第四話 リーチサイトって何ですか?②
※2025年4/21付けで内容を一部リライトしています (/・ω・)/
「それはリーチサイトだね」
法務部室内。腕まくりをした詩海は額の汗を拭いながらそう述べた。
「リーチ……サイト?」
有希は息を切らしつつ重量のある段ボールを床に置いた。
「他人の著作物を違法アップロードしてるウェブサイトへの誘導を行うサイトのことだよ。あ、その段ボールは右側に置いて」
「ひいぃ……せっかく動かしたのに」
有希は何とか指示通りに段ボールを動かしてから室内を見渡す。詩海の机の裏には木目が多い黒褐色の書架が置かれていて、その手前には段ボールが区切られて積まれていた。詩海いわく、書架は社長室にあったものを譲り受けたらしい。
「これすごいよ。ブラックタガヤサンだって」
何がすごいのかよく分からないが、いつも表情の乏しいあの詩海がキラキラした目で書架を眺めていることは有希にとって大事件だった。
「鉄刀木はワシントン条約で現在は輸入できない木材なんだ」
「ワシントン条約って動物の取引を禁止しているやつ?」
「動物取引ばかりクローズアップされているけど植物や毛皮の他に漢方薬も規制対象なんだ」
「詩海くんって条約も詳しいんだ」
「ワシントン条約はただの趣味だけど、知的財産権に関しては国際条約も学ぶ必要があるね」
「ふいぃ……法律って大変なんだね」
「でもこんな物を使わせてもらうなんて本当にいいのかな……」
詩海が珍しく狼狽している。まさか材木が彼の弱点とは思いもよらなかった。
有希は書架をパチパチ叩く。芯がしっかりしていて材質が硬い。
「材質は良いなぁ。バットにしたらボール強く引っぱたけそう」
「そんな勿体ない使い方しないでよ。この書架、見積もりに出したら五百万円くらいするよ」
「ごっ……」
有希は手をバッと離す。
「金額もすごいけど、僕は鉄刀木独特のこの木目が好きだ」
手巾で書架を磨く詩海の隣でヤフ〇クとメル〇リどっちが高く売れるのだろうなどと考えてしまった自分の浅はかさに嫌気がさす。どうかその手巾を貸してくれないだろうか。心の汚れを落としたい。
「段ボールの中身は僕が入れるよ。手伝ってくれてありがとう、天宮さん」
真っすぐな双眸を向けられる。世の中お金じゃない。しばらくはネットの闇市での売買は控えよう。
「今日は本当にトラブルじゃないんだよね」
聞きたいことがあって内線電話をかけたら段ボール整理を手伝う流れになったことを思い出す。そしてノートラブルであることを再度強調する。
詩海は応接用テーブルに置かれていたタブレットを手に取る。
「さっき教えてもらった違法サイトだけど女性向けBL同人ばかり集めているね」
芽衣から提供されたウェブサイトのURLを詩海に共有したが実際にどういうサイトなのか見たことが無かった。有希は興味本位でタブレットをのぞき込む。すると顔がみるみる紅潮し、応接用ソファへ逃げるように飛び込んだ。
詩海が持つタブレットには有名な少年漫画作品の男性キャラクターが同性同士で性的な行為を行っている表紙データがずらりと並んでいた。
「少年よ男子を抱け」「影山のマイナス〇ンポ」「飛雄の本気 18・06」「ローキュー ヤリ捨て場の影山」
「詩海くん、口に出さなくていいから!」
何でタイトルを読み上げたんだ。そもそも読み上げる必要ある? あと芽衣、あんた普段一体何を見て生きてるんだ。友達にこんなもの共有させるんじゃない。
「キツい内容のBLが多いね」
「よく平然と読めるね……」
「感情移入も何もないからさ」
詩海は指でタブレットをスクロールさせて流し読みを続ける。詩海も一般人っぽいのになぜこんなにも反応が違うのだろう。単に男女差だけじゃない気がするがよく分からない。
「BL同人誌ばかりを集めたリーチサイトって珍しいね。こういうサイトの大半は商業作品か男性向けエロ同人誌だ」
「……近年はBLの市場規模が拡大しているからじゃないの。私見てないけど、ドラマとか流行ったんでしょ」
「ヒット作を生み出さなきゃいけない漫画編集者がそれでいいのかな」
「もちろん、世間で流行っているものは大抵リサーチしてるけよ。ただ、BL自体興味ないの。それとマンガを読んでいる女はBLが好きっていう認識も好きじゃない」
「それを僕に言われても困るんだけど」
確かにそうだ。女性作家さんによくBLの話を振られるからつい愚痴をこぼしてしまった。ごめんなさい、と頭を下げた。
「でもさ、そのサイトってPV稼げてるのかな。編集部でもBL作品つくろうみたいな意見がたまに上がるんだけど、営業部いわくBL漫画ってあまり売れないんだって」
