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迦楼羅の一族  作者: 不破 夜
第一章
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2 ◆ エレオノーラ

2 ◆ エレオノーラ


 リンネが帰ってきたその午後、私は父に遊んでいるところを見られるのは具合の良いことではないと判断して、いつもより早く家庭教師の待つ勉強部屋へ戻ることにした。もちろんエントランスから戻るようなことはしない。おばあさまの部屋の隣に温室があって、勉強に飽いた時、私はもっぱらそこの窓からこっそりと外へ飛び出していっていた。

 僅かに開けておいた窓の隙間を腹ばいになって通り抜け、さまざまな国の珍しい植物が茂るその広い部屋を横切って、勉強部屋に割り当てられた部屋へ通じる階段に向かう途中だった。

「ロザリンデはまだ十にもなっていないのですよ」

 おばあさまの声に私は反射的に身をかがめた。おばあさまは決して怖い方ではないが、おとなしく勉強をしているはずの私が抜け出してどこかへ行っていたなどという姿を見せて失望させたくは無かったのだ。

「私だってそうすべきだなんて本気で思っているわけではないよ」

 この城でおばあさまと対等に話せる者などいるはずは無かったから、私は始め誰の声か判らなかった。しかし陽質な響きのそれはリンネのものに間違い無かった。

「しかし当家に対抗しうる家の娘が行儀見習いとはいえ王宮に上がろうとしているのは確かなのですから、何も策を弄せずにいる訳にも行かないでしょう」

「行儀見習いなんて白々しいこと。でもその娘が皇太子の気に入るとは限らないわ」

「なかなか可愛らしい娘ですよ。かの家の領地ではお姫様のミニアチュールといってこんなものも売られています。ご覧になりますか」

 何かロケットのようなものを開いた音がして、おばあさまがそれをいまいましげに受け取ったようだった。

話の中心に妹の名前を聞いて、私はそのまま羊歯の茂みにしゃがみこんで聞き耳を立てることになった。

「……そうね。ロザリンデの半分ほどの可憐さは持ち合わせているようね」

 パチンと閉じる音がした。きっとおばあさまがロケットを閉じてリンネにつき返したのだろう。

「おっとりとした気立ての良い娘さんだよ。ローザのような聡明さは感じられないけれどね。このブロンドのように周囲を明るくする」

「よくもまあ……。あなたには感心してよいのやら呆れて良いのやらだわ。まるで親しく話したことがあるようね」

「もちろん、私は想像を事実のように報告するなんてついぞしたことがないよ。このお嬢さんは時たまやってくる手品師がお気に入りなのさ」

「あなたに手品の心得があるとは初めて知りましたよ。……わたくしに見せてくれたことなどなかった」

「あなたが手品に興味があるとは思いもよらなかったな」

「十七の娘なら喜んだでしょう」

「しかしあなたはそうではない。そうだね?」

ピン、と空気が張り詰めるのを感じて、私は今すぐここから消えてしまいたいような気持ちになった。

「……」

「エレオノーラ。あなたは十八になるときに炎の中にいろいろなものを捨てて、代わりに」

「わたくしは!」

 リンネの言葉を遮ったその声は、強い調子だったけれど低く掠れていた。

「……わたくしはその代わりに得たものに満足しています」

「……そうでしょうね。恨み言を言うつもりはありません」

「とにかく……ロザリンデを軽々しくあの家の女中にするなど言う選択肢はありえません。テレジアの娘は何をしているの。嫁いでから三年ですよ」

「王妃を悪く言ってはいささか気の毒ですよ。それに、皇太子の寵を得ようというのならロザリンデよりエーリックを王宮へあげる方が確実でしょうね」

「エーリックを……?」

「魅力的な女性のたくさん住むある種の館では変わった友人ができるものなのですよ。他人の性癖をあれこれ言うつもりはありませんが……あれでは世継ぎなど出来ようはずがない」

 突然自分の名前が出てきたが、それがどういうことなのか良くわからずただ耳をそばだてた。

「……そのような恥知らずの元にわが総領息子を近づけるなど……あってはならないことです!」

「大公も同じ意見だと良いのですが」

「まさか! そのような事情であるなら、その娘が王宮に上がろうが放っておけば良いではないですか」

「真実がどうであれ、事実はどうにでも作れるものですよ。……大公は晩餐には間に合うよう到着するはずです。よくお話になるがよろしかろう」

 おばあさまが深くため息をついた。

「狩の下見というのは表向きの理由というわけですね」

「いいえ。むしろその対策に表と裏があるというほうが適切でしょうね。王は皇太子の篭りがちな気性を懸念しているのです。しかしあの柳のような皇太子に狼が狩れるとは想像し難い。この北の森で何を狩るのだか分かったものではない」

「リンネ! 軽口が過ぎます」

「失礼。とにかく、大公はエーリックの元服を急ごうとしています。成人すれば、大公に付いて王都で大公の務めを学ぶことになる。王宮で日々の殆どを過ごすようになるわけだ」

「それでも、ひょんなことで……例えば狩なんかで……目に留まって側仕えとして望まれるよりはましでしょう」

「ありえません!」

「例がないわけではありません。旗本などは子息を早くに王宮へ上げます」

「……リンネ、当家はそういったことが必要ない身分を求めてきました。そしてそれを実現してきたのではありませんか。それはあなたが一番良く理解しているはずです」

 リンネは首を振った。

「身体は年頃の少年たちと変わらないが、エーリックは十五の分別を持っていると思います。十一で元服した例がない訳ではありません。……私としても……まだしばらくこのままで。このまま子供として得るべきものを掴んでいく時間をあげたい。……ですが遅いのです。既に皇太子は晦日の祝賀会で見かけた少年をひそかに探させているのです」

 まあ……と息を呑むおばあさまの声がして、それからしばらく沈黙が続いた。

「……状況はよく判りました。しばらく考えるわ。カールには明日の晩まではこの話をしたくないと伝えておいて頂戴」

「エーリックとてまだ十二。元服にはまだ早いわ」

「伝えておきましょう」

 衣擦れの音がして、おばあさまがきびすを返し自室へ戻っていくのが判った。

 パキ、と枝を折る音がして、リンネが何かつぶやいたけれど、私には聞こえなかった。コツコツと煉瓦敷きの床をけって歩く足音が私の潜む羊歯の一画の側を通った。一瞬立ち止まったが、すぐに外へ開く扉のほうへ向かっていったようだった。

 私は私を覆い隠す羊歯たちと同じように、柔らかく湿った苔に無数の白い細かい根が生えてしまって、そこから動けなくなってしまったような気がした。妹の話ではないのは確実だった。私が……なんだって?


 ガラスの扉が独特の音を立てて閉まった。私は一人になってもそのまま羊歯と一緒に押し黙ったまま、ぐるぐると思考のなかにいた。

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