8 ◆ オルヴァ
8 ◆ オルヴァ
次の日、私は朝から勉強部屋に閉じ込められた。朝食は部屋に運び込まれて、食べ終わるとさっさと身支度をさせられ、鼠でも抜け出す隙をつくるまいという意気込みのハンスに勉強部屋へ連行された。昨夜のあの怪しげな異邦人の話は私を浮き足立たせていたけれど、今日のところはおとなしく勉強をしなければならない。進行が遅れるのは私も避けたかったし、ハンスや家庭教師にすまないという気持ちもあった。
昼食までの間にとりあえず昨日サボった分と今日やる予定の殆どの部分を済ませることが出来た。駆け足だったのでちゃんと頭に入っているか疑問だったけれど、とりあえずハンスは満足してくれたようだった。だから午後の休憩のときに父上の使いが来て、私が呼び出されても渋い顔はしなかった。
弓場に行くと父上とオルヴァが待っていた。
「やあ、来たな!」
私が姿を現すと、父上は右手を上げて手招きした。
「こんにちは父上」
「こんにちは。今日は勉強部屋に閉じこもっていたそうじゃないか」
私は首をすくめた。
「ちょうど面白いところだったんです」
「ほう!」
父上はにやりと笑った。そこへ衛兵長のオルヴァが私の弓具を持って近づいてきた。
「こんにちは若様。父君に日々の鍛錬の成果を見せるときです」
私はオルヴァの差し出す装具を受け取った。
「こんにちは、ありがとうオルヴァ」
衛兵長は口をぎゅっと結んで長い眉を寄せたまま頷いた。苦いものでもかんでいるような表情だが、彼はいつもこうだ。
「身体にあった弓のほうがいいのかな? 大人の弓はまだ早いか?」
オルヴァから私の弓を受け取って父上はそれを検分しながら言った。
「もちろん、身体にあった弓をお使いになられるのが一番です」
「ふむ……」
「もしも通常兵士が使う大きさの弓を使っていただくようになさりたいのなら、それは無理というわけではありません」
「ほう?」
父上は関心を示したようだった。
「弓は調整しだいでどんな者でも扱えるようになる武器です」
「ふむ」
「しかしそれは動かない的を射るのであればということで、的もこちらも動きながら扱うとなれば身体に合った、射る力と取り回しの自在さを良きところで折衝した調整が必要となります」
「ふむ……」
父上は顎に手を当てて少し考えこんだ。それから私に弓を渡して言った。
「何手か射てみよ」
「はい」
私はその手になじんだ弓を少し緊張して受け取った。
しかし射場の立ち位置にしっかりと脚を据えて的に目をやると、緊張はすぅっとどこかへ消えてしまった。私と的の間に何も無いつながりができたように感じて、私は弓を構え、矢をゆっくり番えた。
パスッ
弦を開放すると、矢はまっすぐに的に吸い込まれた。
私は息を吐き出して、矢立からもう一本矢を取り出して番えた。その矢も乾いた音を立てて的に吸い込まれていく。もう一手、もう一手と私は的に矢を放った。
放たれた矢がパリッという音とともに的に刺さっていた矢を割ったところで、
オルヴァが手を打った。
「そこまで」
私は的から目を離した。息を吐くと、周りの景色生き返ったような気がした。
「やるじゃないか」
父上が破顔して私の背中を叩いた。えへ、と私も笑った。
「ふぅむ」
腕を組み、片手であごをさすりながら的のほうへ歩いていき、刺さった矢を検分しながら何事かを考えている様子の父上の様子は私を少し不安にさせた。オルヴァのほうを見ると、相変わらずムスッとした顔つきだったが、先ほどの成果に満足しているというのは判った。かすかに頷いて見せたのは不安に感じることは無いと言っているようだった。
「わずかに左に寄るのは癖かな。今は風も無いし……ともあれ、ほぼ中央を衝いている」
父上がまっすぐとこちらへ歩いてきた。
「若公爵の思い切りの良さと、集中力は稀なものがあると存じます」
オルヴァが心なしか胸を張った。
「うん。射姿勢も良い……これはオルヴァ、君の指導の賜物だ」
「はっ。ありがたいお言葉です」
「動く的を射るのはまだやっていないということだったな」
「はい」
「うむ。やってみせよ」
私はきっとそう来るぞ、とは思っていたものの、実際にやることになると、かなり緊張した。しかし反面、とてもわくわくして早くやってみたいという気持ちにもなっていた。
オルヴァが衛兵に目で合図を送ると、籠に入った投射用の的を持って的の左右に立った。オルヴァもそれをやることになるということは読んでいたのだろう、すぐに用意は整った。
「いいですか、的を目で追ってはいけません。全体を捉え、的と矢の出会う場所を感じ取るのです」
私はただ頷いた。緊張をしていたので声を出すことができなかったのだ。
もう一度両足で地面を捉えなおしてから、大きく息を吐き、矢を番えた。
衛兵は的を構えると、対岸の兵士に向かってゆっくり投げた。的は放物線を描いて兵士の腕に捕らえられた。私は弦を離すタイミングを逸してしまった。
背を軽くオルヴァが叩いた。
「的を追いかけてしまうのでは絶対に捉えることは出来ません。世界を感じることです」
オルヴァの言うことは感覚的で難しい。けれど、頷いた。
もう一度的が投げられた。的を注視するのは止めた。的が動く道を感じ取る。
私は弦を離した。矢は的の上方に刺さり、そのまま軌道を変えて的ごと白樺の板壁に刺さった。私はほっと息を吐いて弓をおろした。しかし、少し離れた場所から父上が言った。「続けて!」
衛兵はまた的を投げた。弦を離す。今度は的の上方を破いて壁に刺さった。的は矢の掠った勢いで回転し、あらぬ方向へ飛んで転がった。的の真ん中には刺さらなかったが、私は何かこつをつかんだ気がした。誰に言われるまでもなく、もう一度矢を番えた。衛兵が投げ、今度こそ的を射ていた壁に衝き立てた。私は掴んだと思ったこつが確実なものか知りたくてもう一度矢を番えた。今度も的に当てることができた。
「よし」
父上が言って、私はもっとやってみたい気持ちを抑えて振り返った。
「弓はそのままで良い。狩の日までに馬上から射る訓練を」
「狩? 私も狩に参加できる?」
「それだけの腕をもった息子がいて狩に出さないなぞ私にはとてもできないぞ。自慢しないでいられようか。なあ、オルヴァ」
オルヴァがにかっと笑ったので、私は驚いてまじまじとその日に焼けた顔を見た。
「私もそう存じます、大公閣下」