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第二十八話 「気になること」

 天使との再会後、あの異空間は天使が手をかざすと同時に通常空間へと戻った。光り輝く白い世界は、元の保健室へと戻っていたのだった。

 俺とマキは誰も居ない保健室に帰還。

 呆気にとられていた俺だが、マキが負傷している事を思いたすと、保健室の備品を使って手当てしようとした。

 しかし不思議な事に、彼女マキの足はすでに天使が『力』を使って治してくれていた。

 天使はそのまま『また会いに来るから』と言い放つと、治療の礼を言う暇も無く、そのまま煙のように消滅して去っていった。

 それが三日前の出来事。

 本日は天気の良い日曜日だ。


「――んー……」


 俺は慣れない自室のベッドから身を起こして伸びをする。

 最近では化粧をすることが自力で出来るようになり、美月の手を煩わせるようなことは無くなっていた。

 美月曰く、『これで姉さんも元の自分に一歩近づきましたね♪』などと嬉しそうにしていた。

 ――元の自分って何だよ……。

 俺は美月の言葉にテンションがダダ下がりだった。特にあの『♪』部分が余計に俺をイラつかせる。


「――飯でも作るか……」


 気を取り直して俺は着替えて一階へと降りて行く。

 余談だが、ここ小峰家では何故か俺が飯を作る役割を担っている。これは男時代から変わりがない。

 面倒だからという理由で手は抜かないが、代わりに昼飯作りは勘弁してもらっている。

 だから俺も美月も昼飯は弁当ではなく、学食か購買で済ませているのだった。

 ……まあそんな話は置いておいて、俺は台所に立って朝食を作り始めた。

 冷蔵庫の中から大根を引っ張り出して来て調理する。

 トントントントン……。

 小気味よい音が俺の手元でリズムを刻む。

 その間、鍋を沸騰させる事も忘れない。

 沸騰させた鍋の中には銀色の煮干しがお湯と共に泳ぎ回っている。

 ――いい感じに出汁がとれてそうだな……。

 味噌汁の下ごしらえが順調に行っている事に気を良くした俺は、良いテンションのまま朝食作りを続けたのだった……。



「――ごちそうさまでした」

「ごちそうさま……」


 起きて来た美月とジイさんが俺の作った飯を食い終わる。

 美月は毎度おいしそうに食べてくれるが、ジイさんは無表情だ。

 ジイさんが無愛想なのはいつもの事なので、もう諦めているが、たまには『うまい』の一言でも言ってほしいものだ。

 俺がそんな事を考えていると、


「――姉さん、今日は予定ありますか?」


 美月が俺にそんな事を言って来た。

 恐らく妹は俺と休日を過ごしたいとでも考えていたのかもしれない。

 俺としてはそんな妹の気持ちは嬉しかったが、どうも一人で居たい気分だったので『予定はないけど、今日は一人で休みたい』と美月に伝えた。


「――そ、そうですか……」


 と、美月は残念そうにしている。

 そこへ、


「――どうしたんじゃ、ミユキ。一人で休みたいって、体調でも悪いのか?」


 ジイさんが読んでいた新聞を畳んで俺に言葉をかけてくる。

 俺は『なんでもない』と適当に言葉を濁したが、ジイさんは言葉を続ける。


「――何でもない事は無いと思うぞ。お前、さっき料理してる時に、包丁の音がおかしかった。あと歩き方も少し変だ。どこか身体を痛めてるんじゃないのか?」

「…………」


 ――さすが。

 本当にさすがのジイさんだ。伊達に小峰道場の道場主をしているだけの事はある。

 俺の身体の異変に瞬時に気づけるのは、武道の達人である証だ。

 俺が黙っていると、


「――ね、姉さん? どこか具合でも……」


 美月が心配そうに俺を見ていた。


「――だ、大丈夫。ちょっと筋肉痛なだけだから……」

「「筋肉痛?」」

「うん……」


 そう、筋肉痛だ。

 俺の身体は、先の体育のラクロスが原因で筋肉痛に苛まれていた。

 ――やはりこの身体はオレとは違う……。

 その事を痛む身体で身を持って知った。


「――筋肉痛とは情けない。何か運動でもしたのか?」

「ちょっと、体育でラクロスを……」

「その程度で音を上げたのか? ダメだな、お前は。ははは……」


 ジイさんが俺を笑う。

 そんなジイさんに、


「――おじいちゃん、そんな事言わないで。姉さんも私も運動は苦手なんだからっ」


 美月が反論してくれる。


「――だけど、たかが学校の体育でだな……」

「おじいちゃんにはそうかもしれないけど、私達はそうなんです。……まあ、少しは運動不足かもしれないですけど」

「いや、お前たちは確実に運動不足だとワシは思うけどな……」

「むぅ……」


 美月はジイさんの言葉に頬を膨らませて不機嫌だ。


「まあまあ、二人ともその辺で。とにかく私は今日は休んでるから……」


 俺は自室で過ごす事を二人に伝えた。

