第二話 複製って何ですか?②
※2025年4/21付けで内容を一部リライトしています (/・ω・)/
「相談に乗ってもらってもいいですか。困りごとが起きました」
有希はバッティングセンターから会社に戻ったその足で法務部に飛び込んだ。
「僕も困りごとがあるので聞いてもらっていい?」
詩海が壁に掛かった上着を取りながらそう述べた。
「僕の就業時間は午前八時から午後五時まで。いまは終業時刻の五分前」
「申し訳ない……」
有希はここに来る途中で購入した詰め合わせ洋菓子の前で手を合わせる。
「社員がアルバイトに残業を強要するのはパワハラに認定されることもある」
「そこを何とか……」
こちらにも事情があるのだ。逃がすわけにもいかない。
「確認するけど法務関係の話?」
有希は首を上下に振る。
「山村さんに留守を預かっているからね。説明どうぞ」
ツンデレという言葉が喉まで出かかっていたけど咳払いで誤魔化す。
「さっき、『幻の勇者が異世界から現世転移してきた件 え、それってもしかして俺?』――通称『いせげん』の作画、森下めぐ先生から電話があって、今週更新予定の最新話の中で、アシスタントさんが描いた背景がトレスによって描かれているという報告を受けたの。メールを送ったので添付データを見てみて」
詩海がパソコンを操作して添付データを開く。十八ページ分の漫画データが収まっていた。
「最新話は、異世界でバトルしてた主人公と敵の幹部が東京に転移したあと一時休戦するという内容で、その背景には東大の赤門が描かれているでしょ。それをトレスで描いたみたい」
「何でトレスってわかったの?」
「このアシさん、背景を描くのあまり上手くないの。それなのに現世転移したら急に背景描写が上達してて。そのあたりは森下先生も違和感があったみたいで、先生本人が直接確認したら、トレスしたと」
詩海は返答せず漫画データをじっと眺めていた。
「トレスってたまにネットニュースとかにも目にするけど違法なの?」
「違法だよ。大半は複製権の侵害だから」
「ふくせいけん……」
「著作権は実際には複数の権利から構成される権利の総称で、別名【支分権の束】とも呼ばれていて、複製権はその内の一つ」
「他作品だと東大とか東京タワーとか実際の建物が漫画内で描かれていることも多いけど、ああいうのはどうなんだろう」
「こういう場合は【著作権法第46条】と著作物が【パブリックドメイン】なのかをまず確認する必要がある。建築物にも著作権はあるんだ。それと、第46条は公開されている美術の著作物等の利用に関しての条文で『美術の著作物でその原作品が前条第二項に規定する屋外の場所に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は、次に掲げる場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる』と書かれている。四つある例外規定は省くけど、要は、建築物と同じ又は類似する建築を勝手に建築しなければ、実在する建築物をゲーム内や漫画内に描いても著作権法上は問題ないとされている。ただ、著作権者の方で「こういう利用はお断りします」みたいな利用規約もあるから注意は必要だね。有名な建築物だと商用利用による写真撮影には許諾申請が必要なケースが多い」
「あれ……じゃあ何でトレスって問題になるんだろ?」
「他人が撮った写真や画像を無断で複製するからだよ。画像検索かけたらトレスした背景と同じ画角の画像が検索上位に出てきた。個人サイトの画像でサイト運営者が撮った写真みたい。今回のケースだと建築物の著作権はクリアしているけど、サイト運営者の写真の著作権を侵害している」
「えー……じゃあ結局は違法ってこと?」
「そうだね」
有希はその場にへたり込む。
「別に大ごとでもないでしょ。新規の背景レイヤーで描き直せばいいだけだから」
「それがね……断られたみたいなの」
詩海が首を傾げる。正直なところ、その気持ちは分からなくもない。
「そのアシさんと森下先生って友人同士で、二人とも漫画家志望だったの。森下さんが『いせげん』の作画として先にデビューして、森下先生はその友人を連載当初からアシとして使ってるんだけど、最近は仕事の指示に対して反発するようになって関係が微妙なんだって。アシさんの画力がプロとしてのクオリティに追い付いてなかったから色々言っちゃったみたい。それで今回の背景の修正は応じないと」
「デザイン業界だとリテイクの回数を予め設定していることもあるけど、今回は法律に抵触している。仮に労働契約を結んでいないのならそのアシさん切ったほうがいいよ」
「でも森下先生は友達だから切りたくないって……」
友人は大切だ。家族とはまた違う人生の支えとなる存在だ。その関係を損得で考えたくない気持ちはよくわかる。
「漫画の責了まで時間が無いから、今から描き直すのも難しくて。それに大ゴマだし……」
「森下先生は背景描けないの?」
「先生自信も背景を描くのが苦手なの。最悪、連載時には余白にして単行本で修正する手もあるけど、それだと作品のクオリティが下がる」
「赤門消したらキャラがどこにいるのか分からなくなるからね」
「そうなの」
「でも会社にしてみれば作品のクオリティよりも違法行為の方が遥かに問題だ」
「だよねぇ……ちなみにトレスをそのままやったらどれくらいの罪になるの?」
「十年以下の懲役または一千万円以下の罰金」
「ひぃ……」
「何で押し通るみたいなマインドになってるの。バレたら『いせげん』が連載中止になる上に天宮さんも懲戒処分必至。会社の法務を担う山村さんにだって責任が飛び火する」
犯罪は無論よくない。でも、世の中なぜ毎日のようにニュースが賑わうのか少し理解した。
「ああそうか」
「どうしたの?」
「要はバレなきゃいいのか」
詩海が頷く。もしかして外れスキルが実はチートスキルみたいな逆転劇があるのだろうか。
「天宮さん」
「はいっ!」
「僕たち、今から共犯ね」
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時刻は午後八時過ぎ。
有希は東京メトロ南北線に乗って東大前駅に到着した。
駅構内の階段を上り、東京大学の赤門前を視界にとらえる。
スマホのカメラ機能をオンにする。指先が震えていた。
これは犯罪ではないと自分に言い聞かせながら、赤門前に通行人がいなくなるのを待った。
心の中で詩海に言われたことを反芻する。
「トレスした画像と同じ画角の写真を撮ればいい。そして漫画家とアシには作画の際、その写真を元に作画したと言わせる。それなら各人が口を割らない限り著作権侵害がバレることはない。裁判になっても会社としては証拠を提示できる。ただし、問題なのは誰が撮影しに行くかだ」
それで有希が東大前にやって来た。誰が労力を割くのかを問題視したのは彼なりの気遣いだろうか。残業にはなるけど見なし残業分が含まれているから有希としては問題ない。とはいえ、気分が良いことではないのは確かだった。
「芽衣ごめん……絶対に人に誇れる仕事してない」
赤門前の通行人がいなくなった。
有希は駆け出して撮影を始める。連射モードになっていたためパシャパシャと音が連続したが気にしない。周囲にいた歩行者がぎょっとした様子で有希を見た。
「ご……ごめんなさいーっ!」
有希は心臓をバクバクさせながら赤門を後にした。
ネットの画像の二次利用には気を付けてね!
【パブリックドメイン】
著作権や知的財産権が消滅していて誰でも自由に利用できる状態の著作物・素材等のことです。
著作権の切れた小説等を公開している青〇文庫とかは有名だよね。
作中でフォローが無かったのでここで補足します! (/・ω・)/フォロー
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