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第13話   優しさの質量②


今週毎日12時に更新予定です。

よろしくお願いします…!





「詩海くん、どうしてここに……」

 有希は混乱冷めぬ中、何とか尋ねる。


「いま社内をまわっていて、そのついでに。忙しかった?」

「いやもう全然!」

 有希は腕が吹き飛びそうなくらいぶんぶんと振った。


「あの……天宮先輩、この方は?」

 深夏が恐る恐るといった様子で会話に入る。

「法務部の詩海です。今年入社された深夏結子さんですよね?」

「あっ、はい。深夏です。よろしくお願いします!」

 深夏はバッと立ち上がってお辞儀をする。その際ブランケットが飛んでしまい、それを有希が拾い上げた。


「でも詩海さんはオリエンテーションでは見かけなかったような……」

「僕は新卒ではなくインターンシップなので入社日が新卒の人たちとは異なります」

「じゃあ、大学生で?」

「はい」

「インターンで法学部ってすごくないですか?」

 深夏は目を輝かせて有希を見る。

 これが尊敬の眼差しというやつか。悔しいと思いつつ有希はうなずいた。


「社内をまわっているって法務関係のこと?」

「まあ、そうだね」

「このフロア『アニマ!』の編集部があるんだよ。詩海くん、『滅入りました外間くん』が好きって茶谷さんから聞いたけど、そっちは行かなくていいの?」

「ついさっき行ってきたから大丈夫」


 詩海の視線が微かに下がる。高校野球の特集資料を机の上に置いていたことがまずかったのかもしれない。こういうとき、仕事の最中には見てないアピールは必要だろうか……。



「それよりさ、いつご飯行くの?」

 お? 

「この前、奢るって言ってたよね」

 奥野さんと南雲さんのときのことか。確かに言った。

「何も決まってない気がするから僕から提案していい?」

 おお?

「本駒込駅の近くに行ってみたい生パスタのお店があるんだけど、そこはどう?」


 パスタと生パスタの違いがいまいちわからないけど自分は今、パスタのお店に行かないかと誘われていることだけは理解できる。


「生パスタは従来のパスタと比べて水分量が多く触感に弾力性があるんだ。特にクリームやソースとより相性が良くて、パスタでも食べるならこっちの方が良いと思うんだ」


 聞いてもいないのにベントアンサーを提示してくれるとは。私たち、もしかして相性が良い? なるほど。私は生パスタだったのか。

 などと混乱している有希をよそに、深夏は口を両手で覆い隠して目を見開いていた。



「行くのは今日の夜でいい?」

「いいよ」

「店を予約しておくから、仕事終わったら連絡して」

「了解」

「深夏さんも――」

「わ、私は大丈夫です! どうぞお二人で行ってきてください!」

 深夏は首を振って後ろに下がる。

「え、じゃあ私たち二人で行くの?」

「そうなるね」

「二人で……」

「それじゃあまた後で」


 詩海は深夏と有希の後ろを通って備前に声をかける。なるほど。本来の用事は備前であって私との夕食はついでか。詩海くんらしいなと有希は思うも、隣の後輩は驚天動地を目の当たりにしたように瞠目している。


「先輩ってすごいですね……」

「な、なにが?」

「社内で人の目も(はばか)らずデートの約束をするなんて……」

「同僚の人とご飯行くだけだよ」

「オフィスラブですよ……」


 駄目だな、女特有の他人の恋愛エンジョイモードになってる。二人きりの食事というのは気になるが、仮に異性と食事することがデートだというのなら私は山村とも恋愛していることになるのだから、その解釈は否定したい。深夏は今もふわふわした面持ちで私を見ることをやめない。これはさすがに叱った方が良いような気もするけど、それはそれでハラスメントになるかもしれない。有希はお手洗い行ってくると述べて逃げるように席を立った。



 有希はフロアの通路を歩きながら考え事を始める。

「デート、か……」

 学生時代に異性から一対一の食事の誘いは何度かあったし、実際に食事に行ったこともある。相手側は見慣れない余所行きの服を着ていて、普段と少し違う話し方をする。食事をしているのに食事じゃない曖昧な空間。そして相手側は何かを期待している。でも、それに呼応するのが少し苦手な自分が常にいて、緊張したことは一度もない。

 それなのに、詩海との食事に対して妙な感じを覚えている自分がいる。

 他人に囃し立てられて気分が浮ついているのかもしれない。

 けれど、こんな自分にも誰かと交際する『権利』があることに今更ながら気付きを得る。

 そもそもだ。

 私は詩海くんのことをどう思っているのだろう――――。


「あっ」

 そういえば今晩、芽衣と一緒にクリエイターのライブ配信を見る予定だったことを忘れていた。すっぽかしても大丈夫だけど一応謝っておくか。

 お手洗いと給湯室が隣接する非常階段前に来た有希は携帯電話を操作して芽衣に発信する。芽衣はこの時間は確か昼休みだったはず。

 その読みは当たり、電話はすぐにつながった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――というわけで夕食の予定が入り、今日のライブ配信はインしません。すまん」

