寂しさとの戦いと姫との出会い
「行ってきます」
始業式の朝。僕は家を出ると、いつものようにみたきちゃんを迎えにみたきちゃんの家まで向かう。
高校二年生になったけれど、いつもと変わらない毎日……いや、違う。
「……みたきちゃんはいないんだ」
みたきちゃんの家まであと少し、というところでそれに気づいて来た道を引き返す。みたきちゃんは自分のために、僕のために、大人になろうと海の向こうで頑張っているんだ。
もしもみたきちゃんの家にたどり着いて、インターホンを押してみたきちゃんを呼ぼうものなら、みたきちゃんの両親に悲しい顔をされてしまうだろう、現実を受け止められない可哀想な人間だと思われてしまうだろう。春休みの時はその事実を認識出来ていたのに、学校に行く時は毎日みたきちゃんと一緒だからついつい勘違いしてしまった。みたきちゃんが隣にいない通学路はどこか違和感があるけれど、きっとすぐに慣れるのだろう。
「おー、同じクラスだな。よろしく高下」
「うん、こちらこそ」
煉獄君に郡山さん、白金さんに百瀬さんに乾さんと、僕の知り合いは一通り同じクラスになるという、僕にとっては何とも都合のいい展開だ。煉獄君と喋りながら、教室にやってくるこれから一年間一緒に過ごす仲間達を眺める。平凡ながらもいい人そうだなと安堵していた僕だったが、教室に入ってきた一人の女の子に目を奪われてしまった。
「……おはようじゃ」
「姫、おはようございます」
「姫と同じクラスになれて光栄です」
「う、うむ」
姫と呼ばれているその女の子は、まさしく僕達とは次元が違う存在のように思えた。
美しい黄色の髪は歩くだけでファサ、なんて擬音が聞こえてきそうで、透き通った青色の瞳は全てを見透かしているようだ。ヨーロッパの人だろうか、たまにヨーロッパの人間はを美形だらけだと言う日本人がいるけれど、彼女程の容姿を持つ人間は本場でも早々お目にかかれないのではないだろうか。
全盛期の時さんですら曇ってしまうだろう圧倒的なオーラを発しながら、彼女は少し退屈そうに自分の席に向かう。
「誰?」
「何だよ高下、姫知らないのかよ。本名は……何だろうな、皆が姫って呼んでるしわかんねえや」
自分のクラス以外の事情には疎い僕が無知っぷりを晒していると、呆れたように煉獄君が彼女の説明をしようとするが、煉獄君も名前がわかっていなかった。
「……姫宮=コレット=姫女良じゃ。よろしく頼むぞ」
「は、はい。よろしくお願いします」
そこそこ距離の離れた場所でこそこそ話していたつもりだったのだが、本人に聞かれてしまったようでわざわざ彼女はこちらまでやってきて名乗り出す。その声は高圧的な感じがするが、それでいて他人を不快にはさせないような、絶妙なトーン。そしてトイレにでも行くのか、教室を出て行ってしまった。
「意外と地獄耳なんだな……まあ、すごく美人で、家もお金持ちらしいし名前も姫が入ってるから、姫って皆が呼んでるらしいぜ」
「言われてみればお姫様っぽいね、僕もついつい口調が畏まっちゃったよ」
「本当に可愛いよなぁ……」
「いい度胸じゃねえの」
「いでででででっ」
彼女がいるというのに他の女を褒めた煉獄君は、笑顔の裏に怒りを隠す郡山さんに頬を思いきりつねられる。一年退屈しなさそうだなとその光景を眺めて思うのだった。
その後始業式をして、自己紹介をして今日は解散。親睦を深めるということで、クラスの男子と一緒にカラオケで遊んだ後、いつものようにみたきちゃんを迎えにワークハウスへ向かう。
そしてみたきちゃんが仕事を終えるのを外で待っていたのだが、30分ほどしてあることに気づく。
「そっか、みたきちゃんはいないんだ」
朝にも同じやり取りをしていたのに、僕は痴呆になってしまったのだろうか。不謹慎な言い方かもしれないけれど、これじゃみたきちゃんと同レベルだ。いや、みたきちゃんですらこんな過ちは犯さないだろう。全ては僕の心の弱さが招いた結果だと悔い改めながら一人家に戻る。そして一人ゲームをして、家族と夕食を食べて、お風呂に入って、テレビを見て、そろそろ寝るかと布団にもぐる。これから約一年間、みたきちゃんのいない生活をしないといけない。だからみたきちゃんの事を考えるのは辛いだけなのだが、どうしても目を瞑るとみたきちゃんの事を考えていて、気づけば僕は一人自分のソレを慰めていた。
