1.ザマァされるのは私ですか?
私、白山姫奈子は茫然としていた。
何だか、やたらと汗をかく。暑い。左手のリングがむくんだ小指に食い込んだ。これ以上太ったら着けられないな、そしたらネックレスにしようなんて思う。
私は、芙蓉学院高等部の二年生である。先ほどまで、進路指導室で個人面談を受けていた。この先の進路についての指導だったのだが、正直。
ありえない……。
芙蓉学院は幼稚園から大学までエスカレーター方式の一貫校である。日本国内の実業家や名士たちの子供が通う、お金持ちのためのお坊ちゃんお嬢ちゃん学校だ。
選ばれたエリートたちは帝王学を学び、その他の凡人たちは金さえ払えば卒業できる、そんな学校。だからこそ受験して、幼等部、初等部と失敗して、やっと中等部から入学したのだ。それなのに。
『白山さん、あなたの成績では芙蓉学院の大学部へは進学はできません。どうしても芙蓉学院大学部に進みたいなら留年です』
そう言い切られたのだ。
私は憤慨して、ドアをピシャリとしめた。
ドアの向こうでは、私の家の使用人の子、生駒綱守が待っていた。綱は私の家にいる執事の息子で屋敷内に住んでいる。小さいころから、私のお守りのようなものだ。この学校のれっきとした生徒で、成績は私なんかよりずっといい特待生。
綱は、黒漆のような艶やかな少し長めの前髪は、真ん中で分けられている。その奥から覗く黒目がちな瞳で静かに私を見た。白い顔は能面のように無表情だ。
「聞いてよ! 綱! 馬鹿にしてるのよ! お父様に言いつけてやる!!」
綱に怒鳴り散らせば、迷惑そうな顔で私を見る。ちなみにこれは通常運転。失礼な奴だ。
「私のこと留年させるって言うのよ!」
「何度もそういったご指導を受けていましたよね?」
「だって、笑ってたし。ただの脅しでしょそんなの。だって、学校の給食は、お父様の会社で提供してるんだし! 寄付金だっていっぱい払ってるわ! ちょっとくらい成績が足りなくても」
「少しではありません」
「だってだって、なんで私ばっかり留年なの! 八坂くんだって学校に来てないじゃない!」
「八坂くんは特別です」
静かに綱が答える。使用人の子どもの癖に、コイツはいつでもそうなのだ。偉そうに口答えをする。疎ましい。
「それに留年か外部への受験か選べ、だなんて! 金の力を使っても芙蓉学院の大学部に進学できないとしたら、受験してどこかに潜り込むなんて無理に決まってるじゃない!」
「ご自覚はあるようですね」
綱は相変わらず毒舌だ。
でも。
私は小指のリングを見てにんまり笑った。
「でも、でも! 私には、和くんがいるから大丈夫! 進学できなかったらお嫁さんにしてもらうんだから!」
そう言えば、綱はげんなりとした顔で笑った。
「そう思い込んでいるのはお嬢様だけです」
嫌味が聞こえたが聞こえないふりをする。
私は気持ちを持ち直して、ドスルンドスルンと生徒会室へ向かった。
今日は和くんの誕生日。さっきは少し嫌なことがあったけど、婚約者の和くんを祝うのだ。
私は芙蓉館のドアを乱暴に開けた。芙蓉学院のエリートだけが出入りを許された貴賓館である。生徒会役員や特待生など、選ばれし生徒だけが芙蓉会という会に入会でき、胸に蓮のポケットチーフを付けた彼らは特権も持っていた。
和くんこと、氷川和親くんは、私の婚約者であり、氷川財閥の御曹司だ。清潔感のある刈り上げられた短めの髪は少し硬めだ。前髪はアシンメトリー。髪と同じコーヒー色の瞳に、キリリとした眉が男らしい。
