第十五話 「学食と食事量と胃袋」
「――……ありがとうございました。失礼します」
――ガラガラ……。
俺は保健室の扉を閉めた。
今は昼休み。
心苦しかったが、俺は体調不良という理由で、四時間目の体育の授業をサボった。
――こんな事をしてはいけないのだが、背に腹は代えられない。
女子に混じって着替えるなど、男の俺がしてはいけないのだ。……まあ身体は女の子だから問題は無いはずだが、精神は男。
俺は結局、次回からの体育をどうするかという事を悩み、四時間目を潰してしまった。
答えは出ない。
体育だけ休みまくると、変な噂が立つかもしれないのでこの手はたまにしか使えない。俺は本当に困り果てていた。
見学するにしても着替えは必要だ。つまりは更衣室に突撃しなければならない。突撃してしまうと、そこはもう女の園である。
――テンションが上がって……いやいや、そうじゃない!
俺は邪な感情を振るい落とすと、『なるべく着替えは、見ないように努力しよう』という事で結論付けた。
――結局は逃げられないから仕方ないじゃないか。
誰に言い訳してるんだろうね、俺は。
さて、俺は腹が減ったので、この足で学食に向かっていた。
途中、
「――居た、居た!」
「……ん」
相沢さんとマキに捕まる。
今の状態でこの二人が一緒というのは珍しい組み合わせだが、どうやら二人は俺を心配して保健室へと足を運んでいたらしい。
「――ミユキ、大丈夫なの?」
「…………ミユキ?」
「え? う、うん。大丈夫。もうすっかり元気になったよ」
俺の言葉を聞いて二人は安堵していた。
「――ところで二人は、一緒に来てくれたの?」
「え? うん。そこで水鏡君と一緒になってそのまま……。ね、水鏡君?」
「……ん」
「そうなんだ」
相沢さんはなんだか楽しそうにしている。
――なんでだろうか?
「――ミユキの事が気になって、体育の時間心ここに在らずって感じだったらしいよ? 水鏡君」
「え? あの……。……ん」
「さすが、仲良いね♪」
「…………っ」
――顔を赤らめるな、マキ。
なるほど、相沢さんは俺とマキをからかいたくてテンションが高かったのか。……今確信できた。
しかしマキはマキで心配してくれていたんだな。幼馴染に感謝という所だが、コイツには俺の『休んだ理由を』話してもいいと思った。
俺は二人に学食に行くことを告げると、再び歩き出す。
途中、
「――マキ」
「……?」
俺はマキの隣に立って、相沢さんには気付かれないように小声で話しかけた。
「――俺が体育を休んだのはだな……」
「生理でしょう?」
「違う」
「あれ? 千歳は『女の子の日』って言ってたけど?」
「俺に生理が来ると思うか?」
「……ヨシユキは完璧に女の子なんだよ?」
「……体調はすこぶる快調です」
「だったらなんで?」
「俺が女子に混じって着替えが出来ると思うのか?」
「なるほど……」
「な?」
「でも大丈夫だよ」
「はい?」
「今のヨシユキは完璧だから……」
「そんな理由が許されるのか?」
「許されると思うよ? なにせボクは男子に混じって着替えたんだから」
「あ……」
そう言えばコイツ、今は男だった。
水鏡真樹という少年だった。
俺はその事をすっかり忘れていた。それはコイツがかなりの童顔である事も手伝っている。
しかし……、
「――て、抵抗なかったか?」
それが気になって仕方ない。
「――……ん、始めはあったけど」
「けど?」
「服を脱いだ時点で気にならなくなった」
「そ、そういうものなのか? もっと恥じらうとかあってもいいんじゃないか? お前、身体は男でも女なんだし……」
「そんな事を気にしていたら、学園生活なんて過ごせないよ」
「相も変わらず順応力の高い奴だな……。感心するぜ」
マキは俺の言葉に軽く笑うと歩調を速めた。
「――じゃあ、ボクはここで」
そして、A組の方向へ足を向けるマキ。
学食とは正反対だ。
「――え? 水鏡君、せっかくだから一緒に食べようよ? ミユキも居るんだし……」
「ボクは弁当なんだ……」
「そう言えばそうだったね、マキ」
「じゃあ学食で合流しない? ミユキも水鏡君と一緒の方が嬉しいでしょ♪」
「えっと……?」
「照れない、照れない♪」
相沢さんは凄くニコニコして俺の腕に絡んで身体を寄せてくる。
――柔らかいっ!