「なるほど。有希は今晩、噂の彼ピと夜の大胆生パスタデートするのね」

「語弊だけで一文つくるな」

「淫乱ね」

「パスタ食べるだけなんだが?」

「キャンセルだけど問題ないわよ。ライブチケット二千五百円くらい捨ててもらって構わないわ」

「え、あれお金かかってたの。ごめん、それは払う」

「別に『ささおう』のBL界隈の作家が性癖晒し合うだけのイベントだから気にしないで」

「お前何てものに私を誘って……あっ、だからライブの内容(かたく)なに話さなかったのか」

「正直に話しても有希来ないでしょ」

「どうぞお一人で楽しまれてください。それじゃ」

「待って、待って!」

「何?」

「……何かさぁ、パスタの話してたら急にパスタ食べたくなっちゃった」

「へえ」

「別に有希がお世話になっている人の顔が見たいとかそんなこと全然思ってないから」

「嘘下手か」

「お願い! パスタ屋さんの情報教えて!」

「郵便番号100―0002」

「それ皇居外苑の郵便番号でしょ!」

「郵便番号――」

「店名教えなさい!」

「BLイベントがんばって」

「ちょ――」


 面倒なので通話を切断してしまった。再着信を何度もかけてくるところも面倒くさいからとりあえず電源までちゃんと切ろう。プライベート用だから業務に支障はない。何が『噂の彼ピと夜の大胆生パスタデート』だ。こっちは詩海と二人きりであることを意識しないようにしているのに……。


 有希はノベル・コミック編集部に戻る最中、『アニマ!』編集部を一瞥する。

 デスクには編集長の茶谷と新卒の女性の二人がデスクで作業をしていた。

 普段は午後出勤が当たり前の茶谷が午前中に出社しているのは珍しい光景だが、会議の日は別らしい。それに心なしか表情が暗いのは茶谷も部内会議を嫌がる役職の一人だからだろうか。


 有希は茶谷に声をかけず、そのまま自分のデスクに戻った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 その後は業務を一通り進めて、深夏と共に遅めの昼食をとって編集部にやって来ると、編集会議が始まる午後二時の少し前になっていた。


「あと四時間すれば彼氏さんとデートですね」

「彼氏じゃないよー」


 席についた有希と深夏は雑談をかわしつつ会議の準備を始める。

 深夏は目を輝かせながら詩海のことについて有希に尋ねる。専らの関心は詩海と有希の関係についてである。しかし芽衣といい女性はとかく恋愛話が好きな生き物だと理解させられる。誰と誰が付き合っているとか、関係性はどこまで進んでいるとか根掘り葉掘り聞いてくる。それが女性本来の気質なのかもしれないが、自分には少しばかり抵抗がある。


 それでも詩海とのディナーは有希にとって楽しみでもあった。


 備前は壁掛け時計を見て針が二時ちょうどになったことを確認すると立ち上がる。それがノベル・コミック編集部における編集会議開始の暗黙の合図だった。


 有希と深夏は携帯端末を持つと、小会議室に向かう備前の後を追っていった。

 フロアの通路を進み、エレベーターホールの少し手前に扉がある。ここは同じフロアで働く者たちが利用するための小さな会議室で、無機質な白壁が室内の四方を囲み、中央に島を形成する長机以外にはエアコンと空気清浄機、白いレールカーテンが天井の真ん中に取り付けられている程度だった。


「誰かインタビューで使ってたのかな」

 有希は少しはみ出ていたレールカーテンをしまう。たまに雑誌用インタビューでこの小会議室が使用されることもあるのだ。


 備前が上座に座り、深夏が下座側に座る。有希は二人のちょうど真ん中の席に座る。誰が決めたわけでもないが、このフォーメーションが編集会議のいつもの席順になっていた。


「副編の藤葉(ふじは)さんはお休みです」

 有希は「はい」と用意していた返事を述べる。

 ノベル・コミック編集部にはもう一人副編集長の藤葉がいるのだが、過去に色々あって現在休業中。ただし休業中でも仕事はしているらしく藤葉の担当作品は今も滞りなく連載しているのだが当の本人は会社にも編集部にも姿を現さないため実際のところはよく分からない。そんな微妙な関係でも備前は月初めの編集会議のときには藤葉の名を必ず挙げていた。


「資料に沿って読み進めていくけど気になることがあれば遠慮なく挙手して」

 そう言って備前は手元のタブレット端末に映る資料を読み上げていく。


「まずは売上及び社内総括から。前年比千五百万の黒字。これは雑誌部門のノベル・コミック編集部が手掛けるコミックの電子売上が好調の要因で、昨年の『悪レべ』のアニメ化放送後の好影響が売上を底上げしているとの報告あり。その一方で他の書籍の売上が苦戦を強いられている。生活雑誌は隔月発行にして規模を縮小したものの低下傾向に歯止めが利かず、さらなる再編が求められる。ファッション雑誌ではテレビ番組とのタイアップ企画が進行中、アニメ雑誌では有名声優を大々的に取り上げて新規の読者層の獲得を目指すとのこと。また、営業部からは書店の棚の確保が年々難しくなっていることから編集部と連携して棚の確保に尽力を目指す。また、今年中に新設予定のIP部門では法務部を中心として社内の知的財産を活用するなどデジタルへの投資をより進めていく方針である。以上、社長三島(みしま)(かおる)


