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第11話   あなたの心が進むために⑧




――――「奥野さん、もしかして他に気がかりなことがあるんじゃないですか?」



 奥野の双眸が、質問を投げかけた有希に向く。

 有希は構わず話を続ける。


「最初は奥野さんが王道の少年漫画のような、男同士の友情ものをどうしても描きたいのだと思っていました。けど、南雲さんが作ったコミカライズのネームは小説の内容を大幅に圧縮してはいるもののレクスとバルバトスのバトル自体は残してありました。これまでのコミカライズ制作の際、南雲さんは小説の内容を圧縮することは何度もあったけど、そのときは奥野さん何も言わなかったじゃないですか。それなのに今回どうしてネームを受け入れないのかと考えると、もしかして()()()()()()()()()()に拒否反応を示しているのではと思いました」



 有希は自分なりの覚悟をもってボールを投げた。

 以前の打ち合わせの際、南雲は言っていた。

 ――奥野さん、私が描いたネームに苦言を呈していたでしょ、と。

 奥野は本来気が小さい人間だ。だから他人に対して反論は進んで行わないし、今まですることもなかった。それに『いせげん』のコミカライズ連載は現在好調で、そもそも対立する要素が無い。そんな人物が反論するとしたら、作品の連載中に自分の意識が変わるような()()()()()()()()()。それが有希の考えだった。



 奥野はしばらく考え込んだ後、ふっと笑った。


「……さすが担当編集さんですね」

「私は約三年間、『いせげん』と共に歩んでいますから」

「そうか、()()()()()になってから三年も経つのか」


 有希は奥野の自虐に引っ掛かりを覚えるも、奥野の次の言葉を待った。


「漫画の原作ってよくバカにされるんですよ……僕は元々ライトノベル作家志望で、大手出版社のコンテストに応募していたけどいつも一次落ちでした。それでも小説家になる夢を諦めきれずに働きながら『なれる』への投稿を始めました。『なれる』はマーケティングっぽいところがあって、流行りのジャンルがあると、みんな流行ワードを取り入れて作品を作ろうとする。当初はそのやり方が気に入らなかったけど、やっぱり小説家になりたかったから悔しいけど踏襲して生まれたのが『いせげん』でした。それでも自分の小説が初めて刊行されたことは本当に嬉しかった。小説家になる夢が叶ったんだって。だけど、刊行できたからといって世間が認めてくれるわけじゃないことを思い知りました。人気になったら「イラストガチャが成功しただけ」。作品の認知度が上がったら「コミカライズのおかげ」。ショッピングサイトのレビューを見ても、漫画に比べたら小説をほめてくれる人なんてごくわずか。頑張って執筆しても「なれるでしょ」の一言で小説扱いすらされない」


 現在は漫画バブルの全盛期だ。より多くの『なれる』作品を生み出して書籍化を目指し利益を図るビジネスマンもいる一方で、奥野はアップデートこそできるものの、心根は昔ながらの作家タイプなのだろう。そして、そのやるせない気持ちが、南雲へのネームに向いてしまった。


「小説を漫画という別の媒体に落とし込むために内容を修正する必要があることは理解しています。でも、ふと思うんです。修正を行わずに、原本そのものを漫画として描いた場合でも受け入れられるんじゃないかって……僕が書いているものはしょせん文字の羅列でしかないけれど、それでも自分にとっては作品一つ一つが大切で、誰か一人でも面白いと思ってくれるように細部にまで感情をこめて執筆しています。好き勝手言っている奴らを認めさせたいと思うのは罪でしょうか?」


 そこで奥野が閉口し、静寂がその場に漂う。

 丸眼鏡の奥に見える奥野の双眸は少し赤くなっていた。

 南雲はどうしていいのかわからず狼狽し、詩海は有希の横顔を静かに見やる。


「もちろん、罪ではありません」

 有希はためらいつつも口を開き、奥野を見据える。


「ですが、その矛先をコミカライズのネームに向けることは間違っていると思います。今回は南雲さんのネームを元にコミカライズの進行をしたいと考えていますが、如何でしょうか?」



 これは原著作者への反旗に他ならない。しかし思う。編集者がディレクションを行うのは書籍の内容だけではない。主義と主張、人と人、それらすべてを鑑みて、方針を明確に打ち出す。編集とは常に折衝の連続であると。そして忘れてはならない。コミカライズは原著作物から派生した二次著作物であり、公表する際は原著作者の同意が必要であることを。だから例え反旗を翻したとしても、私は原作者と向き合わなければいけない。