運動神経抜群で、成績もよい。カリスマ性もあることから、二年生でありながら生徒会の副会長を務めている。ちょっと俺様なところが、将来トップに立つ人間らしくカッコイイ。無論、胸には蓮の花が咲き誇る芙蓉会のメンバーだ。
私と和くんは十三の時、婚約をした。その婚約指輪が、私の左手の小指に輝くリングだ。
グフフフ。
私を見て、嫌そうに顔をしかめたのは、和くんの親友、八坂晏司。コイツは、イタリア人貴族の流れをくむ父を持つハーフで、モデルをしているプレーボーイだ。ハーフだけあって、明るい明るい茶色の瞳。くせッ毛でくるくるとしている茶髪は、少し長めだ。
母親はエステを経営しているらしく美意識高い系。女なら誰彼構わず声をかけるくせに、私のことをいつも邪険に扱うのだ。
その理由は、きっとそう、和くんの隣で微笑んでいるあの女のせい。
浅間詩歌、あさましいかなんて名前からして笑えちゃう。真っ黒なおかっぱ髪の日本人形みたいなダッサイ女。華道のお家元だかの古い家系で、コイツがちょろちょろと私たちの邪魔をしてくるのだ。
誰にでも愛想を振りまくビッチだから、生徒会の皆が騙されて、私を邪険にするようになった。
生徒会長の淡島風雅先輩はそんな女に騙されず、私にも優しくしてくれる。有名な政治家を祖父に持つ彼は、心が広いのだ。今日も私が来ても見て見ぬふりをしてくれていた。シルバーの眼鏡の奥の瞳が優しい。真面目そうな七三分けの黒い前髪は少し長めだ。
「かぁずぅくーん、かえろー」
いつものように声をかければ、八坂くんがギロリと睨んだ。
「和親はまだ仕事があるんだよ」
表情と違って口調だけは優しい。
「えぇぇぇ、だって今日は和くんの誕生日だもん。私が優先でしょ」
答えれば、和くんが困ったように眉を八の字にする。
ね、和くんも姫奈と帰りたいよね?
「あ、私が後はやっておきますので……」
しおらしく言うのは浅間だ。そうやってポイント稼ぎをしているのだ。あさましい。
私はドカドカと中に入り、和くんの腕を取った。
「ねぇぇぇ、そーいってるよぉ」
その瞬間、パシリと手を振り払われた。
「ゴメン、姫奈子。俺はもう無理だ。婚約を解消してくれ」
突然の言葉に思考が止まる。
「……は?」
「君との婚約はもう限界だ」
「はぁぁぁぁ? その女に何を吹き込まれたの!」
「浅間さんは関係ない、君の……」
そう言って口を噤んだ。
「なによ! 私のせいにするつもり!!」
そう問えば、和くんは大きく息を吸った。
「君は不満が言えると思っているのか? 婚約指輪をするべきところにしていないくせに!」
グサリ、胸にヒットする。
「こ、これは、できなく……て」
「そんなの見ればわかる。君、婚約した時から何キロ太った」
質問じゃなく、非難だ。
「ちょっと、……三十キロくらい……かな?」
サバをよんで言ってみる。
「三十キロじゃすまないでしょうね」
横から八坂くんが嘲笑しながら突っ込んだ。
さすが美容系。じゃない!失礼だなおい!
「このままじゃ病気になると何度か忠告したはずだが? 定期健診も受けてないそうだな」
和くんが言った。以前から和くんから紹介された病院にはお世話になっていたが、食事制限や何やらで煩いので、最近は無視していたのだ。
その逆恨みでこんな公開処刑とは、……女心がわかって無い! 酷い! こんな人じゃなかったのに。全部あの女のせいだ!
