第三話 出版権って何ですか?
※2025年4/21付けで内容を一部リライトしています (/・ω・)/
「こんにちは!」
「うわっ……」
有希が法務部に入室すると、アニメ雑誌を読んでいた詩海が肩を震わせた。
「何なのそのナマハゲが家に来たみたいな反応は」
「神様とトラブルメーカーだと天と地の差があるよ。今日は何のトラブル?」
「今日はノートラブルです」
「嘘だ……」
もしかして割と本気で疑われている? 一週間の内に三回も訪問すると警戒されてしまうのだろうか。そもそも今日はお礼がしたくて来ただけなのに。
「あのさ、一緒にランチしに行かない? 最近助けてくれたからお礼がしたくて。あ、頼む品は二千円までね」
「行かない」
「何で!」
「パワハラはよくない」
「ハラスメントの範囲広くない? ……そんなに嫌ならいいけどさ」
でも言われてみれば年上の人にご飯に誘われるのは正直緊張するものだ。目上の人に楽にしてくれと言われて本当に楽にできる人間などいないだろう。先輩として年下の人と円滑なコミュニケーションを取りたいだけなのにハラスメントが蔓延るこのご時世において純粋な善意は邪魔者なのだろうか。それとも値段を設定したのがいけなかったのだろうか。会社員なんて額面だと本当に貰えないんだよ。有希は回れ右をして扉に向かった。
「お弁当頼んでいい?」
「え?」有希は振り向く。
「法務部は僕一人しかいないから業務時間中はあまり席を外したくないんだ」
出版社なので色々な部署からのトラブルが法務部に持ち込まれる。中には火急の用件もあるだろう。先日のトレス問題が正にそれだった。
有希の表情が花が咲いたように明るくなる。すぐにスマホを操作して会社周辺の出前情報を閲覧した。
「何か食べたいものある?」
「食べれれば何でもいい」
「じゃあ焼肉弁当二つと串揚げ十本セットでいい? ポテトフライもいる?」
「何で脂ものばかり……」
「高カロリーだからね。いざってときエネルギーになるよ」
「女の人なのにダイエットとか意識しないの?」
「それ偏見だよ。たまに企業とかが『女性志向を意識してお弁当の量減らしました』とか言ってるけど、そんなこと誰も頼んでないもの」
「コストカットの建前だからね」
「とにかく女性はこういう存在だと決めつけている風潮が好きじゃない派です」
「謝った方がいい?」
「しなくていいよ。社内で一緒にランチしてくれる人がいてくれて嬉しいから」
「天宮さんって友達多そうに見えるけど」
「え、ほんと?」
「少なくともコミュ障じゃないでしょ」
「学生時代のときは多かったけど社内だと友達いないんだよね。出版社は裁量労働が多いから出社時間も在宅に切り替えるかも自分で選択できて会ったことない人も多いよ。それに同期は私と一人を除いてみんな辞めちゃったし、会社も毎月ハラスメント研修があって、正直誘いづらい」
学生時代、学校近くのファストフード店に行くと女子学生の集団をよく見かけたが、会話を回すのは特定の女子で一部の女子は会話に参加しているフリをしてずっとスマホをいじっていた。本音を言えば興味がなくて早く帰りたいのだろう。そこまでしてコミュニティを維持する理由が有希には理解できなくて、同じ野球部の人間に関しては学年問わず誘うようにしていた。しかしそれが社会に出るとハラスメントに抵触するらしい。
「前に山村さんが言ってたな。社長が社員同士のコミュニケーション不足を心配してるって」
「今は社内SNSツールもあるし色々便利かもしれないけど、その便利さが新たな不便を生んでいる気がするよね」
「天宮さんがまともなこと言ってる」
「詩海くんって私のことポンコツ扱いしてない?」
「……していません」
「こんなときだけ敬語やめて!」
ふいに内線が鳴った。詩海が受話器をとる。弁当の宅配が到着した報せだった。
有希は部屋から出る。その数分後、袋を抱えて法務部に戻ってきた。焼肉弁当二つ、串揚げ十種、サラダ二つが応接用テーブルの上に並んだ。
有希はいただきます、と手合わせてから円形の容器を空ける。ほくほくと微かな湯気をくゆらす白米の上にタレのついたカルビ焼肉が乗っていた。割りばしで必要分を取り分けて頬張る。肉汁の甘味と香辛料の入ったタレが口の中で広がると、有希の頬が緩んだ。詩海はサラダをパリパリと食べていた。
有希はふと室内を見やる。法務部長の席と詩海の席がLの形で並んでいる。
「山じい元気かな」
「天宮さんって山村さんのこと愛称で呼ぶよね」
「本人からそう呼んでって言われたからね。それがどうかした?」
詩海は考えるような表情で、別に、と述べた。
「山村さん命に別状はないけど、骨折箇所が腰で、年齢も七十近いから回復が遅いらしいよ」
「私は最初に担当した漫画作品がトラブルを抱えててさ、そのとき助けてくれたのが山じいなんだ。その後は何度かご飯連れてってくれたの」
「善意の塊みたいな人だからね。法学部じゃない僕を採用したのもあの人だし」
