第五回王配選定合議・1
昔むかし、あるところにゼニタ王国とヴァルハルタ王国という二つの王国がありました。
それぞれの国は王室の後継者問題やら何やら、なんやかんやの動乱が数年続いたのち、ゼニタには女王が、そしてヴァルハルタには王が新しく即位しました。
ゼニタの女王の名はベアトリス一世。ヴァルハルタの王の名はテオボルト一世。二人ともまだ二十代半ばの若い王です。
幼馴染でもあった二人は、動乱によって荒れたそれぞれの国を立て直すべく、協力関係を結ぶことを決めました。
二人の王がやるべきことは山積みでしたが、特に急を要したのがそれぞれの伴侶を探すことでした。せっかくなので二人は盟約に則り、お互いの伴侶の候補を探して紹介することにしました。
血筋が良くて有能な貴族の中から適当な人物を選べば、伴侶なんて簡単に見つけられる――。
そんな軽い気持ちで始まった王の伴侶探しは、思いもよらぬ困難の道を辿ることになったのです。
これは、そんな二人の王とそれを取り巻く人々のお話。
◇ ◇ ◇
『それでは、これより第五回王配選定合議を始めます』
王宮の奥深く、国の宝である魔鏡が置かれた交信の間に、硬い男の声が響く。
西のゼニタ王国と東のヴァルハルタ王国は隣国同士だが、その間には峻厳な大山脈があり、往来は容易ではない。
そのため直接使者を送るよりも早く連絡したい場合や、王たちの私的な交信にはこの魔鏡が利用されていた。
「……いい加減、決めてしまいたいものだな」
『ああ、この合議ももう五回目だからな』
女王の呟きに、魔鏡の向こうから国王の重い声が同調する。
そう、五回目。この王配探しの合議は既に五回目となっていた。
つまりこれまでに四回相手探しに失敗しているということである。
血筋が良くて有能な貴族の中から適当な人物を選べば、伴侶なんて簡単に見つけられるなどとのたまっていた者を一発殴ってやりたいところだが、ベアトリス女王もテオボルト王も己の顔しか思い浮かばないのでどうしようもないのだった。
「まぁ、とにかく顔合わせといこう。今回の候補はこちら、ジルバークランツ伯爵令嬢マティルデだ。歳は二十六でちょっと上だが、その分教養や礼儀は十分と言える。性格も落ち着いているし、健康面も問題ない」
と、女王は一人の貴婦人を魔鏡の前に立たせた。
マティルデは艶やかな栗色の髪の、見るからに優美な麗人である。上等なドレスから覗く豊かな胸元やほっそりとした首筋、柔らかな頬のラインなど、とても女性的で艶めかしい。
『こっちの候補は、シェーンバルト侯爵家の息子マクシミリアンだ。見ての通り、成人したての十六歳だが、血筋は文句なし。文武両道で肝も据わっている。
今はまだ半人前かもしれんが、このまままっとうに成長すれば将来有望と言っていい人材だろう。王配とするにも十分だとは思うが……』
テオボルト王の声とともに、魔鏡には一人の若者の姿が浮かび上がった。
マクシミリアンは柔らかな朽葉色の髪をぴしりと撫でつけ、唇を真一文字に引き結んだ、まさに紅顔の美少年といった風情の貴公子であった。
主君によって隣国の女王へ紹介されている間、若き貴公子は何故か驚いたように目を見開き、鏡面をじっと見つめている様子であった。
『あ、あの!』
突然、若者が声を上げた。
主君であるテオボルトの言葉を遮るようなその声に、魔鏡を挟んだ両国の者たちが一斉にマクシミリアンを見る。
『ぶ、無礼を承知で申し上げます、マティルデ殿……もしや、あなたは十年ほど前にヴァルハルタにお出でではありませんでしたか?』
「……はい、確かにわたくしは十年前は貴国に……いえ、あなた様のお屋敷に侍女見習いとして身を寄せておりました。お久し振りでございますね、マクシミリアン様」
そう言ってマティルデはほんのりと頬を染め、はにかむように微笑んだ。
『や、やはり! マティルデ殿、お会いしとうございました……!』
「そんな、もったいないお言葉でございます」