「あの、ちょっといいかしら」

 南雲がおずおずと手を上げる。

「ネームの内容だけど奥野さんのご意見をもっと取り入れた形でリライトしましょうか?」


 思わぬ伏兵が現れる。しかもそれが身内の南雲ときた。有希の目が何度もぱちくりする。


「私の上の子、最近不登校気味なのよ。先日の打ち合わせのときも教室に入れなくて私が迎えに行ったの。今日もそんな感じで学校を休んじゃって。担任の先生がちょっと癖のある人で、うちの子を学習障害持ちじゃないかと半ば決めつけて教室を別にしたがるらしいの。本人にしてみればそんなことされるの嫌じゃない。友達とも離れ離れになるし。だから担任の先生が嫌いだって」

「そう、なんですか……」

「でも、そんなうちの子をよく気にかけてくれる先生がいて、子供たちからは『鳥の巣先生』って慕われているそうよ」

「鳥の巣……あ」


 有希は真向いに鳥の巣のような髪型を見つける。


「今日、うちの子が奥野さんに懐いているのを見た時は本当に驚いたわ。私も仕事を曲げるようなことはしないけど、でも、奥野さんが子供たちのために毎日頑張っていて、そんな人が願いを持っていたら叶えてあげたいと思うの。だから今回は奥野さんが良いって言うまでネームを修正しようと考えていて……天宮さんとしてはどうかしら?」


 矛先が巡り巡って自分に向けられるとは。詩海を一瞥したら、いつの間にかガトーショコラケーキを頼んでいた。美味しそうだな。いや違う。早く打席に立たねば。


「南雲さん、それは結構です」

 そう述べた奥野は穏やかに笑っていた。

「……元はといえば僕が変な意地を張っていたからこういう事態になったんです。でも、今日は天宮さんや南雲さんと話して、創作の原点に立ち返ることができました。私欲でコミカライズのネームを破棄させるとか、それこそ少年漫画の悪党が行うようなことじゃないですか。僕はそんな悪党を正義が倒すような物語が好きだし、そういう気持ちを大切にしたい。南雲さん、すいません。当初のネームで進行することをお願いできますか?」


 奥野は鳥の巣のような頭を下げた。


「私のネームでよければ、喜んでお受けします」

 南雲も一礼する。口角が上がっていて温和な表情を久しぶりに見た気がする。


「ねー、まだ話おわらないの?」

「とりのす先生、遊ぼうよ~」

 子供たちがガラス窓を叩く。南雲は老紳士にすいませんと言いながら店の外に出て行った。

「僕も行ってきますね」

 そう言って奥野も立ち上がる。

「あの、奥野さん」

 有希が呼び止める。

「はい?」

「これからもよろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 奥野は晴れやかな笑顔を浮かべて一礼すると、店を後にした。



「良かったぁ~……」

 全身の力が抜けた有希は、背中を思いっきり背もたれに預ける。だが、バランスを崩してそのまま後ろに倒れた。

「いたた……」

「何してるの」

 詩海は有希の手を取って起こすと、倒れた椅子を元に戻した。

「いやぁ、色々上手くいかなくて満身創痍だよ……」

「そうかな。さながら大岡越前の名裁きだったと思うけど」

大岡越前(おおおかえちぜん)って誰?」

大岡(おおおか)忠相(ただすけ)知らないの? 歴史の授業でも出てくるのに」

「どっちが本名なのかわからないけど何でもいいよ。もう元気でない……」

「ケーキ奢ってあげるけど何がいい?」

「ガトーショコラ!」

「元気あるじゃん」


 詩海は注文する。程なくして有希の分のガトーショコラがやって来た。


「編集って大変なんだね」

 詩海はメニュー表に視線を落としつつ呟いた。

「権利を生み出すことは大変だと頭ではわかっていたけどここまでとは知らなかったよ」

「今回は特別大変だったというか、でも他の業務が楽かと言われたらそうじゃないけど」

「天宮さんはよくやってると思うよ。尊敬する」


 え、尊敬? 詩海くん、ついに私のこと立派な先輩だと理解してくれた?