「詩海くんって法学専攻じゃないの?」
「知的財産の国家資格を持ってるだけで大学自体は理系だよ」
ということは独学で法律を学んだのだろうか。なぜ専攻の無い大学で法律を学ぶことを選んだのだろうか。その理由を聞きたかったけどハラスメントの話をしていたせいか無遠慮と思い質問にはしなかった。
「トラブルで思い出したけど、出版権ってどういうものなの?」
「急にどうしたの」
「山じいが解決してくれた件も出版権絡みだったことを思い出してさ。当時は何を言っているか全然理解できなかった」
「著作権の中で『複製権』と『公衆送信権』を有している者が設定できる権利が出版権だよ。漫画は基本的に原著作物を複製して単行本にする。電子書籍の場合は電子データを公衆に送信することで作品を販売しているんだ。もちろん複製物を販売するわけだから譲渡権とか他の著作権も包括的に契約する必要がある」
「『山伏の他人ごと』って作品、知ってる?」
「山伏が宮殿内の事件をパワーで解決するやつでしょ。アニメ化もしてて人気だよね」
「あの作品、二つの出版社からコミカライズが発売されてるけど出版的には問題はないの?」
「あると言えばあるし、無いと言えば無い。そもそも判例が無いから断言はできない」
「何それ。出版に携わる身としては怖いんだけど」
「出版契約は主に三種類に分けられるんだ。一つは『出版権設定契約』。これは著作権者が著作権を出版社に設定する契約で、設定された出版社は原則独占的に出版することができる。他には『著作権譲渡契約』と言って、これは著作権を他者に譲渡する状態のこと。要は作品の権利を半永久的に渡したような状態だね。もう一つは『出版許諾契約』。これは著作権者が出版社等に対して『出版していいですよ』とライセンスを許諾する契約で、複数の出版社に対して締結することができる。でも、実際には契約内容が『独占的利用許諾契約』になっていることも多い。『山伏』に関しては契約書を見たことが無いから細部はわからないけど、少なくとも出版契約は締結してるはず」
「出版先が複数あるから『出版許諾契約』なのかな?」
「どうだろう。出版社的には権利を独占したい思惑があるから基本的に『独占的利用許諾契約』を結ぶけどね。その上で、あえて訴訟をしていない状況なのかもしれない」
詩海は席からタブレットを持ってきて、メモアプリを起動した後、ペンをはしらせる。
「原作者A、出版社B、出版社Cがいるとする。AはBと独占的利用許諾契約を結び、その後AがCと独占的利用許諾契約を結ぶ。そうすると先に契約したBは契約義務違反を理由に訴訟が行えるようになる。でも、Bが訴訟を行えるのはAだけなんだ」
「BはCに対して訴訟できないの?」
「契約違反をしているのはAだからね。文化庁の登録システムも調べたけど『山伏』の著作権は文化庁に設定されていなかったから、Bは他の契約者に対して対抗ができない」
「つまり……Bがあえて違反を見逃している、ってことだよね?」
『山伏』はアニメが大ヒットして社会的ブームになっている。原作も官民問わず様々な企業団体とコラボレーションしているため出版社に対して莫大な利益をもたらしているだろう。その利益を生み出している原作者と敵対するのは出版社としては得策ではないということらしい。
「そういう捉え方もあるって話だよ。結局は当事者しか契約内容を知らないからね」
「作品づくりって大変なんだね」
「それを天宮さんが言うんだ」
「え、いま笑った?」
「笑うこともあるよ。人間だもの」
「相田詩海」
「何で苗字と苗字を掛け合わせたの」
「そういえば詩海くんの名前って何ていうの。私まだ聞いてないよね」
「……楓」
詩海は有希から視線を反らしつつそう呟いた。
「女の子みたいだね」
「そう言われるから言いたくなかったんだけどね」
「ハラスメントしてすいません」
「言われ慣れているから」
そう言う詩海は少しむくれていた。本当に何がハラスメントになるのか分からない世の中だ。
「ちなみに相田みつをは亡くなっているけど著作権は残っているから気を付けてね」
「了解です!」
そうして二人はランチを終える。弁当とサラダは食べ切ったが、十種ある串揚げは手付かずのままだった。有希は時間を気にしつつ席を立つ。
「それあげる」
有希は串揚げを指さした
「これ何で頼んだの」
「いつもなら食べれたけど、今日は思いのほか時間が過ぎちゃってさ」
有希は言い訳をしつつ時計を見やる。法務部に来てもうすぐ一時間が経過しようとしていた。
「それじゃあね」
有希は食べた分のごみを持って部屋から退室する。
「変な人だな」
詩海は苦笑を浮かべたあと、有希の背中に向かって小さくお辞儀をした。
「今日はノートラブルです!」(有希談)
山伏は薬屋さんとは別業種だよ!
出版権は面倒くさい権利だからまた後日ネタにするよ!(/・ω・)/ゴジツー
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