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僕と僕の恋愛

作者: 廃界幻夢

ある夕暮れ時、孤独な男が一人暗い寝床に佇んでいた。彼のそばには人型を模した枕が立てかけてある。

男は枕に話しかける。枕はとても優しいのだ。彼の事をいつでも気にかけ、叱る時は感情的でなく、励ますときは心が震えるように、褒めるときは細胞の一つ一つが喜ぶように。枕は言葉を彼の脳内に打ち込むのである。


「やあ、妖子さん」


親しくなってもさん付けをする所がこの男の特徴であった。男は面白みがなく、意志薄弱であり、何事にも打たれ弱く、一日一日を後悔しながら生きながらえているような男だった。少なくとも男と周囲はそう認識していた。

しかし妖子と名付けられた枕だけは違った。男を思慮深く優しい人間であると評価した。男は喜んだ。まさしく彼は他人にそう思われたがっていたからだ。そんな願望を枕は満たしてくれた。

枕は無償の愛を持ち、いつも男を気にかけている。彼以外の他人に惚れる事すらない。男の望む通りに言葉を紡ぐのだ。


「外を歩いてきたんだけどさ、綺麗な夕日が見えたんだよ。僕だけが置いてけぼりになるような綺麗な夕日」


静かな部屋で男が一人。他人が見れば悲惨な光景であれ、当人にとっては至福の時間。


「そう、だよね。妖子さんがいるなら僕は平気さ」


傍から見れば独り言をぶつぶつ言っている男。しかし当の本人は会話のつもり。

男がこのような行為を始めたのはいつからか。当人にとってはほんの些細な不幸の中で、ただ誰にも必要とされない現実から目をそらすため。眠りの伴として買った枕に不意に話しかけた事からだ。今では彼が彼である為に欠かせない行為となった。


「うん、いつも気にかけてくれてありがとう」


男はいつまでも枕の言葉に溺れていたかった。しかし、柄にもなく結んだ食事の約束によりそれはかなわなかった。


「それじゃあね。また後で」


男は名残惜しそうに寝床を離れ、ドアを開けた。





男は自嘲と罵倒を繰り返していた。幸せそうなカップルを見るたびに憎しみを増大させた。

話す時こそ毒を隠すが、思考をする時には感情を思う存分出している。そうしないと体が持たなかったのかもしれない。


「ふん、傍から見れば僕は枕と会話をする狂人だと言うのか。だがな、お前らの隣にいる奴だってお前を本当に好いてるのか分からないじゃないか。」


男はこれから会う相手にもある種の憎しみを抱いていた。


男は不遇や憎悪をめったに口に出さなかったのだが、彼の前では全てを吐き出した。彼もそのような事を男に吐き出した。お互いに「君」と呼び合い、共通の敵を見出して共に友情を深め合った仲だった。

しかし、ある時友人が美人だと評判の女性と恋人になったのだ。

それからと言う物、男の友人の人生は好転しだした。いい仕事にやりがいを持って取り組み、その過程で様々な人々と触れ合い、人生の質を深めていったのだ。

そこまでなら男は友人の事を嫌わなかったのかもしれない。人生の船出を祝福し、自分のような境遇に二度と戻らないで欲しいと思いを託し、お互いに別の人生を歩んで行った筈だ。

友人はそうしなかった。男を執拗に批評しだしたのだ。


「君は努力が足りないんだよ。努力してる人を憎んだって自分を憎んだって何も変わらないじゃないか」

「友人を歓迎しようって気が無いんだよ、これだから何も出来ないんだよ」


これら一つ一つの言葉は男にもある程度の納得をしていた。しかし男にとってそれ以上に気に入らなかったのは、友人が自分を下に置き、日々の不安のはけ口にしているのだと薄々気づいてしまう点だ。