「そ、そうですねっ。マキ? 後で来てくれるのもいいのかもしれないね?」
――焦りで言語機能がおかしい。
敬語と何かが混じっている。
そんな俺の反応が面白かったのか、マキは笑いを堪えて頷いた。
「――じゃあ私達、先に行ってるから、水鏡君後でね♪」
「……ん」
「席は取っておくから」
俺の言葉を背後に、マキはA組へ早歩きで向かう。
その背中を相沢さんと二人で見送った後、俺たちは学食へ向かった。
さて相沢さんと一緒にやって来た学食。
学食といえば、ガツガツした学生で溢れている場所とイメージしてしまいがちだが、ここ綾菱学園の学食は洒落ている。
言うならばカフェのような感じで皆がゆったりとご飯を食べている。それは単に広いという要素もそうした空間を作り出す手伝いをしていた。
さっと学食を見渡すと席がまだ空いている場所がある。俺はその席に座ると、
「――千歳は先に食券を買って来たら? 私が席をとっておくから……」
笑顔でそう答えた。
相沢さんは俺に微笑むと、
「――そう? だったらお言葉に甘えて……。でもミユキは? 一緒に行けばいいのに……」
首を傾げてそう言う。
「――あはは……。一緒に行けば席が無くなってしまうでしょう?」
「まあ、そうだけど……。出来るなら一緒のタイミングでご飯が食べたいし……」
「その心配なら大丈夫だよ。私は今日はパンにするから」
そう言って購買部に目をやった。
うちの購買の惣菜パンはなかなかのものだ。
正直ウマい。
ガッツリ食べたいときはここに限るほどだ。
「そうなんだ……。じゃあ行って来るね」
相沢さんは、あまり急ぐ様子が無く食券を買いに行った。
――さて、待ちますかね……。
そう考えていると、
「――ヨシユキ……」
マキが教室から弁当を持って、相沢さんと入れ違いにやって来た。そのまま俺が確保していた席に腰を下ろして、俺の前に座った。
「――おう。早かったな」
マキと二人きりなので言葉使いを元に戻す。
そろそろこの口調の使い分けにも無理が出て来そうだ。
「――一応、待たせてるから……」
「はは、気にしてたのか?」
「……ん」
マキはそう言って無表情で自分の弁当を広げる。
……相も変わらずとても美味しそうな弁当だ。バランスが取れていて彩も豊か。正直、ちょっと食いたくなったほどである。
マキは昔から弁当は自分で作っている。
コイツはこう見えても炊事洗濯はメチャクチャ得意なので、女子力が非常に高いのだ。
……まあ、今は男の姿なので、『女子力』という単語を当てはめるのはおかしいと思うが、とにかくいいお嫁さんになれることは間違いないと思う。
「――どうしたの? ヨシユキ?」
「いや、なんでもない」
「??」
「俺は購買部に行ってくる。ここの席は任せる」
「……ん」
マキが頷いたので俺は席を立つ。
「――あれ? ミユキ?」
そこに相沢さんが帰って来た。
「――えっと、マキが来たから今度は私がパンを買ってくるよ」
「そう? いってらっしゃい」
「先に食べててくれていいから……」
「分かったー」
相沢さんが席に着くと同時に、俺は購買部に向かった。
さて、俺は購買で適当にパンを購入。
早くマキたちと合流する為に早足で席に戻った。
「――水鏡君のお弁当、おいしそう……」
「そう……かな?」
「うん! もしかしてお母さんが作ってくれたの?」
「ううん。……ボクが作ったんだけど……?」
「うそ!?」
席に戻ると、マキと相沢さんが楽しそうに会話していた。
俺もその輪に入りたくて、マキの隣に腰を下ろす。
「――ふふっ」
すると相沢さんに笑われた。
不思議そうな視線を彼女に向けると、
「やっぱり、二人は仲良いね。さすが噂のカップル♪」
とんでもない事を言われた。
「「――え!?」」
咄嗟に驚く俺たちだが、これはいつもの癖だ。
俺の隣にマキが居る事なんて日常茶飯事だし、その前に気軽に相沢さんの隣に座る事なんて俺にはできなかった。
「――ホント仲良いね。ちょっと妬けちゃうかも」
などと悪戯な笑みを浮かべる相沢さんはすごく楽しそうだ。
「――そ、そんな事言ってないでご飯たべよう?」
俺はこの空気に耐えられなくなり、話の方向性を修正した。
――そうだ、俺たちはメシを食いに来ているんだ。ならばその目的を達成しようじゃないか。
……なんだかキャラが崩壊してきたのは気のせいか?