今までだって、一人でその行為をやっていた。僕は自分の欲望を体現したような汚らわしいモノでみたきちゃんを穢すような真似はしない。みたきちゃんといつもやっているのはお医者さんごっこ。ほとんどお互い裸になって、体をまさぐりあったりして、みたきちゃんも僕も気持ちよくなる程度。みたきちゃんを家に帰した後に、余韻に浸りながら一人ソレを慰めて発散させるという、馬鹿みたいな、けれど愛のある行為だった。けど、今の僕はただ寂しくて、ムラムラしてやっているだけ。なんて虚しいのだろうか。これから一年、僕はこの寂しさと虚しさに耐えなければいけないのか。いや、耐えてみせる。耐えなければいけないんだと、少し臭くなったティッシュペーパーをゴミ箱に捨てて、目に涙を浮かべながら布団にもぐって眠りに落ちる。
1ヶ月後。
「……みたきちゃん……みたきちゃん……」
1年どころか1ヶ月だって耐えられそうにない。ゴールデンウィークが明けた朝、僕は教室で天を仰ぎながらぶつぶつと廃人のようにつぶやいていた。
「なあ、高下最近おかしくね?」
「なんでも、彼女さんが手術でしばらくアメリカに行ったらしくて逢えないそうよ」
「そりゃ大変だな……」
心配そうに僕を見る煉獄君と郡山さん。心配してくれるのはありがたいけど、いつでも逢えるカップルなんかに心配されたら逆効果だ。
僕は財布からみたきちゃんの写真を取り出して眺める。まるで亡くなった人を偲んでいるようで嫌だけれど、こうでもしないと僕はおかしくなってしまいそうだ。
「高下君、それが高下君の彼女さんですか?」
彼氏ができたことで前よりも社交的になった乾さんが、ひょいとみたきちゃんの写真を覗いてにこやかに話しかけてくる。
「そうです、このコが僕の畏敬する天使様なのです」
「……」
顔色を引きつらせながら、白金さんと百瀬さんの席の方に逃げていく乾さん。実は僕は既におかしくなっているのだろうか。みたきちゃんが大人になって帰ってくる頃には、今度は僕が壊れていた……なんてロミオとジュリエットじゃあるまいし笑えない話だ。
でも大丈夫、今は禁断症状が出ているけれど、峠を越えれば後は楽なはずだ……と自分を必死で落ち着かせようとしている僕だったが、この日の授業は結局全然身に入らなかった。
「帰ろうぜ、高下」
「うん……」
放課後、僕を心配してくれているのか煉獄君が一緒に帰ろうと誘ってくる。
皆が僕を心配してくれているのだ、期待に応えないといけないと少し持ち直した僕が談笑しながら下駄箱に向かうと、僕の靴の上に便箋が入っていた。
「……おい、それって」
「うん、多分、アレ、だよね」
ドキドキしながら封を切って中の手紙を読む。
『高下中様。 話したいことがあります。 放課後、2階にある障害者用トイレまで来てくれませんか』
シンプルながら可愛らしい文字。まぎれもなくこれはラブレターだ。
「煉獄君の悪戯?」
「アホかよ、彼女と逢えなくて寂しい奴に悪戯のラブレターとか趣味悪すぎ」
「だよね、じゃあこれ本物なのかな」
「ま、出されたからには返答しないとな。彼女が戻ってくるまで付き合うとかどうよ」
「いくらなんでもそれは人が悪すぎるよ」
「だよな、とにかく俺は先に帰るぜ」
煉獄君と別れて、僕は指定された場所に向かいながらどんな子なのだろうかと想像していたが、ある事に気づく。……障害者用トイレ? どう考えたって人を呼びつけて話をするには不自然なところだし、告白だったらもっと有り得ない。一体相手は何を考えているのか。やっぱり悪戯なのだろうかと疑問に思いながらも2階の人気のない場所に申し訳程度に設置されている障害者用トイレの扉をコンコンと叩く。
「どうぞ」
扉越しではっきりとした声はわからないけれど、どうやら女性の声のようだ。悪戯ではないのだろうか。
「入ってもいい?」
「うむ。ああ、鍵を閉めるのを忘れていたから入ったら鍵をかけてくれんか」
手紙の主に入ってもいいかを確認するとそう返ってくる。この口調は、まさか。
「こんなところに呼ばれてのこのこ来るとは、お人好しじゃな。それとも意外と阿呆なのか?」
扉を開けると、そこには姫……姫宮さんが、用を足すでもなく、普通にトイレを椅子替わりにして携帯ゲームで遊んでいた。