「今日は赤飯だ!」

「何で急に献立を……」


 何か引いてる。立派な先輩からやばい先輩という認識にすり替わってそう。


「天宮さんはこれからどうするの。あの二人はもう大丈夫そうだし、僕は山村さんから今日はもう直帰していいと連絡が来たよ」

「あれ、私も備前さんから在宅でいいって連絡が来てる」

「帰宅じゃなくて在宅ワークになるところが先輩っぽいね」

 詩海が微笑を浮かべる。こんなことで先輩だと認識されるとは。


「この後どうしようかな」

「それなら亀戸水神ちょっと探索してみない?」

「そんなに気に入ったんだ」

「都心のビル群よりも下町って感じの方が好きなんだよね」

「在宅ワークは?」

「……するよ。帰った後の私が」

「他人事じゃないのに」

「それじゃ出発しようか」

 ガトーショコラを食べ終えた有希が立ち上がる。

「それなら金町も行っていいかな。さっき話した大岡越前由来の『しばられ地蔵』があって、ここから近いし行ってみたいんだ」

「金町ってここから遠くない?」

「電車でたった四十分だよ」

「遠いじゃん!」

「近いって」

「何でそんな頑ななの。どうせアニメキャラなんでしょ」

「名奉行をアニメキャラ呼ばわりする人初めて見たよ」

「はいはい、出発しますよ」

「レシート忘れないでね。経費精算に使うから」

「……忘れてないよ!」


 有希は受け取ったレシートは財布にしまう。店内の隅に移動して、詩海の会計を待った。


 しかし改めて今日は大変だった。最悪、『いせげん』が制作中止になるんじゃないかとずっと冷や冷やしていたけど、やっと願ったところに着陸することができた。一年目は色々なものに振り回されて何かを考える余裕もなかったけれど、こうして制作者間のトラブルを防いだことは編集者としての成長の表れではないだろうか。


「天宮さん」

 会計を済ませた詩海がやって来る。

 詩海はなぜか真面目な顔を浮かべていて、そのまっすぐな瞳に少し見惚れてしまった。

「今日の天宮さん、とても良いことをしたと思う」

「え?」


 詩海はふいに視線を逸らすとどこか迷ったような表情を浮かべた後、再び有希に見向いた。


「人は法律で縛られるけど、法律は人の本質にはならない。だから人が判断を下すことが何よりも重要なんだ」

「詩海くん……?」

「今日の天宮さんを、これからも忘れないでいてほしい」

 そのとき詩海が一瞬だけ悲しそうな目を浮かべていて、その理由は有希にはわからなかった。

「先に出てるね」

 詩海はいつもの無感動な表情に戻るとドアを開ける。


「約束するよ」

 有希がそう言うと、詩海は足を止めて振り返った

「今日のこと、私は忘れないから」

「……ありがとう」

 詩海は嬉しそうで、悲しそうな微笑みを浮かべていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――


 有希は喫茶店『サンカヨウ』のドアをくぐる。


「二人に挨拶してくるね」

 児童遊園にいた奥野と南雲の下に移動した。

「本日はありがとうございました」

「こちらこそ来てくれてありがとうございました」

「天宮さん、これからも頑張ってね!」

「――はい!」


 二人の笑顔を見て、騒動が終わったことを改めて実感する。

 人の数だけ願いがある。しかし、そのすべてを汲み上げることをこの世界は許さない。選択する者は時には喜ばれ、時には恨まれる。私だって叶わぬ夢に直面したとき誰かを恨んだことがある。悲しいことに恨みは永遠に尽きない上に夢として出現することもある。それなら、恨みと向き合い、抱えてながら生きていこう。編集とは、きっとそういう役割なのだろう。


 有希がその場から移動しようとすると、南雲の子供たちが立ちふさがる。

「どうしたのかな?」

「お姉ちゃんたち、これから『でーと』?」

「さっき男の人といたよね?」

「デートじゃないよー」

「『でーと』だ、『でーと』!」

「このあとチューするんだ!」

 話を聞け。そして恋愛未経験者にジャブを打つんじゃない。


「『でーと』がんばって」

「がんばって」


 子供たちにはやし立てられて有希は苦笑いを浮かべる。


 私だってデートじゃないかなと一瞬思ったけどさ、これ絶対違うもん……。


「それじゃ、バイバイ!」

 有希は子供たちに手を振り、喫茶店の木陰にいた詩海と合流する。



「待たせてごめん」

「最後、子供たちに何か言われてたね」

「頑張って、だって!」

「何を頑張れって?」

「仕事!」


 初夏の陽気を浴びながら、有希は詩海の手を引いて喫茶店を後にした。




第11章完結です。

こんなに長くなるとは自分でも思ってませんでした。

お読みいただき本当にありがとうございました……!



※ 12/2付で『第11話あなたの心が進むために①』の内容をほんの少し変更しました。

 オチとかは変わってないです。自己満です。

 よろしくお願いします!



――――――――――――――――――――――――

※本作品は実在の法律的根拠ならびに過去の判例を参考に執筆しているエンターテイメント作品のため、

 法律または法律的助言の提供を目的としたものではありません。

 法解釈における正確性や妥当性に関しては努めて配慮しておりますが、

 作品外における作品内容の利用に関してはご自身の判断でご利用ください。


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