そして最後に友人は必ず、


「俺でもあんないいオンナノコと付き合えるんだからさ、君にも出来るって」


と言い残し、二人分の御代を置いて去っていくのであった。



「畜生。僕は何もかもとっくに諦めたと言うのに、世間は栄光を諦めるなと迫ってくるじゃないか。そんなに僕が僕自身で不安も何も解消してるのが気に食わないのか」


男自身が気に食わなかったのかもしれない。確かに枕の妖子さんにはお世話になった。友人に助言の形を借りた罵倒を受けた時も、世間で辛い目に遭った時も、妖子さんに慰めてもらう事で身を保っていた。

しかしそれは自分の意志と思考によるものであった。自分はその行為にお世話になっているが、男の両親や彼のような友人、はたまた男の周りの人々にそんな悪癖が知れたら、知られてしまったら。

考えるだけで怒りが込み上げてきた。人知れず怒り、それが収まる時には約束の店についていた。





「んでさ、君はまだあれをやってるの?」


無駄に高い料理を注文した友人は質問をした。店で一番安いメニューであるサンドイッチを頼んだ男は一回軽い溜息を吐いた。友人のその表情の奥深くに下非た物が見え隠れしたのを男は見逃さなかった。


「あれって何です」


男はか細い声で返した。男は感情に揺さぶられない限り大きな声を出せないたちであった。また普段から自分を下に置いていた。もっとも枕の妖子にはそんな所が気に入られているのだが。


「ほら、あれだよ。恋人ごっこ」


恋人ごっこ。男はかつての記憶を思い起こした。適当な何かを恋人に見立てて自己を保てるのだと友人に力説したあの記憶。男は気分が悪くなった。


「ああ、まあ…」


更にか細くなった声で男は返答した。家に帰って早く妖子さんに慰められたいと思いながら。


「やっぱそうだよな。君は。そうやって自分で自分の首を絞めていくんだ」


友人は軽やかに軽蔑した。彼は男に勝った点をまた一つ発見した。心が躍っていた。男は友人の言った言葉を自認していて只でさえ狭かった肩身が更に狭くなる。


「そんな事ばかりしてるから君は社会の敗残者のままなんだよ。かつては僕もそうだったんだけどね、ある時空想に浸る事は無駄なんだと気づいたんだよ。そういう事ばっかりしてるから自分が現実から遠ざかっていくんだってね」


男は現実から遠ざかりたかった。男の身からは汗が吹き出し、頭は病気にかかった稲穂の様。彼の全身からは覇気が無くなった。友人はそれを確認するとさらに追い打ちをかけようとする。


「俺は君を心配して言ってるんだからね、君は自分をどこかで――


男は不意に思った。心配してると言った奴らはロクなもんじゃなかった。世間体を気にする奴や自分を下に見たがった奴らが言ってるに過ぎない。男の人生の中で、彼の事を真に思ってくれた人は誰一人いなかったのだ。


いや、違う。と男は思い直す。妖子さん。いつも俺の事を気にかけてくれた人。


「いいかい、君。現実は辛いよ。でもね、そんな物から遠ざかる意志こそが敗残者たる所以なんだよ、現にこうして僕も彼女を持てたんだからさ」


友人は素面なのに酔っていた。自分にだ。馬鹿馬鹿しい。彼女と言う存在は人を下に見るための物だと言うのか。それなら僕の方が余程健全じゃないか。全てが一人で完結してる僕の方が余程。

自分が満たされるために他人を馬鹿にする奴らより。僕と妖子さん、いや、僕と僕の方が余程素晴らしいじゃないか。


――つまり君は行動に移さないから…」

「これが唯一にして妥当な行動だった」


男はか細く答えた。些細な反抗のつもりであった。巷にささやかれる真か嘘か分からない武勇伝の様に。

「僕が他の人に何を提供できるのか。おそらく何も出来ない。仮にできたとしても女の子は自分の傍に居て、僕を愛してくれるのか。君や周りの人みたいに出来ない人だってたくさんいて、僕はその中の一人なんだ」