『まさかマティルデ殿が我が王の妃候補として選ばれていたなんて……。
陛下! 私も折角女王陛下の王配候補に選んでいただいた身ではありますが、今回のお話は辞退させていただきとうございます! そして私は、他でもないこのマティルデ殿を妻に迎えたく存じます!!』
『ほらやっぱこうなった! どうなってんだよこの合議!』
「どうしてこういう候補ばっかり出てくるのよ~~~!!」
女王と国王が同時にテーブルの上に突っ伏し、頭を抱えて悶える。なんなら口調も崩れた。
王たちの傍に控えていた近習たちにも脱力した空気感が溢れ、ここで第五回王配選定合議はあえなく閉幕となってしまった。
王配の選定が失敗続きなのは、両国が選ぶ候補がどういうわけだか合議で顔を合わせるや否やお互いに一目惚れをするなどして候補を辞退してしまうからであった。
適齢期で婚約者のいない貴族の若者はそう数が多くないとはいえ、五回連続となると凄まじい確率である。
『……はぁ、もういいよここまで来たら。ともかくなんでそういう結論になったかだけはちゃんと説明しろよ?』
ひとしきりじたばたした後で、テオボルト王は鷹揚に(あるいは投げやりに)マクシミリアンへ説明を求めた。
『大事な合議の場で勝手な発言をお許しくださり、ありがとうございます。先ほど申し上げた通りマティルデ殿は十年以上前、遠い親戚関係に当たる我がシェーンバルト侯爵家に行儀見習いへ参られ、そこで母や幼かった私の世話などをしてくれていたのです』
と、マクシミリアンは明らかに合議が始まる前よりも生き生きとした様子で説明を始めた。
ゼニタ王国とヴァルハルタ王国は長大な山脈に隔たれてはいるものの、隣国同士で昔から交流も盛んである。両国の王族や貴族の親戚関係も非常に密接で、マティルデの家とマクシミリアンの家に血の繋がりがあったとしても別段不思議ではない。
そして貴族が婚姻前の娘に箔をつけるために、格上の家へ行儀見習いへ出すこともそう珍しいことではない。
『マティルデ殿は幼かった私にとても優しく接してくれました。父も母も多忙故、いつも身近にいてくれるマティルデ殿は当時の私にとって一番の心の支えでした。しかも彼女は十年前、私が命の危機に瀕した時に身を挺して救ってくれたことがあるのです!』
「はぁ……いったい何が?」
頬を紅潮させ、少し興奮した様子で語るマクシミリアン。それを咎める気も失せたか、ベアトリスは興味なさげながら話を促した。
ちなみにこの時女王はだらしなくテーブルに頬杖を突き、傍仕えの者に飲み物を注文していた。
『はい、当家は侯爵という身分故に命を狙われることも少なくありません。普段は万全の警備を置いておりますが、十年前に物見遊山に出かけた折、川の近くで遊んでいた私を何者かが付き落すという事件がありました』
「忘れも致しません。悲鳴と大きな水音がして振り返ると、傍で遊んでいらしたマクシミリアン様のお姿が見えず、その代わり茂みの向こうへと走り去る人影がありましたが、わたくしのいたところからではそれが誰だったのかさえわかりませんでした。咄嗟に川面を見渡し、水の中でもがいておられるマクシミリアン様を見つけた瞬間、本当に心臓が凍り付くかと……そこからはもう、無我夢中で、はしたないとか自分が溺れるかもしれないだとかは少しも考えず、とにかく川に飛び込んで泳いでおりました」
そう言って、マティルデは恥ずかしそうに頬を押さえ、マクシミリアンの説明を引き継いだ。
結論から言うと、マクシミリアンを川に突き落としたのは他家の息がかかった侍女の一人であったらしい。侯爵家の子息を殺害し、あわよくば夫人を追い落として侯爵の後妻に収まろうという腹積もりであったようだが、マクシミリアンはマティルデの必死の救助によってすぐに助けられ、犯人も兵士によってすぐに捕らえられて罰せられたという。
命を狙われたマクシミリアンは冷たい川に落ちたために多少熱を出したが、それ以外に大きな怪我もなく、すぐに回復した。むしろ侯爵夫妻はマティルデの勇敢さを称え、深く感謝したそうだ。
