結:紙を先に置く
翌日。午前の会議室は窓が広く、港のクレーンが遠くに見えた。港湾課の担当二名、指定管理者の現場監督、そして市影譚の四人。机の上にはA4の紙束だけ。
「では短報の共有から。三枚です」
桂一は最初の紙を前に滑らせる。言葉は短く、箇条書き。
―――――
短報(公開版・抄)
安全運用
・見学は短時間、柵に触れない。驚いたら立ち止まらず通行を優先。
・通路の詰まりは階段口と通路角で起きやすい——誘導で解消可。
見え方の条件(断定せず)
・水:表層水100mlを暗所で振動3回→微弱発光(夜光の反応)。
・光:橋照明の調光は触らず。PWM≈980Hzの“脈”を無接触で記録。
・写真:シャッター速度が遅いほど“人影様”に伸びやすい。肉眼は短い帯止まり。
表現
・呼称は**「青い揺れ」**で統一。心霊の断定は行わず、扱い方を先に共有。
提出:港湾課/指定管理者/商店会/市影譚サイト
―――――
「次に掲示の常設案です。位置は三カ所。高さは目線で固定」
―――――
来訪者向け掲示(最終版・A5)
この場所では、夜に青白い揺れが見える日があります。
※この現象は心霊現象ではありません。水中の夜光(発光プランクトン)や照明のちらつきが重なって見える“小さな光”として扱っています。
・驚いたら立ち止まらず、安全を優先してください。
・撮影は短時間で。設備や柵には触れないでください。
掲出:市影譚(担当:相沢)/連絡:____
―――――
「維持は?」と港湾課。
「指定管理者さんの巡回でテープの角だけ点検。剝がれた時だけ貼り替えで十分です」
白鳥が二枚目の紙を示す。口調はいつも通り乾いているが、わかりやすい。
「照明設定は触りません。運用で避ける提案だけ入れます」
―――――
巡回・点検の提案(運用覚書案)
・点検周期を“出やすい夜”の手前に寄せる(※下げ潮+南風+月齢8〜12)。
・巡回時間を20〜21時に厚めに設定(週末は+1人)。
・見学者が集中する日は階段口に掲示を一枚追加。
(設定の変更は所有者判断のみ。外部は記録・提案まで)
―――――
「うちは“落水ゼロ”が目的です。そこに寄るなら歓迎」と指定管理者。
「“青い揺れ”自体は町の話題にもなっていますから、煽らず安全でいきたい」と港湾課。
「言葉は私が回します。やさしい言い回しで統一するね」
相沢がメモを上げる。
「『月が少し欠けた南風の夜に出やすい』『満月は出にくい』。数字だけにしない。通路は返す、柵は触らない、ここは太字」
「住民の聞き取りは私が受けます。NPO経由の問い合わせ用にフォームを立てました」
成瀬がフォームのQRを渡す。「“幽霊タグ”は“青い揺れ”に——これで炎上も減るはずです」
「では、一旦これでいきます。記事の公開は?」
「今夕。掲示の写真と、**“写真で人影に見える理由”**の図版を添えます」
「助かります」
会議は三十分で終わった。紙だけ置いて、引き上げる。廊下に出ると、昼の光が眩しい。
◇
現場。昼の橋は静かだった。
相沢が位置写真を三点。正面、斜め、遠景。掲示の縁を指で押さえる。
「角、もうちょい圧着しておくね」
「お願い。——白鳥、ロガーのサマリは?」
「今、現場で口頭でいい? グラフは夕方に送る」
「一分で」
「PWMは約980Hzで安定。昨夜は波周期がよく合って“帯が伸びやすい”。照明の設定は良好。つまり、設定を変えなくても運用で十分避けられる」
「了解。“設定は触らない、運用で避ける”で行く」
成瀬が住民の追加ヒアリングをまとめて戻る。
「『週末は橋の上で詰まる』が複数。——掲示の上り口追加はやっぱり要ります」
「提案書に追記しておく」
必要な確認は終わった。四人は港の匂いをひと息分だけ吸って、事務所に戻る。
◇
午後、事務所。
桂一はPCの前に座り、記事の構成メモを開く。ブルーライトカットの眼鏡をかけるのは、ここだ。夜に眠るため、朝にすっきり起きるため。
相沢は隣で図版の仕上げ。図は二つ——「夜光の仕組み(揺すりで微光)」「PWM×水面反射のイメージ」。専門語は括弧で最小限。
成瀬は**「出やすい夜カレンダー」の文言を整えている。「南風の夜」「月が少し欠けた夜」。数字だけに頼らない。
白鳥はロガーのデータから相対明滅のグラフを書き出し、キャプションに“設定は触らず、巡回で避ける”**を添えた。
「タイトルは『青い揺れの扱い方』でいく」
「サブは『水の微光と光の脈、そして写真の中の人影』」
「いい。本文は三章だ。安全→条件→写真。心霊かどうかは書かない」
打鍵が進み、紙束の内容が画面の中に組み上がっていく。
途中、港湾課からメール。掲示の常設は前向き。巡回時間を20〜21時に厚めにする方向。上り口の追加掲示もOK。
「スムーズ。制度は敵じゃない、が今日も効いたね」
「ふふ、白鳥さんの決め台詞」
夕刻。写真と図版を並べ、短報(公開版)へのリンクを挿む。
相沢が最終チェック。「太字はここだけ。柵に触れない、驚いたら立ち止まらず。——OK」
桂一はプレビューを眺め、スクロールを止める。最後の一行にカーソルを置いた。
——“怖がる前に、扱い方を知る”。
「公開する」
「どうぞ」
ボタンが押され、記事は静かに公開された。
四人はしばらく無言で画面を見ていた。アナリティクスの曲線が、少しだけ持ち上がる。
「今日の仕事はここまで。現場は明日も見に行く?」
「行くよ。紙の端は、人の流れで決まるからね」
「カレンダーの反応も拾っておきます。問い合わせはNPOで受けます」
「ロガーのグラフ、夜までに送る。図版に使うなら縦軸はそのままで」
「ありがと。——撤収」
椅子が鳴り、電気が落ちる。窓の外で風が変わった。
港の水は、今夜もきっと静かに呼吸する。青い揺れは、恐怖ではなく扱い方の中で息をする。
すべての紙は置いた。あとは、街が使う番だ。
◇
最後に、記事末のクレジットだけをもう一度確認する。
取材=水野桂一/フィールド&図版=相沢由希/地域・環境=成瀬真(市民NPO)/制度・技術協力=白鳥匡(外部SE)。
この四人の並びがあれば、次も迷わない。
モニターの角が小さく光る。反応が来始めたようだ。
受信箱はまだ開かない。楽しみを少し残しておくことにする。