「――そうだね。それにしても……」
「「??」」
「水鏡君はすごいね。自分でお弁当作れるなんて……」
「……そんなにすごくないよ」
「すごいよ。……でも変だね」
「何が変なの? 千歳」
「?? ミユキ気付かないの?」
「え? 何が?」
「水鏡君だよ。水鏡君は今まで弁当じゃなかったじゃない? いつもミユキと一緒に購買のパン食べてたでしょ?」
「「え?」」
「何、そのリアクション? 私変な事言ったかな?」
――驚きだ。
相沢さんの言う事は、生き返る前と今とでは矛盾している。
前のマキは弁当派だったが、今のマキは食堂派らしい。
――どういうことだろう? 何でこんな所で違いが……。
そこで俺は先ほどの数学の件を思い出した。
つまり、これもあれも天使にお願いした結果……なのだろうか?
どういうことかはまだ分からないが、マキが生き返った後では、『弁当を持参してこない』人物になっているようだ。
分からない事だらけだ。これも一度天使に会って、確認を取らなければならない。
「――え? ううん。大丈夫。大丈夫だよ。ね、マキ?」
「う……うん?」
俺がそう言うと、マキはなんとか俺に合わせて頷いた。
――後でこの事を話し合わなきゃな……。
俺もまだよく理解していないが、今までの状況の変化を見て『生き返った後』の事が少しだけ見えて来た気がした。
「――さっきから箸が止まってるよ、千歳」
「あ、ごめんなさい。私お喋りだから」
と、いう事で昼食が開始された。
俺たち三人は仲良く、談笑しながら昼飯を食べていたのだが、
「――うう……」
俺の身体に少し異変が起こる。
「――ヨシ……ミユキ? どうしたの……?」
隣のマキが俺を覗き込む。
それにつられて相沢さんも俺を見た。
「――お腹いっぱい……」
「え?」
「??」
俺の腹は満腹になっていた。
さて、これだけだと何の事だか分からないと思うので説明すると、俺は猛烈に腹が減っていた。
そこでいつものように重めの惣菜パンを三つ購入した。
ミックスサンド、チキンカツサンド、そして特大メンチカツサンドの三つだ。育ちざかりの男なら普通に食べられる量である。
実際俺もそのつもりで食べた。
そこで俺の身体は食欲よりも満腹中枢が先に限界を超えた。
簡単に言うと今の身体にこの食事量は酷だったのである。
――俺の胃はこの程度も入らないのか?
食べたいという気持ちより、身体が先に音を上げた状態に俺は戸惑う。
そこで改めて『今は女の子の身体』なんだなと再認識した。
「――そりゃそうでしょ、ミユキ。そんな重そうなのいっぱい……」
「うう……」
「カロリー高そうだけど、大丈夫?」
「え?」
「カロリーよ、カロリー」
「??」
俺は一瞬、相沢さんの言っている事が理解できなかった。
そこでマキが俺に聞こえるように、
「――太る……」
と、耳打ちしてくれた。
――なるほどね。
そう言う事か。女の子にとってカロリーは大敵。それなのに俺はガツガツと食っていたのだ。
――今度から気をつけよう……。
そう考えると、俺は苦笑いを浮かべるしかない。
「――ミユキ……」
「ん? マキ?」
「パンが残ったならボクにちょうだい……」
「え? ああ……」
「水鏡君、足りないの?」
「……ん」
どうせもう食えそうにないので、俺はマキにパンを渡した。
――自分の弁当を食べたのに、まだ腹が減っているのか?
俺はパンを頬張るマキを見ながらそんな事を考えていた。
「――この身体になってから、どうも食事量が増えたんだ……。足りなかった……」
不思議そうにマキを観察していたら、マキから小声でそう言って来た。
どうも俺とは逆らしい。
マキもマキで身体が男なワケで、胃袋も女の子時代とは別の様だった。俺と同じく変化が起こり、食事量が変わったのだろう。
俺とマキは、互いの身体の変化に戸惑いながら、昼食を終えるのだった。




