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10話


調査団が谷の向こうへ消えた翌日。


俺たちの領地には、奇妙な活気が戻っていた。



「山の民」が命がけで持ち帰った穀物により、差し迫った飢餓は回避された。


そして、痩せこけた土地では、領民たちが鍬を手に、土を耕す作業が始まっている。



獣の骨を砕いて撒く、地道な土壌改良。その手つきはまだおぼつかないが、昨日までの、ただ死を待つだけだった虚無の色は、彼らの瞳から消えていた。



ソフィアお嬢様が、その光景を見つめながら、俺に問いかけた。


「……ヴィンセント。調査団は去りましたが、聖女様がこのまま黙っているとは思えないわ」



その声には、領主としての責任と、現実的な脅威への認識が混じっていた。


俺は、執事として、恭しく一礼する。



「おっしゃる通りです、お嬢様。ですが、ご安心を。打つべき『次の一手』は、すでにご用意してございます」







ーーー調査団が出発する、直前のことだった。


荷造りを終え、馬上の人となった隊長の前に、俺は進み出た。


彼は、俺の顔を見ることなく、ただ出発の合図を待っている。その横顔は、法典の条文そのもののように、何の感情も映していなかった。



俺は、一つの小さなガラス瓶を、白い布に包んで恭しく差し出した。


「隊長殿」


男の視線が、初めて俺の手元に落ちる。



「これは、我々が『違法薬物』の嫌疑をかけられました『薬』の、空き瓶でございます。これも『証拠品』の一つとして、聖女ユナ様ご本人に、直接お届けいただけますかな?」


隊長の動きが、止まった。


俺は、完璧な執事の笑みを浮かべて続ける。



「我々の潔白と、聖女様への揺るぎない『敬意』を示すために、ぜひ」


隊長は、何も言わない。



だが、その沈黙こそが、彼の葛藤を物語っていた。


法務官として、彼は被疑者からの私的な依頼を受けるわけにはいかない。


しかし、被疑者から提出された『証拠品』の受理と、関係者への提出を、法の名の下に拒否することもまた、できない。



俺は、その小瓶に添えて、もう一つ、折りたたんだ羊皮紙を差し出した。



「こちらは、差出人不明の『参考資料』です。この薬が、どのような経緯で生まれたかについての記述が。これも併せて」



数秒の静寂の後、隊長は無言でそれらを受け取り、自身の鞄に無造作に押し込んだ。


彼は最後まで俺と目を合わせることなく、「出発する」とだけ短く告げ、部隊を率いて谷の向こうへと去っていった。




王都の、陽光が降り注ぐ一室。



部屋の主である聖女ユナは、目の前に立つ男の報告を、完璧な笑みで聞いていた。



調査団の隊長。その男の、抑揚のない声が、静かな部屋に響く。


「――以上の理由により、『聖女のギルド』に対する『市場独占および不当な価格介入の疑惑』を、本件調査対象に正式に追加した。追って、ギルドマスターへの聴取が行われる」



ユナは、優雅に頷いた。


「ご苦労様です、隊長殿。王国の法の正義が、速やかに示されることを信じておりますわ」



報告を終え、隊長は一礼し、踵を返そうとした。だが、思い出したかのように動きを止め、懐から一つの包みを取り出す。



「……それと、被疑者より、聖女様への『関連証拠品』として、これを」


隊長は、あの『空き瓶』と『メッセージカード』を、公務としてユナの前に差し出した。



ユナは、その優雅な笑みを崩さぬまま、それを受け取る。

そして、彼女はカードを開いた。




「――市場いちばの評判はいかがかな? タヌキ殿。 From あなたの『ビジネス』を心から応援する者より」




その文字を、ユナの瞳が追った瞬間。


文字通りユナの時が、止まった。



彼女の指が、メッセージカードの上で凍りつく。



完璧に計算され尽くした聖女の笑みが、わずかに、ほんのわずかに引きつった。



彼女は一度だけ、深く、静かに息を吸い込んだ。



まるで、感情の奔流を、その一呼吸で堰き止めようとするかのように。



「……ご苦労様でした」


その声は、鈴を転がすようだった。



だが、どこかガラスが軋むような、微かな響きが混じっていた。



隊長が、音もなく一礼し、部屋を退出していく。



扉が閉められ、部屋に一人が残される。





ユナは、動かない。






ただ、そのカードを見つめている。





やがて、彼女は、そのカードを、音もなく、ゆっくりと握り潰した。




怒声も、破壊音もない。


ただ、静寂の中で、彼女の瞳に、冷たい、底なしの憎悪の光だけが宿っていた。




辺境の領地。



俺は、ソフィアお嬢様と共に、領民たちの姿を見ていた。



彼らは、まだ必死の形相で、だが、確かに自らの意思で、痩せた大地を耕している。その額に浮かぶ汗は、もはや絶望の色をしていなかった。




俺は、王都のある方角に視線を向けた。


(……『挨拶』は届いたはずだ。タヌキよ。お前が次に打つ手は読めている。だが、その前に、俺はこの『地獄』を『城塞』に変える)



俺は、目の前の、まだ何も生まない大地へと、視線を戻した。



これからお前を破滅に導くーー



【第一部 完】




まずは感謝致します。。

ここまで読んでくれた方本当にありがとうございます。

私にとってはここまで読んでくれる方は居ないだろうとそんな軽い気持ちでいました。



皆様から頂いた応援もあり、この物語とキャラクターたちを、より深く、より壮大なスケールで描きたいという想いが日に日に強くなりました。

そして最近の私的な出来事により時間が制限され


絶対に描きたい!!と強く感じました。


しかし現在のプロットでは、その構想を十分に表現しきれないと判断いたしました。


誠に勝手ながら、現在の物語はここで一度【第一部 完】とさせていただき、より練り込んだプロットと設定に基づいた【リメイク版】として改めて第一話からお届けする準備を進めております。


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リメイク版 執筆開始いたしました!


皆様が改めて読んでいただけること楽しみにしております

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