 美月は俺と休日を過ごす事を諦めたのか、友達と遊ぶことに予定を変更。誘いの電話をするために、玄関口に設置してある固定電話に向かって退室していった。


「――ミユキ、運動不足なら今日から道場に来て鍛錬でもするか?」


 俺が美月の姿を目で追っていたら、ジイさんがそんな事を言い出した。咄嗟に聞き返してみたら、ジイさんは言葉を続ける。


「――たかが学校の体育で身体が音を上げるのはいささか心配じゃ。小峰の人間なら、いざと言う時には腕っぷしも必要だと思うぞい」


 ――それは良く分かっております。だって、俺は小峰道場の跡取りだからな。

 しかし、今の俺はミユキさんだ。

 女の子に腕っぷしが必要な状況ってあるのだろうか。

 俺は、ジイさんの言葉に曖昧に頷きながら、自室へ戻って行った。



 自室に戻った俺は身体の筋肉痛具合を確認していた。

 腕などを軽く動かして感じる痛みを確認する。

 ――これなら数日中に良くなるだろう。

 酷い筋肉痛なら本当に辛いが、今の俺は軽くも無く重くも無い、普通の筋肉痛だった。

 そんな事をしていたら、俺は咄嗟にマキの事が気になった。

 アイツは天使のおかげで足が治ったはずだが、やはり容体が気になる。

 そこで俺はマキに電話をすることにした。

 ――プルルッ。

 いつものように数回のコール。

 マキはすぐに電話に出てくれた。


『――もしもし……』

「ああ、マキか?」

『……ん。どうしたの、ヨシユキ?』

「いや、別に大したことは無いんだが、気になってな……」

『……??』

「足だよ、足」

『ああ……』

「もう大丈夫なのか?」

『……ん。天使さんのおかげで、すこぶる快調だよ』

「そうか。それはよかった」

『そんな事の為にわざわざ電話してきてくれたの?』

「まあ、そんな所だ」


 そんな感じでマキと軽く雑談を始める。

 内容はどうでもいい話だったが、途中で今朝のジイさんとの会話の話題になった。


『――さすが清次さんだね。ヨシユキの身体の異変に瞬時に気づくなんて』

「ああ、俺もびっくりだったぜ」

『そんなすごい人の跡取りだなんて、ヨシユキも大変だ。プレッシャーあるんじゃない? 小峰道場の次期道場主としては……』

「確かにプレッシャーはあるんだが……。ん? ちょっと待ってくれ……」

『どうしたの?』

「今の俺は小峰の跡取りなのかな?」

『えーっと?』

「だってほら、俺は『ミユキさん』なワケだし……」

『ああ、女の子だもんね』

「この身体の状態で、俺の立場はどうなってんだ?」

『気になる所だね』

「ああ」

『もしかしたら……』

「ん?」


 マキは少し黙ると、電話の向こうで何か考えていた。

 俺が心配そうに声をかけてみるが、無反応。

 少し嫌な予感がした。


『――ヨシユキ、落ち着いて聞いてくれるかな?』

「な、なんだ?」

『これはあくまでボクの考えた可能性だけど……』

「…………?」

『今のヨシユキは、小峰の跡取りじゃないのかもしれない』

「え?」

『君は今、「ミユキさん」だ。か弱い女の子なんだよ? そんな娘が道場の跡取りなんて無理があると思うんだ』

「んなワケない、俺は強いぞ?」

『それを知っているのは、君とボクだけだよね?』

「……あ」

『性別が変わってから、色々「反転現象」が起こっているのは、ここ一週間以上生活してきて分かったはずだよ? ボクが、剣道が弱いと周りから認識されていたのがその証拠だと思うんだ』

「…………」

『今のヨシユキはただの女の子だ。もしかすると、本当に小峰道場の跡取りじゃないのかもしれない……』


 確かにマキの言う事には一理ある。

 というか、聞けば聞くほどその通りだと思えてくる。

 ――これは確認する必要があるな。

 俺はそう思い立つ。


「確認……してみるか……」

『え?』

「確認だよ、確認……。ちょうど今日は暇なんだ。道場にでも顔出して、直接ジイさんに聞いてみる」

『道場行くの?』

「ああ、ちょうど今朝ジイさんに『身体を鍛えないか』と言われたばかりだからな」

『運動不足対策の?』

「そう言う事だ。表向きはそれを理由にして道場に行ってみる……。まあ、身体を鍛えたいと思っている事は事実なんだが」

『……そう』

「何もかもが分からない事だらけだ。変な事言って怪しまれないように気を付けるよ」

『うん。それがいいかもしれないね』


 そう話を続けて俺たちは通話を終了した。

 俺は筋肉痛の事など忘れて、自分の今の立場について考えざるを得なかった。

 ――俺は、小峰の跡取りなのか……?

 その答えは、道場に向かわなければ分からない。

 ジイさんに直接聞かなければ答えは分からないのだ。

 俺は午後に道場に向かう事にして、自室で時間を潰したのだった。

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