言葉を紡ぐ中で自分の思考が研ぎ澄まされるようだった。全てが整理され、思考へと、意志へとつながっていく。男は最早何にも縛られてはいなかった。そしてその傍には自らが見出した恋人がいるのだ。

「結局最後行動に移すのは自分さ、だから君は僕に自分で行動しろって言ってるんでしょう?でも僕は自分で行動するのにホトホト疲れて、それで自分の中の別の存在を頼ったんだ」

急速に男の中で理論が組み立てられていくのを見た友人は驚いてるようだった。男は彼を憐れんだ。可哀想に。美人な恋人がいて仕事に人に恵まれているのに過去の悪癖から足を洗えないだなんて。


「君は自信がどうのこうのって言うけど、それは彼女がいたからでしょう。それと同じ事を僕はやってると言うのに、何故僕だけ非難されなきゃいけないのか分からないね。結局は自分を自分で愛せるかだよ。僕は単一の自我じゃそれが出来なかったから自我を二つ作ったのさ」


男は急に感慨に浸りたくなった。妖子さんがいない日々。全てが暗かったあの日常を。妖子さんにすら言ってない。自分の中じゃ可視化したくない事情を友人に吐き出して年貢を納めようとした。


「昔は自分に自信が無かったね。だから色々な物を憎んださ。それが非生産的だと知りつつね。いや、知ってたからこそ僕は満たされなかったんだ。それでいて自分の事を認めたがられていたんだよ。でね、ある時ね、自分が言われたい事を言われていない自分を不思議がったんだ。難しい話だけどね、自分が思っているならそうなんだよ。自分の事をいくら嫌がってたからってその事を認められたいならそれは認められてるんだってさ。自分で認められたいってことを認めてるはずなのになんで認められないのかってね」


男は自分の言ってることが半ば分からなかった。無駄に声を張り上げたせいか回りの視線をチラチラと浴びる。友人は絶句していた。男は早々と話を切ろうとした。


「だからさ、自分で認められないなら自分の別の人格で認めようって思ったからそうしたのさ。君は現実から逃げるって言うけどそんなの逆だよ。自分で自分を認められてるから世間に立ち向かって行けるんだ。自分を認められないよりは認めたほうがましでしょ」


思っていた事を全て言えた。感慨に浸りつつ男は黙った。友人は黙り込んでいた。まだ動揺から抜け出せないようだ。彼でさえあの長い演説に割り込めなかったのだ。

周りの人々はひそひそと自分たちの空間で話をしている。もう潮時だろう。

「気分が悪いから帰るよ。食事は僕のおごりで」

男はなけなしの金しか入っていない財布から代金を置き、外に出て行った。

「よく頑張ったね」

妖子さんの声に満足を覚えて、生まれ変わった気分を持って家路についた。




美味しいがどこか満たされない。料理を食べ終わった若者は溜息をついた。

先ほど彼の友人に言われた事を反芻しながらだ。全てが満ちていた筈なのに、やはり俺は自分の事を認められていなかったのだろうか。違う、あいつが馬鹿なのだ。どうしてあんな狂った行動を出来るのか。自分の中に他人を見出すなんて。それを恥じてもいなく堂々とするとは!

そう納得したはいいが、やはり落ち込んだ気分は満たされない。

若者は彼女の元へ向かい慰めてもらおうと決心した。



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[良い点] 自分の価値観を押しつける人間って多いですよね。 自己肯定したいがために他人を見下したり批判するような奴はみんなクソ野郎だ! などと、主人公の気持ちに共感しながら読みました。面白かったです。…
[一言] Twitter経由で参りました。 INTPって性別が違えど同じ様な内容を書くのだなと暫く笑いが止まりませんでした(いやバカにする意味で無く、嬉しかったのです)。 ネクストコナンズヒ〜ント!…
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