夏の二人
「前評判通りなかなか深い作品だったね。でも欲を言えば、ちょっと大衆向けにしすぎたんじゃない?」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。中途半端に大衆向けにするくらいなら、突っ切って欲しかったな。大体原作がね……」
夏休み。仙人五衰だか知らないけれど、三滝が見たいと言っていた映画を二人で見に行って、その後に喫茶店でお茶をしながら三滝の話を聞いていた。嬉しそうに原作について話す三滝だが、正直僕は映画の内容をあまり理解できなかった。いつのまにか三滝に置いて行かれているような気がして、彼氏としては気が気でない。何と言えばいいのだろうか、ある程度は男の方に精神的優位性がないと、彼氏彼女というものは成立しないと聞く。妻の方が年収が多い場合、離婚率も高いとかそんな感じのものだろう。僕のちっぽけなプライドが、劣等感を募らせて、焦りを生むのだ。
「ふうん、僕も原作読んでみようかな」
「うんうん、それがいいよ」
けれど、プライドが、劣等感が、焦りが全て悪い方向に行くとは限らない。それをモチベーションに、成長できる人間だっているのだ。三滝がすごいと尊敬するような男になってやろうじゃないの。
「……っと、ごめん三滝。もう夏期講習に行かないと」
喫茶店を出る頃には、午後の4時。丁度この近くにある学習塾に僕は通うことにしたため、名残惜しいが今日のデートはこれでおしまいだ。
「うん、わかってるよ。受験生だもん、夏休みは勝負だもんね。……っていうか私も中君と一緒の大学に行きたいんだった。私も塾にちゃんと通って猛勉強しないと駄目かなあ。何せ中学受験も高校受験もしてないから、イマイチ受験の厳しさがわかんなくってさ。そういうとこ駄目だよねえ、私」
小学校ではそれなりに勉強ができて、でも性格は少し歪んでて、中学受験をして、高校受験をして、県内有数の進学校に通って、突然人間不信になって引きこもって、大切な人を性欲処理の道具としか見れないような時期もあって、特に夢はないけど尚も受験勉強を続けるエセエリートの僕と、知的障害者と馬鹿にされながらも真っ直ぐに生きて、養護学校に通ってパンを作って、手術で人並みの知能になるだなんて神様にも愛されて、やりたいこともきちんとある三滝。ため息をついて自分を卑下する彼女ではあったが、どちらが魅力的な人間かなんて明白だ。
「猛勉強はしないといけないけど、塾に通う必要があるかどうかは別問題かな。一人で黙々と勉強した方が効率いい人もいれば、大勢の人と一緒じゃないと勉強が捗らない人もいるし。僕みたいな大抵の学生は、大勢の中で勉強するのに慣れてるから。でも三滝はそうじゃないから、独学の方が性にあってるかも。頭が空っぽの方が知識を詰め込みやすいっていうし、今から半年、きちんと勉強すれば県内ならいいとこいけるよ」
「ひっどーい、私の頭が空っぽだなんて。それに中君と一緒の塾で勉強したいよ。でも私授業中静かに勉強できる自信がないから中君に迷惑かけそうだなぁ……それじゃ、勉強頑張ってね!」
ぷくーっと可愛らしく頬を膨らませ、すぐに笑顔になって手を振り去っていく三滝。そんな彼女を笑顔で見送ると、僕は近くにある学習塾に向かい、特進コースの教室へ向かう。高校受験の時と同じく、授業が始まってなくても皆空いた時間で自習をしている。そんな彼等を見ていると、僕も頑張らないとという気持ちになる。塾独特の空気が、僕は結構好きだったりする。知り合いは一人もいない、周りは全員ライバルという環境だけど、そういうストイックな環境の方が僕は勉強に集中できるのだ、多分。勉強に集中して、学力をあげて、いい大学に入って、それから何をするかなんて全く考えてないけど、今は勉強しておけば間違いはないのだ。
「ふう、疲れた……」
数時間後、たっぷり知識を吸収して心地よい疲労感と共に塾を去り、特に目的もないけれどぶらつく。まだ終電までは時間があるし、もう高校三年生だし、そのくらいの夜遊びは許されるだろう。
