異世界ニートの夜は遅い
我々が待ち合わせの場所に到着すると氏は笑顔で私を迎えてくれた。
「余裕をもって早めに来たつもりでしたが、
申し訳ございません。待たせてしまったようですね」
急いで謝罪の言葉を述べると、氏はさほど待ってはいなかった
という素振りを見せたものの、手もとに下げたオイルランプの量は
9分目を少しばかり切っていた。
どうやら早めに家をでて正解だったようだ。
氏の持っているオイルランプは今年になって発売されたもので
燃焼効率がよく携帯性優れ、なおかつオイル漏れも従来品にくらべて
劇的に少なくなった高級品である。
オイル残量からすると、すでに半刻ほど前について我々を待っていたことになる。
「では行きましょう!
あ、その前に作業場によっていっても良いですか?
道具を取りに行きたいので」
そう言って、まるで近所の雑貨店に買い物に行くような気軽さで
森の中に入って行く氏を追うように、我々も夜の森の中に足を踏み入れた。
先日訪れたときは明け方であり、これから昇る太陽のことを考えると
多少は気が楽ではあったが、今回は夜である。
むしろ夜は深くなる一方であり、森に棲む夜行性魔獣も活発に動き出す時刻となり
危険度は各段に増す。
そのような訳だから、ベテラン冒険者でもむやみやたらに夜の森へ入り
行動したりはしない。やむを得ず森の中で日が暮れてしまった場合は、
火を起こし見張りを立て、じっと夜が明けるまで耐えるのが冒険者の鉄則である。
これは冒険者ギルドの新人教育で必ず最初にレクチャーすることであり
夜の森の恐ろしさは誰もが知っていることだ。
たまに粋がった若者が夜の森へ狩りに出かけ、日中では遭遇しないような
格上の魔物と運悪く遭遇してしまい命を落とすことがある。
また、そうやって命を落とした者は、夜の魔力にあてられアンデットとして
蘇ることが多々あり、冒険者ギルドではその討伐に手を焼いていた。
手に持ったオイルランプの火がユラユラと揺れ周囲数メートルのわずかな灯を落とし、
真っ暗な森の中に我々の居場所を確保してくれる。
ランプの光が届く範囲外は、まるで黒い壁に囲まれているな気さえ起こさせた。
奪われた視覚に対し、時折聞こえる狼の鳴き声や、突然聞こえる鳥の羽ばたく音。
遠く森の奥から風に乗って聞こえる何者かの唸り声などが無暗に聴覚を刺激し
同行者などは、すっかりおびえてしまっていた。
自前のショートソードを早くも抜刀し辺りをキョロキョロと見まわしながら私の後をついてくる。
転んだ拍子に背中をぐさりと刺されないかと、背中に異様な汗をかきながら、氏の後を追うこと半刻。
ようやく先日訪れた森の中の空間。シエロ・サンターレの小屋へ到着した。
「とりあえず、小屋へどうぞ。
ランタンのオイルを一応補充して出かけましょう……
と、その前に弓矢、弓矢と…」
彼女を追って小屋に入ると、先日と変わらず外観とは裏腹に意外に整った部屋のままだった。
ただ先日と違うのは、机の上に置かれたガラス瓶やすり鉢など、何か作業をしていた跡だ。
王都と違って地方の街ではガラス製品は非常に手に入りにくく高級品である。
もちろん、王都でもそのガラスの透過性から、窓に使われたりもしているが、
それはいたって一部であり、貴族の豪邸や王城くらいしかないだろう。
そんなガラス製品が乱雑に机に置かれているものだら、同行者などは、
さぞかし不審に思ったのではないだろうか。
しばらくガラス製品などを手に取って眺めていると、氏は奥から弓矢と
我々用のオイルを手に持って戻ってきた。
その時、我々の目はその弓に釘づけになった。
一見すると華奢に見えるも細部に施された模様や装飾品は華麗であり、
窓から差し込む月の光に照らされた弦は、暗雲立ち込める空から差し込む一筋の光のように
神秘的な輝きを放っている。まるでおとぎ話に出てくるような、
英雄や精霊好んで使う伝説級の弓と言っても過言ではない華麗なものであった。
そんな弓を氏は造作もなくポイと床へ放り投げると、持ってきたオイルを自分の
オイルランタンに補充しはじめ、続いて我々のランタンへの補充を促してきた。
弓に見とれていた我々はその行為を目の当たりにし、「弓、弓が」と呟きながら
拾おうか、拾わないかサワサワと小刻みに体を前後に動かしアタフタしていると、
そんな我々を見かねた氏は弓は所詮消耗品である。
自分で作ったものだから別に気にすることは無いと苦笑いをしながら言い放った。
我々冒険者には弓は消耗品という認識はない。
剣や鎧と違い、木、またはそれに準ずるもので作成されることが多いため、
壊れやすいことは確かだが、正しく手入れしてやれば長く使えるものであり、
細かい装飾の入った弓などは、鋼でできた剣と変わらない値段さえするものもある。
それゆえに、伝統のある弓術家の家系には先祖から脈々と受け継がれてきた一級品が
大事に保管され、一たび隣国との小競り合いなどが始まると、その家の長が、
それを高々に掲げ戦へと赴くのが習わしだ。
それに、たとえ剣をメインに使用する者であっても、食料を確保したり
遠方の獲物を狩るために弓を持ち歩くものも多いのだ。
つまり弓とは人によっては家宝であり、生活必需品でもあり、
決して使い捨てできる品物ではないはずだ。
出所の良い同行者などは、氏の行為について何か言いたい事があるらしく、
勢いよく口をパクパクさせていたが、私がそれを遮り、黙って頷くと
ランタンのオイルを補充する作業に取り掛かることにした。
ついでに同行者のランタンにも補充をしてやると、今までの勢いは消え恥ずかしそうに
礼を述べた。