「ふ、太ったからって婚約解消なんて酷い……。人を見た目で判断するような人じゃないって信じてるっ!」
涙目で訴える。太ったのが罪ならば、痩せればいいのではないか。別に婚約を解消するほどではないはずだ。
「見た目で判断なんてしていない……」
和くんは呆れたように呟いた。
「君は変わった。ブスになった」
ぐっさー。
「ブス……酷い。やっぱり見た目なんですね。ちょっとかわいい子がいれば簡単に目移りするのね」
「違う。正確に言えば、君は性格がブスになった」
和くんがきっぱりそう言えば、後ろの綱も使用人の癖にうんうんと頷いた。
「確かにブスだよね。性格ブス。僕、性格ブス地雷だから」
八坂くんは面白そうに笑っている。
「君が浅間さんに嫌がらせをしていると聞いた」
「どうせ、その女のねつ造でしょ!」
私は浅間を指さす。彼女は困ったように和くんの背に隠れた。
きぃぃぃ! ムカつく! これじゃ私が悪役みたいだ!!
「先日、彼女を川に突き落としたのは君らしいじゃないか」
確かに、学校内の小川に落とした。というか、振り向いた拍子に、お尻がちょっとぶつかっちゃっただけだ。自分のお尻の大きさを失念していた。俗にいう身の幅知らずだ。
それを大げさにふら付いて、勝手に小川に落ちたのだ。
「アレはワザとじゃないわ!」
「そうです! 白山さんはワザとじゃありません!」
浅間が私をわざとらしく庇う。そうやって自分の評価を上げてくる。
「しかし、謝罪もなかったと聞いたが?」
そう言われて口を噤む。確かに謝らなかった。だって私は悪くない。悪くないのになぜ謝らなきゃいけないのだ。
「何度言っても病院に行かない。人の忠告を聞き入れない」
むぐぐぐ……反論できない。
「そして、今日は進路指導……以前からよくあったみたいだが、成績不振だろう? 勉強する努力も見られない」
うううう……。
「こ、これから、痩せて、勉強して……」
「俺は何度も言った。でも君は聞き入れなかった。そして何度も、婚約解消の打診もしただろう? 隣に座るときに俺の手を踏んでいても気が付かないくらいだ。俺の声なんか届かないんだな。もうそんなのは我慢できない。今日限りで婚約を解消する」
「はぁ? どうせ、その女ができたから私が邪魔になっただけでしょ! それを私のせいにするなんてどうかしてるわ! 名前の通りあさましい女に騙されてるのよ!!」
怒鳴り散らせば、芙蓉会がシンとなった。
勝った。言ってやった。
背中の後ろで深い深ーいため息が聞こえた。使用人の子ども、綱だ。
「浅間の名前は、しいか、ではなく『うた』と読む。そんなことも知らなかったのか。中等部から一緒だったくせに。社交性を重視される氷川財閥の婚約者の適性を疑わざるを得ない」
がっかりしたと言わんばかりの和くんの声。
「和くん……」
「もう馴れ馴れしく呼ぶのはやめてくれ。白山さん」
ピシャリ、そう言われてオロオロとする。
助けを求めて生徒会長の顔を見れば、生徒会長はにっこりと微笑んだ。
やっぱりこの人だけは優しい。
「白山さん、婚約者じゃないなら部外者だからね。早く出て行って。それにお家に帰った方がいいよ。君のお父様の会社に過重労働撲滅特別対策班が立ち入り調査に入ったらしい」
生徒会長はそう言って、大きなテレビの電源を入れる。
午後の最新ニュース。テロップに流れるお父様の名前と顔。ブラック企業というセンセーショナルな煽り。こんなことって。
「昨日、白山フードサービスの株、売っておいてよかったよ。ほら暴落」
淡島先輩が優しい笑顔でにっこり笑い、タブレットを見せた。
白山家の関連企業が軒並み暴落している。
八坂くんが小さく、ザマァと嘲笑する。
和くん……いや、氷川くんも大きくため息をつく。
背中では綱が、困りましたね、と呟いた。
は? 私が? この私がザマァされるの?? まるで悪役令嬢じゃない!
浅間詩歌は、憐れむような顔で私を見た。
「あ、あの、困ったことがあったら相談してください」
はぁぁぁ? なんでアンタなんかに!!