取網のような影が落ちて、地上の人間を虫ケラのように捕らえる。私たちはこんなにもちっぽけだ。
遅れて合流した桝さんの耳は、夕焼けじゃなく真っ赤に染まっていた。
フォロワーさん100人&100話突破記念にアイスはんぶんこ名刺ssです。(Twitterしてなくても読めるはず)
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