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わが少年の日々のかがやき my brilliant boys days  生まれた家は跡形もない。 

作者: 舜風人

雪の降る日は

こんな異郷の地方都市の建売団地のマッチ箱住宅でも

一面が雪景色で

まるであの遠い遠い故郷の

昭和30年にタイムスリップしたみたいですよ。


年取ったせいでしょうか

無性に故郷が恋しくなる時があるんですよ。


ふるさと遠くこんな街でよそ者として朽ち果てなければならないんだろうか?

それが私の運命なのだろうか?

そう思うとやたらむなしさばかりが募ります。

ああ懐かしい故郷のおもいでは

雪の花のように舞い散り

限りなく灰色の空から落ちててくる、、。


私が生まれた家は、農家で天井もない,梁がむき出しの家でした。


藁葺だったのを屋根はトタンぶきに変えましたが、


家の建っている敷地は500坪もあったでしょうか?


裏庭には大きなクルミの木が2本ありました。


樹高はそうですね。10メートルくらいでしょうか。


母屋を樹勢が覆っていて涼しかったですね。


そのクルミの木に上って遊ぶのが少年時の楽しみの一つでした。


樹上に丸太を4本渡して、樹上生活を楽しむのです。


風は吹き渡り周りには雑木林が広がり爽快でしたね。


宅地のはずれは竹林でそこはスズメのお宿、


夜はそこにスズメがねぐらにしてましたね、


春は竹の子が出てあく抜きしては煮て食べました。


家の周りにはスモモ(プラム)イチジク、小梅、梅、桑、棗,茱萸などの樹木が茂っていました、


時期になるとそれらは実を着けて格好のおやつ(デザート)になりました。



完熟したスモモのあの甘酸っぱい味はいまも脳裏によみがえります。



イチジクも完熟するまで放置しますから


そこには甘い蜜を求めて大きなスズメバチが飛んで来たり


それをよけながら収穫した完熟イチジクの味はまたとろけるようでした。


また、口を、真青に染めながら食べた桑の実のあの、ほろ甘い懐かしい郷愁の味、


茱萸の木もあってその実もよく食べましたね、


ほんのりと、薄甘い淡白な味でしたね。


夏場はスイカ、メロン(といってもまくわ瓜ですが)なども出来て


食べましたね。


おもやから離れた別棟に風呂場があってそこは薪風呂でした、火吹竹で吹いて沸かします。



トイレも別棟です、


田舎の農家はみなそうでした。


夜など怖くてトイレに行くの難儀でしたね。


真っ暗で雑木林に夜風がそよと吹いてるんですから、


隣家は100メートルくらい離れてますし、


ほんとに山村でしたね。。


また母屋から離れたところには鶏小屋とヤギ小屋もありました。


我が家は豚や牛は飼っていませんでしたが、隣家ではそれも飼っていましたね。



ヤギは子ヤギを生ませてそれを売りまたヤギ乳を絞って売るのです、


ヤギ乳は濃厚で病人などのいるうちが買ってくれました、


ヤギ乳を絞るのは母の仕事でした。


絞ったヤギ乳はろ過し、煮て殺菌します、それを覚ましてサイダー瓶に詰めて


契約している家に売るのですね。


良い現金収入になりました。


卵は自宅消費用でした。

鶏の10羽くらいしかいませんでしたしね。


放し飼いで勝手に庭のミミズや雑草を食べて生活していました。


それでも毎日のように卵を産んでくれてそれを食べるのです。


当時の農家の食事といっても畑で採れたキュウリナスジャガイモネギ大根、ホウレンソウなどを


食べるだけで今のようにスーパーで買って食べるなんてありえませんでした。


まさに自給自足ですね。


猫と犬もいました。


猫も昔の猫ですから自分でネズミをとって生きてました。


それだけでは足りないので「ねこまんま」も与えていましたね。


犬はつながれてるので「いぬまんま」を与えていましたが。


もちろん、ドッグフードなんてありませんから


ご飯にカツ節です、


あとはたまにさんまの骨くらいですね。


それでも病気もせず結構長生きしてましたね、


それを想うと今の犬猫はぜいたくすぎるでしょうか?



まあ日本全体がまだ貧しい時代でしたから


人間だってろくなもの食べてませんでしたからね。



特に田舎では自給自足ですから。


こんなもんでしょう



飲み物はきりりと冷えた井戸水がうまかったです。


まさにテンネンミネラルウオーターです。


しかも井戸水は一年中水温18度くらいです、


夏はひんやりとうまいです。



そんな我が家も


やがて私が大学に行くので離れて


とうとう帰れずに他県で就職し、そこで結婚し、建売住宅も買って気が付けば30年がたっていましたね。


わが生家も、やがて父が死に、そのあとは


こちらに呼び寄せた母も1週間もいると、


『回り中ごみごみと家が密集していて息が詰まる」と言い残して


さっさと田舎にに帰ってしまいました。


その後母はその家を一人で守って父の死後17年後に


亡くなりました。


そして、生家は誰も住むこともなく空き家に、


私も仕事でこちらに住んでいるので生家に住めませんし、


草生す荒れ家にと任されたのです。


そして母が亡くなって10年後、


とうとう売ることになりました。


私も生家に帰ることも無理だったので、仕方ない選択でした。


あの雑木林に囲まれたわが生家も


今では新興住宅地へと変貌しています、


売られた生家は取り壊されて


きれいに整地されて5区画に仕切られ


宅建業者が売り出してその後、


なんと5軒の真新しい家が建っているようです。


時代は変わり、人も変わりますから


やむをえませんね。



私が生家に今更帰っても住む気になりません。


生家を離れて40年、今さら返っても浦島太郎です。


知ってる人も誰もいません。






今やこの今の建売住宅が私の故郷なのですね?


その私も今や老いぼれて


やがて亡くなれば


この家もどうなることやら。



まあ流れるままに


なるがままに


なっていくんでしょう。


それでいいんですよね?








お知らせ


「わが少年の日々のかがやき」というシリーズものを、すべてお読みになりたい場合には、「小説家になろう」サイトのトップページにある「小説検索」の欄に、読みたい連作シリーズ作品群の共通タイトル名である「わが少年の日々のかがやき」を入力して検索すれば、全作品が表示されますので、たやすくお読みになれます。

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