第13話 優しさの質量④
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東京都文京区の北側に位置する区画、本駒込。
東京大学と駒込の中間に位置し、東京メトロ南北線のひとつ本駒込駅の改札から地下の通路を抜けると本郷通りが縦横に伸びていて車両の通行量が多い。しかし、大通りから少し逸れると寺や学校のほか戸建て住宅が密集しているなど都内有数の集合住宅地域の側面も持っている。
本駒込駅の五番出口から北に五分ほど進むと青色の外壁が特徴的なパスタ屋『トラットリア』がある。左右をビルに挟まれ、日陰に立つこじんまりとした店の前には平日にもかかわらず十人程度の客が順番を待っていて、有希と詩海は店外で少し待ってから中に通された。
縦に長いワンフロアの室内には調理用のダイニングの手前にカウンター席が並び、手狭な通路を境に二人掛けの席が壁際に三つ設けられている。洋灯を基調とした暖色系のほの明るい空間にはアンビエント調のラウンジミュージックが流れていて、夜のお店のような落ち着いた雰囲気が漂っているが、客たちはみな食器を片手にパスタを食べている。
有希は詩海に促されて中央にある二人掛けの席に座る。
「待たせてごめん。予約が断られて」
詩海は足元にあった来客用のバケットにビジネスバッグを入れる。午前中に会った時とは違ってグレーのジャケットを羽織っていた。
「鞄貸して」
「別に大丈夫」
出入り口側の席に座った有希はビジネストートバッグを足元の床に置いた。
「ここのお店、メニュー表が店頭にしかないらしいから、これを見て決めて」
詩海は店頭にあった黒板を撮影したタブレット端末を机の上に置いた。
有希はタブレットを眺める。縦長の黒板に四十種類ほどのパスタメニュ―が白文字で記載されていて、その内の半分は売り切れと書かれたシールが貼られていた。
「僕はトマトモッツァレラとサラダにするけど天宮さんは?」
「私もそれで」
「飲み物は?」
「……」
「コーヒーにするね」
「うん」
有希は少しうつ向いたまま頷く。
詩海は店員に注文を告げた後、タブレット端末を手元に戻して操作を始めた。
「この前、奥野さんと南雲さんの件があったけど、その後はどう?」
「ネームの修正は大丈夫。漫画の最新話も来週に更新予定」
「落ち着いて良かったね」
「うん」
「このお店、友達に教えてもらったんだけどパスタ屋さんにしては雰囲気がバー寄りだよね」
「そうだね」
「天宮さんは普段どんなところに食事に行くの?」
「えっと……いつも友達に連れて行ってもらうから拘りはないかな」
「大学の友達?」
「うん」
そこで詩海がタブレット端末の操作に集中し始めて会話が止まる。
有希は視線を上げて、詩海の様子をぼうっと眺める。
話したいことが山ほどあった。
聞きたいこともたくさん考えてきた。
彼と出会ってから今までの日常の中で、育まれた意識が確かにあった。
今日は社外で二人きり。
普段は言えないことも言える機会が訪れた。
それなのになぜか頭が回らない。
気持ちが泥の中から取り出せない。
そして彼はなぜか余所行きの服を着ている。
疑問符ばかりが頭の中を埋め尽くしていく――。
「天宮さん?」
「えっ?」
「料理きたよ」
気が付けば隣に店員がいて、パスタ料理とサラダを持っていた。
「熱いのでお気を付けください」
店員はパスタ料理と木製のボウルに入ったグリーンサラダを有希の手前に置いた。
ディッシュ皿の上にはトマトとチーズをふんだんに使用した茄子入りのパスタが円を描くように置かれていて、大蒜と香辛料からなるアラビアータの香りがモッツァレラの優しい芳香と程よく絡み、微かな湯気と共に料理を引き立たせている。
「美味しそうだね」
詩海は備え付けの食器箱から二人分のフォークとスプーンを取り出しててきぱきと設置した。
詩海は携帯電話で食事の写真を撮った後、フォークを手に取り、皿と音を立てないよう器用に麺を絡めとると口に運ぶ。いつもと変わらない無感動な表情のまま「おいしい」と述べた。
有希もパスタを食べる。鼻腔を抜ける香りは心地よく味を演出し、舌もおいしいと認識している。それなのに気分は一向に高揚しない。
「味はどう?」
「おいしいよ」
「それならよかった。ついてきてくれてありがとう」
その言葉を聞いて有希の中で違和感が広がる。服だけではなく雰囲気さえいつもと違う。
しかしそれが男女間のやり取りとは別の意識であることなのは分かる。
それからも食事は進んでいく。
ゆったりとしたラウンジミュージックと周囲の歓談が耳に届く。
指は食器の冷たさを感じ取り、視界に映るパスタを口に運ぶ。
料理はとてもおいしい。
五感はちゃんとしているのに、自分の気持ちだけは感じ取れない。
疑問符は今も溢れ出て心の動きを制限していたが、
その抑止はついに決壊する。
「――どうして茶谷さんは懲戒処分を受けたの?」
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