「生活雑誌部門、容赦が無いですね」

 手元のノートパソコンで資料を見ていた有希はいたたまれない気持ちになった。

「創業当時から発行していた部門でも売上が伴わないとね。仕方のないことだよ」

「どうにかならないんですか」

「それを考えるのは社長を中心とした経営企画室と当該の部門だからね。違う編集部の僕たちには概要くらいしかわからないよ」


 そう言って備前は視線をタブレット端末に落とす。


「次はハラスメント対策。新幹線の『席譲ってくれませんか』問題。鉄道会社J〇が先日公表した情報によると、年末年始とお盆の季節は乗車率が多くなり客同士のトラブルが多発する傾向にある。その中でも同問題は依然顕著であり、自由席のみならず指定席エリアでも発生が見受けられる。今後は利用客へのマナーの周知を実施すると共に、利用ルールにおける厳格な対応が求められる――というネットニュースが今回ピックアップされました」

「ああいう人たちって何で指定席を予約しないんですかね?」

「指定席の料金を払いたくないんじゃないかな。時期によっては千円くらい違うでしょ」

「だからって指定席を買わずに指定席に乗り込んできて席を譲れとかもうバトルロイヤルじゃないですか」

「僕も過去に寝たふりしたことがあるよ。一人の男性は狙われやすいから……」


 備前は苦い表情を浮かべている。過去に新幹線車内で何かあったのだろうか。

 しかし席に座る権利すら争奪の範囲とは。人は恐ろしい生き物であると再認識させられる。



「……」

 ページをスクロールしていた備前の手がふいに止まる。

「備前さん?」有希が備前を見やる。

「ああ、ごめん」

 備前は指を滑らせる。

 次のページでは社内の労働方針についての報告と概要が記載されていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――



       『秋灯社内における今後の労働方針および社内報告』


 昨今、国が推進する働き方改革の影響もあり従業員の労働のあり方が問われている。

 弊社においては経営陣と社内労働組合が協議を重ね、労使協定に基づく従業員の健全な労働環境の確保につとめている。しかし、その一方で雑誌部門における記者ならびに編集においては業務内において不測の対応等に迫られる事も多く、残業時間が依然として高水準で推移している。秋灯社においては各セクションの管理監督責任者の労務管理の下、従業員の残業時間を厳しく管理しているものの、管理外の残業も数多く報告されているのが実情である。次頁では昨月の実例を記載する。以上の事柄から、今後は全従業員の残業時間の管理・是正を務めていくことをここに通達する。


                  株式会社秋灯社 代表取締役社長 三島薫

                  株式会社秋灯社 法務部部長 山村廉二郎





                『訓告』


 昨月、アニメ雑誌編集部門において非編集部員の管理外残業が発覚。

 これを受けて法務部は当該編集長及び該当責任者たちにヒアリングを行い、当該編集長に対し懲戒処分と処分事由を通達。同日、当該編集部長の本件における始末書の提出を受理。

 今後は各従業員の横断的な残業の抑止を目指し、労働環境の是正に精励することを報告する。

                                  以上。



――――――――――――――――――――――――――――――――――


 備前が記載内容を読み上げると、深夏は驚きの溜め息を漏らす。

「これが訓告……初めて見ました」

「今は見る機会も減ったけど、昔は従業員による不正な申請が多かったんだよね」

「横領ってことですか?」

「事件化したら横領になるんだけど、僕が言いたいのはその前段階のことだね。交通費の水増しとか、使途不明な物を購入して経費をキックバックするとか。会計ソフトのない時代の経理の人は領収書のチェックが大変だったと思うよ」

「すべて人が確認するなんて信じられないですね……」

 深夏は文明の利器の無い時代を想像すると苦笑した。


「……」

「先輩?」

「……備前さん、これどういうことですか?」

 有希は訓告が記載されているページをじっと見つめていた。

 備前は少し間を開けてから「そこに書いてある通りだよ」と述べた。


「これ私のことですよね?」

 有希の双眸が備前に見向く。

「どうして茶谷さんが()()()()を受けているんですか?」

「懲戒って……え?」


 深夏は状況が呑み込めない様子で有希の横顔を見た。






訓告(くんこく)』とは従業員の比較的軽微な規律違反に対して行う最も軽い懲戒処分のことです。

 会社によっては『譴責けんせき』が相当するかもしれません。


 また、始末書を求めるか否かも会社によって異なりますが、

 秋灯社においては『訓告』=『書面による注意&始末書の提出』という位置づけとなります。

 よろしくお願いします。


――――――――――――――――――――――――

※本作品は実在の法律的根拠ならびに過去の判例を参考に執筆しているエンターテイメント作品のため、

 法律または法律的助言の提供を目的としたものではありません。

 法解釈における正確性や妥当性に関しては努めて配慮しておりますが、

 作品外における作品内容の利用に関してはご自身の判断でご利用ください。


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