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流星葬

作者: 暇庭宅男

古代ギリシアより、星に様々な意味を見いだして星座とし、私たちはロマンチックな物語を作り、読み、親しんできた。


星座として結ばれる星々は明るく輝く一等星あるいは二等星が大部分を占める。三等星からは固有名詞を持つものが徐々に少なくなり、記号と数字の組み合わせでのみ呼ばれる星は決して少なくない。


当然、宇宙に存在する星々の大半はおとぎ話に参加するだけの資格も持たず、ただ夜空の背景として撒き散らされた『星屑』でしかない。


ひねくれ者の私には、それがどうにも人の似姿のように思えて、昔からそれに思いを馳せるたび、なんとも寂しい嫌な気分になったことを覚えている。


夜空になぞらえるならば、大概の人間は六等星だ。明日その光が消えるように、命の終わりが来たとして、それはニュースには載らない。(地方紙のお悔やみ欄には載るが)

かつてベテルギウスの超新星爆発が近いのではないかと星を趣味にする人たちがざわめいたことがあった。巨星の最期には皆騒ぐ。天体ショーのように、光り輝く有名人の最期はエンターテインメントの1つとして消化される。


その差はなんなのか。星の等級とは光量の差がすべてと言い切れるように、その人生にあげた功績の差が、人の最期に対する反応の違いになるのだろうか。


人の命はそういうものでいいのだろうか。そこが喉に引っかかって、自分の年齢も中年に差し掛かろうというのに未だに飲み込むことができない。

今日も明日も、どこかで平凡な人がその最期を迎え、宇宙の何処かで星がその光を閉ざす。

それを私は知らないまま、弔うことも、看取ることもない。もしかしたら、誰にも顧みられず誰にも惜しまれぬ死が、あるのかもしれない。


それが悔しくて、かつどうにもならないことがますますいっそう腹立たしいのだ。

誰かの死を悼むこともなく、自らの死も悼まれることがない六等星。


平凡とはいったい何なのだろうか。無為から無為へ這いずるための道、夜空の背景に散りばめられた星の屑。六等星の断末魔は誰の耳にも届かない。ただ夜の静けさの中に、吸われて消えるだけなのだ。

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