9話
館の一室は、まるで法廷のように冷え切っていた。
俺とソフィアお嬢様が座る長椅子の向かい
テーブルを挟んだ先には調査団の隊長と名乗る男が一人腰掛けている。
その後ろには、書記官と騎士が二人が壁のように直立していた。
隊長の男は、ただ机に置かれた『王命の羊皮紙』だけを見つめ、無機質で乾いた声で言った。
「――では、法務規定に基づき、初期調査を開始する。『異端及び違法薬物製造の嫌疑』について、申し開きを聞こう」
その声は、部屋の空気をさらに凍てつかせる。
一切の感情論が通じなさそうな凍えた法というルールによって縛られた空間だ。
俺の隣で、お嬢様が息を詰めるのが分かった。
膝の上で固く握られた彼女の拳が、ドレスの生地を強く握りしめている。
来たな。
聖女と王子が放った『法』という名の犬が
だが、その鎖を握るのは、果たしてどちらか
俺は内心の思考を完璧に隠蔽し、ただ静かに、その男の次の言葉を待っていた。
俺は静かに立ち上がり、まずはお嬢様に向き直って恭しく一礼した。
「お嬢様、私めにこの場で発言する許可を頂けないでしょうか」
お嬢様は、何かを言おうとして口をつむぎ、ゆっくりと頷いた。
その指先は、まだ固く握られたままだ。
その許可を得て、俺は隊長に向き直った。
「お答えいたします、隊長殿。ですが、その『違法薬物』の嫌疑は、我々が告発しようとしている『より重大な王国法違反案件』と『直接の関連』がございます。法の手続きとして、どちらの案件を優先して処理すべきか、ご判断いただきたい」
隊長の視線が初めて羊皮紙から離れ、俺の顔に向けられた。
そこには何の感情も読み取れない。
ただ、手続き上の異物を検分するような、無機質な光があった。
「……関連性があると? まずは、王命である『違法薬物』の件について述べよ。告発はその後に聞こう」
……なるほど。手順書通りの対応か。ならば、手順書にはない『証拠』を提示するまでだ
部屋の扉にむかって静かに合図をする。
するとやがて扉が開き、待機していた「山の民」のリーダーが入ってくる。
彼は俺とお嬢様に一礼した後、隊長の前に進み出て、持っていた麻袋の中身をテーブルの上に無言で置いた。
ごろり、と鈍い音を立てて転がったのは、数本の獣の牙と、不気味な光を放つ魔石。
そして、その隣には、薬草を練り固めて作られた、小さな黒い丸薬が十数個並べられた。
隊長の視線が、俺の顔から、テーブルの上に広げられた『物』へと、ゆっくりと落ちた。
ーー部屋の空気が、再び動かなくなった。
リーダーは、隊長の無機質な視線をものともせず、淡々と、しかし抑揚に怒りを滲ませて証言を始めた。
街の市場で資源を売ろうとしたこと。
突如現れた『白百合の救済ギルド』と名乗る集団に囲まれたこと。
そして、彼らが牙や魔石を「聖女様が管理される神聖物だ」と称し、市場価格の数分の一という不当な値段で買い叩こうとしてきたこと。
その全てを、事実として述べ立てた。
証言が終わっても、隊長は動かない。
ただ、書記官の羽ペンが羊皮紙を引っ掻く音だけが響いていた。
……情報を入力している、か。良いだろう。ならば、次の処理に移ってもらう。
俺は、再びお嬢様に向き直り、彼女の耳元に顔を寄せた。
実際には何も告げず、ただ一瞬の間を置いてから、ゆっくりと身を起こす。
「――なるほど。さすがお嬢様。それでは僭越ながら、お嬢様のご指摘を私が代弁いたします」
その芝居がかった一言の後、俺は隊長へと向き直った。
お嬢様は少し目を瞬かせいかにも驚きを隠しているそぶりだが、まあ良しとしよう。
勢いも大事なのだ。
「隊長殿。お嬢様のご指摘の通り、ここに二つの『矛盾』が生じます」
俺はテーブルの上の牙と薬を、それぞれ指差す。
「もし、我々が作ったこの薬が『違法』であるならば、聖女様のギルドは『違法薬物の原材料の買い占め』という、重大な犯罪行為に加担していたことになります」
「逆に、もし、この薬の材料が『神聖物』であり合法であるならば、聖女様はその権威を利用して市場を独占し、不当に価格を吊り上げている。これは王国の経済活動を著しく阻害する『重大な市場介入』の可能性を意味します」
俺の言葉に、隊長は初めて、口元だけで微かな反応を見せた。
それは嘲笑とは違う、論理の瑕疵を指摘する機械のような動きだった。
「……詭弁だな。それはお前たちの『解釈』に過ぎん。聖女様が『神聖物』を管理することに、何の問題がある?」
俺は、隊長の反論に、静かに首を横に振った。
「『管理』ではありません。『独占』です。そして、その『独占』によって不当な『価格吊り上げ』が行われているという『疑惑』が、今この場で発生しました」
俺は一歩前に出て、テーブルに置かれた証拠品を指し示す。
「我々が『違法薬物』を作ったかどうかの『嫌疑』と、聖女様が『違法なカルテル』を結んでいるかどうかの『疑惑』
ーー法務局の調査官殿、あなた様が『王命』によって調査すべき『王国への脅威』は、果たして、どちらが重大でしょうか? この証人と証拠(牙と薬)を前にして」
部屋が、再び静寂に支配された。
書記官の羽ペンが止まる。
隊長の男は、表情を一切変えないまま、テーブルの上の一点を見つめていた。
それは感情の揺らぎによる沈黙ではない。
法という名の天秤が、二つの案件の重さを計測している、無機質な時間だった。
数秒か、あるいは数十秒か。
やがて、隊長は動いた。
彼は俺を見るでもなく、隣に控える書記官に向かって、乾いた、それでいて部屋の隅々まで響き渡る声で命令を下した。
「……証人の証言を、一言一句違わず記録しろ」
書記官が、慌ててペンを走らせる。
「証拠品(牙と薬)を押収。『聖女のギルド』に対する『市場独占および不当な価格介入の疑惑』を、本件調査対象に『追加』する」
隊長はそこで一度言葉を切り、まっすぐに前を見据えたまま、宣言した。
「――これは命令である」
かかったな。
お前は感情に流されたのではない。
自らの『正義(法)』に従い、俺の仕掛けた『檻』に、自ら入ったのだ
俺は、内心の冷たい満足感を完璧に押し殺し、ただ完璧な執事として、深く頭を下げた。
敵の放った矢を掴み、そのまま敵の心臓へと投げ返す。
そのための第一段階が、ーーー今、完了した。
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