堪えがたき悪臭
はい、臭い話です。洒落にならないくらい臭い話です。
はたして悪臭の正体は何か? けっこうギリギリまで
分からないかもしれません。正体が明かされてからも
ピンと来ないかもしれません。なので放送時も本編の
あとに、悪臭の正体について解説的なナレーションが
付くという変則パターンでした。興を削ぐかな、とも
思いましたが、そこは読んで戴いたのがあの放送局の、
いやいや、古今東西女性アナウンサーのナンバーワン
といっても差し支えないあの方だったので、こんな話
なのに風格と、よりいっそうの凄み深み、そして怖さ
が倍加され、作者冥利に尽きる最高の出来映えとなり、
感涙にむせびました。願わくば、この小説版もいつか
あの方に朗読してもらえたら、光栄だし、幸せです。
お魚になったエコルン♪
私が地方の水道局に勤務していた頃の話です。
ある日、かなり広い地域の住民から、多くの苦情が
殺到しました。市内を流れる川や溝、下水道等から、
強烈な悪臭が立ち昇り、街中に充満しているという
のです。あまりにも酷い匂いに、具合が悪くなって、
病院に収容される人まで出る始末だとか…… 現地に
赴いた私たちも、車を降りて外の空気を嗅いだ途端、
充満する臭気に吐きそうになりました。目に染みて
涙は出るわ、堪えきれず嘔吐する者も続出するわと、
それはもう凄まじい臭いでした。やはり要請を受け
出動した警察や消防も、匂いだけではどうすること
もできません。何らかのテロか、工場からの廃液か?
様々な憶測が流れましたが、どれも噂の域を出ず、
具体的な対処法は見つかりません。取り急ぎ住民を
避難させて、水道局と保健所が匂いの発生源の特定
に乗り出しました。分析と測定の結果、匂いの正体
は心配されたような化学物質や有毒ガス等ではなく、
ひたすら強烈で濃密度の、何らかの有機物の腐敗臭
とのことでした。くさやの何百倍も激烈なもので、
何がどこまで腐ればここまで匂うのか、専門家にも
分からないと。
測定器で匂いの強さを辿っていった結果、山の手に
建つ高級マンションの、共同下水道管から流れ出た
汚水こそが、匂いの元凶であることが判明しました。
問題は、そのマンションのどの部屋から出たものか
ということですが、こればかりは一軒一軒をしらみ
潰しに調べていくしかありません。しかしこれだけ
の匂いです。場合によっては事件性もあるかも……
保健所職員と水道局員からなる調査チームが、各階
の部屋ごとに調べて回ることになりました。状況が
状況なだけに、立ち入り検査も許可されていました。
私の担当は10階でした。端の部屋から順番に呼び鈴
を押そうとしたとき、目の隅に違和感を感じました。
手を止めて、そちらに目をやると、左から三番目の
部屋の扉が何かおかしい…… 金属製の扉が、今にも
はちきれんばかりに、内側から膨らんでいました。
そう、まるで中身が腐った缶詰のように…… 調査員
を呼び集めると、しっかりとガスマスクを装着して、
ドアの呼び鈴を押しました…… 誰も出てきません。
ノブを回すと、鍵がかかっていました。意を決して、
合鍵を使いました。爆発するのではないかと緊張も
しましたが、何事もなく扉はあっさりと開きました。
落ち着いた和風の室内はきちんと整頓され、人影は
ありませんでした。やはり間違いだったのかと隊員
の一人がマスクを緩め、そして…… 昏倒しました。
部屋には、あの匂いが濃密に充満していたのです。
風呂場の方から、湯を使う音が聞こえてきました。
私は仲間を制して一人で向かいました。湯気に曇る
ガラス越しにほっそりとした、白くたおやかな女性
の裸体が見えました。はっきりとは見えないのに、
美しい…… 息を呑むほど、妖しいまでに美しい……!
しかし、どこか奇妙な? 息を潜め見つめるうちに、
私は気づきました。彼女には髪の毛がない。一本も
ない。それに、あの体は…… 脇腹から見えるあれは?
私は思い切ってガラス戸を開けました。禿頭の美女
は、その細い指先に石鹸の泡を絡めて、入念に体を
擦っていました。湯に火照りほんのり赤らむ肌とは
対照的に、鳩尾の辺りに、鰓のように開いた裂け目
から溢れ出る、襤褸布のように萎びたどす黒い内臓
を、扱いて、絞って、実に念入りに洗っていました。
そこから滴り落ちる、腐敗した、忌まわしく汚れた
肉汁は、排水口から下水溝へと吸い込まれ、川へ、
そして海へ……
禿頭の女は、私に気づくと、妖艶で蠱惑的な笑みを
浮かべました。そして優美な仕草で絡みつくように
私に抱きついてきて、ニヤリと尖った犬歯を見せ、
おもむろに私のガスマスクを剥がすと、腐り切って
悪臭を放つドロドロの臓物を、容赦なく私の顔面に
押し付け、グリグリ、グリグリと擦り付けました。
私は失神しました。
『むかしむかし、人里離れた、山間の小さな小屋に、
一人の美しい尼僧が、住んでおったそうな。尼僧は、
俗世の色恋が忘れられず、仏の道を外れ、人魚の肉
を食らうて、ついには、不老不死を得たという……
しかし、何年…… いや、何百年と経とうが変わらぬ、
その美しい容姿とは裏腹に、腐り果てた臓物が放つ
禍々しい悪臭は、遠く離れていても、その居場所が
分かる程に匂うたそうな…… 之を八尾比丘尼という。
地獄道に堕ちた比丘尼は、死ぬことも叶わぬままに、
今も腐れた臓物を、狂おしく洗うておるという…… 』
【ネタバレ含み〼。本編を読んでから閲覧を推奨哀川翔】
いかがでしたか? 臭かったでしょう? くさやとか
肴に晩酌しながら読んだら、けっこうな臨場感かもだ。
これにはいくつか元ネタがあるんですが、私が読んで
影響を受けたのが今は亡き杉浦日向子さんの「百物語」
で、しかしそこでは八百比丘尼ではなくて三百比丘尼
だったような。だから脚本でも三百比丘尼としていて、
ドラマ収録中に「これ、八百比丘尼じゃないの?」と
指摘されたのですが、当時まだ若くて怖いもの知らず
だった私は「いや、三百比丘尼が正しいのです!」と
突っぱね、三百比丘尼で収録され、放送されました。
此度、自作脚本をチェックして、こだわりはともかく
普通に八百比丘尼の方が人口に膾炙しておるよなあと
反省して八百比丘尼に修正しました。ほら、五百でも
増えた方が縁起がいいし(←そういう話ではあるまい)
あと前書き恒例のエコルさんイメージコスプレですが、
いくら妖艶で美しいとはいえ、八百比丘尼のコスプレ
にしたら、さすがに出オチだしネタバレでっしゃろ?
だったらということで、普通の尼さんを八百比丘尼に
進化させたミラクルフード:人魚の方にしてみました。
萌え萌えのリトルマーメイド・エコル姫を食べたら、
あなたも不老不死よ♥ さあ召し上がれ♪でも、優しく
食べてね。踊り食いは勘弁よ。あと死ななくなるけど
すごく臭くなるのは自己責任でアンダー・ザ・シー<゜)))彡