以前、業務の一環としてBL漫画の歴史を調べたことがある。BLの歴史は意外と古く、1970年代に開催された第一回コ〇ックマーケットでもBL系の作品はあったらしい。そして同年代に同性愛を描いた少女漫画雑誌が刊行され、その雑誌には著名な作家も連載していた。その後はアングラではあるが徐々にすそ野が広がり、社会的な多様性の広がりもあってBLは文化の一つとして認知されつつある。しかしその反面、ニッチから脱却しているとは言い難く、国内売上が年間七千億円の漫画市場においてBLが占める比率はその一割にも満たない。
「BL漫画は商業だと基本短編だし、連載も短巻で終わることが多い。消費層が少ないから一部の太客に同じ本を複数買ってもらうような展開をせざるを得ないのが現状なの」
「マーケティングはしているんだね」
「普段はちゃんと仕事してるよ!」
「はいはい」
くそう。ポンコツ扱いしやがって。いつか見返してやるからな。
詩海はタブレットに視線を落としたまま指を動かす。まだ作品を見ていたらしい。気になることでもあるのだろうか。
「BLって全体的に優しい色を使っているんだね。業界のトレンドなのかな」
「最近の漫画はアニメ塗りが減って薄い色を使った厚塗りが多いの。作家さんいわく厚塗りはそれっぽい表現できて簡単らしいから。それでも少年漫画や四コマ漫画は単行本の素材にグロスPPを用いることが多いからはっきりした色味を使う傾向だけどね」
「さすが編集者」
詩海くんが私を褒めた。うれしい。有希の表情が緩んだ。
「詩海くんも変なところ詳しいんだね」
「自分が扱う商材に対して無知なのはよくないと思っているだけだよ」
褒められた部分が把握していて当然みたいな言い方をされて、有希の表情が硬くなった。
「話……戻してもらっていい?」
詩海は「いいよ」と返答してタブレットを机に置いた。
「リーチサイトに関しては2020年の著作権法改正で、違法サイトへのアプリを含めたリンク提供行為と、リーチサイト運営者やリーチアプリ提供者のリンク提供行為の放置、侵害著作物への利用を容易にする行為に対して刑事罰と民事措置が科せられるようになった。もちろん海賊版へのアクセス用URLのみを集めたサイトもダメ。あとは侵害著作物と知りながら私的利用目的でもダウンロードする行為も違法になる」
「何かさ、取り締まりが異様に厳しくない?」
「違法著作物を集めたサイトの多くは海外にサーバーがあるからね。日本は属地主義……その国の法律はその国でしか適用されない立場をとる立法主義国家だから、海外のサーバーそのものを直接摘発することは難しいんだ。だから、海外サーバーよりも日本国内における違法行為を取り締まる方が摘発や抑止につながりやすいという考えなんだ」
有希は詩海の話を聞きながら社用スマホでリーチサイトに関しての情報を閲覧していく。そういえば数年前に『ダウンロードをしただけで逮捕される』というネットの騒ぎを思い出す。当時は気にも留めなかったが間接的な関与者として理解するとは思わなかった。
「法律が海賊版に対して色々な対応をしているのはわかったけど、海賊版が同人誌の場合だとどうなるの。他人の作品を勝手に描いているから法律で救済されるのかな?」
「救済はされるはずだよ。『悪レベ』の著作権騒動の時に話したBL作品の裁判の事覚えてる?」
「ああ、魑魅魍魎のやつ……」
「その判決では原著作物を勝手に利用して描いた二次的著作物(同人誌)にも創作性が認められるかどうかが争点の一つになったけど、結果としては、原著作物に新たに付与された箇所に関しては創作性が認められた。つまり同人誌でも場合によっては損害賠償請求が成立する」
「それって違法性と創作性が同居しているってこと? ……何か変な感じだね」
「とはいえ違法性が存在すること自体が良くない」
とにかくリーチサイトへの対応は可能らしい。しかし芽衣は喜ぶであろうか。むしろ閲覧側だったらどうしよう……。
「このことって知り合いに教えても――」
「天宮さん、手品師って子供には手品を見せたがらないんだよ」
「え……?」
「手品を子供に見せると喜ぶけど、「もっとやって」と催促するようになる。断りづらい無償労働だ。天宮さんも友人さんも利害関係者じゃないんでしょ」
溺れている人は藁にさえ縋ろうとする。そういう人は大抵感情的だ。だからこれは詩海なりの警告だということは有希にも分かる。しかし、アマチュアとはいえ作家の創作意欲が不当に搾取されていることは出版社の人間として見過ごしていいのだろうかとモヤモヤした感覚も胸中にあった。何とかできないのだろうか……。
「どうしても気に入らなかったら被害者がいずれ訴訟か告訴をすると思う。だから天宮さんが気にすることでもないよ」
もしかして気持ちを察してくれたのだろうか。氷属性なのに温かい。