しかしちょうどその頃、マティルデは実家から縁談があるから帰国するようにとの報せを受け、マクシミリアンの回復を待たず侯爵家を辞した。その後両国は徐々に内戦状態となり、連絡もまともに取れなくなって現在に至る、というわけである。
『私も両親も、マティルデ殿の身をずっと案じておりました。あれほど素晴らしい女性なのだから、きっとよい相手に恵まれて幸せに暮らしていると思っておりましたが、今日こちらに王配候補として参られているということは……』
「マクシミリアン様のお察しの通り、わたくしはずっと未婚でございます。十年前にあった縁談のお相手は、まもなく起きた政争によって失脚されてしまい、その後は結婚どころではなく家族とともに領地を守るのに精いっぱいでございました。しかしまさか、このような場でマクシミリアン様のお姿を再び目にすることができ、さらにはわたくしのような行き遅れに求婚までしていただけるなんて……ああ、もう胸がいっぱいです」
『そんな、行き遅れだなどと! あなたは十年前と変わらず美しい! いやむしろ今のマティルデ殿は以前にも増して艶やかで、洗練されていて、もう、なんというか最高です!』
「ああ、マクシミリアン様ったら……」
――この時点で既にマクシミリアンとマティルデ以外の当事者は完全にしらけ切っていたのだが、なにやら燃え上ってしまっている二人にはそんな様子など気にも留めていない。
「あー、その、マティルデ嬢。いいのか? 相手は十歳も年下だが?」
女王は給仕から手渡されたワイングラス片手に、一応聞いておかないとな……という雰囲気を出しながらそう質問した。
「無論でございます。此度の顔合わせもお国のためならばと出席させていただきましたが、まさかお相手がご立派に成長なさったマクシミリアン様とは。十年前もとても可愛らしいお方でしたが、今のマクシミリアン様はまさしく貴公子でいらっしゃいます。しかもこれほどまでに熱烈にわたくしを求めてくださる殿方なんて、初めてで……陛下さえお許しくださるならば、今すぐにでも山脈を飛び越えてヴァルハルタへと参りたいと存じます!」
「急にテンション上がったな。まぁ落ち着きたまえ」
どうどう、と馬でも宥めるように手振りして、女王は魔鏡に向き直る。
魔鏡の向こう、ヴァルハルタ側にはベアトリス同様、げんなりした顔のテオボルト王がいた。
「……で、どうする?」
『どうするも何も、だろ……』
はぁ、と深いため息がユニゾンする。
『マクシミリアン、マティルデ嬢両名を王配候補から除外とする。結婚するなら両家の間できちんと話し合って決めろよな』
「そうだぞ。王室はもうこの件から手を引くから、あとは勝手にしなさい」
「よろしいのですか!?」
『ありがとうございます! テオボルト陛下、ベアトリス陛下!』
ぱあっと喜び溢れる様子で双方の王に感謝する男女二人。魔鏡がなかったらきっと抱き合っていたことだろうという様子を、ベアトリスはワインを呷りながら死んだ魚のような目で見つめていた。
「……本当によろしいのですか? この機会を逃すと、いよいよ候補者がいなくなりますが」
あっさりと候補者を逃した女王に、それまで無言で背後に控えていた秘書官が小声で問う。
「仕方ないでしょ。こんなふうになっちゃって、それで二人の仲を引き裂いたらそれこそ寝覚め悪いわ」
「それはまぁ……公式行事で顔を合わせるたびに、あちらの王妃とこちらの王配が燃え上ってしまってもそれはそれで問題になりますしね」
「想像もしたくないわそんなの……」
やれやれ、と頭を振り、ベアトリスは魔鏡を見た。
鏡面の向こうでは、同じくテオボルトがテーブルに突っ伏して項垂れ、側近の騎士に心配されている様子が見える。
「飲んでなきゃやってられないっての……ったく……」
女王はすらりと脚を組み、頭痛を堪えるように目を伏せた。