「いぐっ、いぐっ、もうこの仕事やめたいよぉ……」
「時さん……」
屋台がずらりと並ぶ通りを歩き、30年後にはここらへんに足繁く通っているのだろうかと考えていると、偶然にも時さんがおでん屋台で酔いつぶれているのを発見してしまった。ちょっと白髪になってきたたみたいだけど、髪の色が目立つからすぐわかる。
「アフィリエイトで不労所得したいよぉ……でももう転載禁止になって、ひぐっ」
「よく意味がわからないけど、元気だしなよ時さん」
「そんなにお酒強くないのに、客の奢りだからってついついおねだりしちゃって……」
「それは自業自得じゃないの……?」
「常連さんにネックレスが欲しいって言ってたら、3人からネックレス貰っちゃって。そんなわけで、客に応じてネックレスをつけかえないといけないの」
「悪女だね」
社会人の愚痴を聞くのは若人の務め。お酒は付き合わないけれどおでんを頬張りながら、時さんを慰めたりしていると、後ろからとんとんと肩を叩かれる。
「ちょっと高下君?、何やってるのこんなところで。未成年が飲酒?」
「……! せ、先生違うんです、この人は僕の従姉で……って白金さんか、びっくりさせないでよ」
「がはは、なかなか声真似うまいだろ。指導されてるうちに自然と覚えたんだぜ」
「何の自慢にもならないね」
高校の生徒指導の女教師の声にびっくりして言い訳をするが、実際には生徒指導ばかりされている白金さんだった。白金さんは時さんの横に座ると、初対面なのに馴れ馴れしく絡み始める。
「姉ちゃんこいつの知り合いか? その見た目からしてキャバ嬢だろ、いいなあキャバ嬢。ウチ憧れてるんだよね、高校卒業したら大学行ってテニサーでヤリまくるか、キャバ嬢として煌びやかな夜の街でカリスマを発揮するか、風俗やAV女優として汚れながらも男に夢を与えていくか、うーん悩む」
「酷い子ね……でも、私もそのくらいはっちゃけてたら、10年もガタガタ家で震える必要なかったのかしら。あの頃に戻りた……いや、戻りたくない……」
白金さんが時さんのような状況になったとしたら、開き直ってその道に進んだことだろう。それがいいのか悪いのかはともかく、時さんと白金さんはお互いを羨ましがっている。いつのまにか僕を置いて二人で盛り上がり始めたので、僕はこっそりとその場を退散することにした。
「中君、模試の結果どうだった?」
塾の無い日も、家で三滝と勉強会。息抜きにデートに行ったりもして、健全な受験生としての夏休みを過ごせそうだ。センター用の化学本と睨めっこしている三滝が、ふと思い出したように僕が少し前に受けた模擬試験の話をしだす。
「うん、とりあえず県内ならどこでも大丈夫かな」
伊達に県内有数の進学校に通っているわけじゃない。学校でレベルの高い授業を受けているだけでも、僕の学力は平均よりもかなり高くなっているということだ。勿論慢心してこの時期に遊んだら台無しなのだが。
「いいなあ……私は来週ある高認の試験は大丈夫そうなんだけど、こないだセンターの過去問解いてみたら英語以外4割程度だったんだよね……」
「まだ数か月あるし大丈夫だよ。大体国立以外ならセンターいらないし」
「でも中君は国立狙うでしょ? とりあえず県内で一番いいとこを狙うんでしょ? 中君の考えてることはお見通しだよ」
「ははは……」
伊達に三滝も僕と何年も一緒にいるわけではないようだ。その辺の私立大学を挙げれば三滝に遠慮していると見破られ、やりたいこともないし、県外に出てまでレベルの高いところを狙おうとも思ってないし、とりあえず県内で一番いい国立大学を狙おうという僕の考えも見破られてしまった。けど、そんなに一緒の大学に行きたいものだろうか。別の大学に行ったって家は近いんだし、同じ大学に入ったって、三滝は福祉とかの学部を狙うそうだから、とりあえず理系で工学部あたりを狙ってる僕とじゃ授業も違うだろうし。僕も三滝のことを大切に想っているつもりだけど、どうにも温度差を感じてしまう。その温度差が、いつか亀裂を生まないように祈りながら、目の前の数学の問題と戦うのだった。