「余計なことに首は突っ込まない。それが一番トラブルを回避できる方法だ」
「トラブル……いやだぁ」
法務部で一番聞きたくない言葉ナンバーワンが出現して有希が耳を塞いだ。
詩海は席を立つと窓を開ける。
先ほどまで景色を隠していた雨が上がり、空には青色が増えていった。
「ところで時間は大丈夫?」
「編集部の始業は十時だからまだ大丈夫!」
室内の空気が喚起されて有希は「んーっ」と上体を反らした。
「今日も権利のこと教えてくれてありがとね。あと、邪魔してごめん」
「別にいいよ。アウトプットも重要だから」
詩海なりの気遣いだろうか。有希はおかしくて思わず笑った。
ソファに座った有希は書架を眺める。
高さが人の背丈ほどある大きな書架。五段ある最上段に、詩海は段ボールから取り出した著作権判例集を次々と入れていく。やがて判例集は棚一つを埋めた。それは日本において著作権絡みの裁判がとてつもなく多い証左でもある。
「この前さ、著作権は権利の束って話してくれたよね。支分権だっけ。どれくらいの種類が著作権を形成しているの?」
「複製権、公演権、上映権、公衆送信権、頒布権、譲渡権、展示権、口述権、翻訳権、 翻案権。他には著作者人格権というまた別の権利もある。ちなみに漫画には頒布権以外の権利が含まれているんだ」
詩海は収納作業を続けたままそう述べる。
「何でそんなに種類が多いの?」
「基本的に法令として明文化されないと効力を発揮しないからね。日本国憲法だって全条文の三分の一は国民の権利について言及しているくらいだ」
その一方で不文法もあるけどね、と詩海は付け加えた。
「……もしかして編集ってものすごいヤバイものを扱っているんじゃないかな」
「ヤバイ?」
「最近何でトラブルが多いんだろうと思ったけど、作品は権利の塊で、それにネットでもクリエイターと出版社が揉めていることが多いから、ちょっと不安になってさ」
「トラブルが多いのは作品の権利について議論らしい議論が無かったからじゃないかな。日本の漫画業界において作家は富と名声と得られる代わりに出版社の下で作品制作を行い、その環境が『漫画』という世界的コンテンツを生み出していた。でもその成功の陰で漫画の権利とは何かとは誰も気に留めなかった。権利は人が生み出した産物であって神様よりもよっぽど明確で身近な存在なのにね」
最近SNSを中心に作家と出版社の衝突を散見するようになったのはある意味、権利の議論が活発になってきた表れなのだろうか。漫画編集を生業としている自分にしてみればトラブルとは無縁なほうが有り難いが……。
「だから僕は知的財産に興味を持った。特に漫画というIPは法的に面白い」
詩海は振り向く。有希に視線を送るその表情は微笑を浮かべていた。
「そろそろ十時になるけど戻らなくていいの?」
「あっ、ちょっと待って!」
有希はハッとして包装された小包を差し出す。
「この前、友達と映画観に行った時に買ってきたの」
「チョコレート……?」
「いつもお世話になってるからね。甘いものは苦手?」
「いや」
詩海は受けとった小包を怪訝そうに眺める。チョコじゃないものが欲しかったのだろうか。
「これいくらしたの?」
「二千円ちょっと」
「たっか……たけ〇この里とかでいいのに」
値段を気にしてたのか。確かに学生時代、芽衣にファストフードを奢ってもらったとき、芽衣のことを一時期神だと思っていた。そんな自分も気づけば社会人三年目か。自分の収入があるため色々な意味で財布の紐が緩くなっていた。
「ありがとう、天宮さん」
「え……何か素直」
「それ失礼だよ」
詩海は柔らかい表情で頬をかく。有希には初めて詩海が年相応の青年に見えた。
「私さ、最近権利についてちょっと興味湧いてきたんだ。これからも遊びに来ていいかな?」
「いいよ。でも――」
「でも?」
「気を遣わなくていいから」
包装された小包を両手で持つ詩海は苦笑する。
どうやら詩海に気を遣わせていたようだ。
今度はもっと安価なお菓子にしよう。
そう思いつつ有希は法務部を後にした。
後編も食べ物とBLの話になってすいません!
鉄刀木の箸すごく使いやすくて愛用しています!(/・ω・)/鉄
『不文法』とは明文の形式を取らない法です。
要は文字になっていない法のことで判例とか慣習が該当するよ!m(__)m
※本作品は実在の法律的根拠ならびに過去の判例を参考に作品を執筆しているエンターテイメント作品のため、
法律または法律的助言の提供を目的としたものではありません。
法解釈における正確性や妥当性に関しては努めて配慮しておりますが、
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