第11話 あなたの心が進むために⑦
『アルタイル』『天宮』日間ランクインしました。
ありがとうございます…!
東京都江東区、亀戸水神。江東区の北側にあるその地区は下町情緒豊かで、落ち着いた雰囲気が残っている。地区の中央には東武亀戸線の駅が存在し、有希と詩海は亀戸水神駅の改札を出た。暑さをはらむ初夏の陽気が二人に降り注ぐ。
「江東区にこんなところがあるなんて」
有希はビルの少ない周囲を興味深そうに眺めた。
「同じ亀戸でもこっちの方は開発が進んでないんだよ」
詩海は携帯電話を操作しつつその場で足を止めた。
「下町って感じで住みやすそう」
「あまり知られていないエリアだから穴場かもね」
「駅からスポーツセンターが近いんだね」
「江東区民だとジムが約三千円で利用できるみたい」
「詩海くん詳しいね。ひょっとして地元民?」
「みんなネットに書いてあるよ」
「私、ここちょっと好きかも」
「……さすがにもう行かない? 先方がいるんでしょ」
有希はハッとすると頬をぱちぱちと叩いて観光気分を吹き飛ばす。奥野の話では、二人は亀戸水神駅の東側にある喫茶店で待っているとのことだった。
「指定された喫茶店は公園の近くらしいけど……」
「『サンカヨウ』という名の喫茶店なら八千代児童遊園の近くだよ。ここから歩いて五分ほどかかるみたい」
「あっ、待って!」
詩海は携帯電話を片手にすたすたと歩いていく。有希は慌てて詩海の後を追った。
踏切を渡り、亀戸中央公園を左手に南へ少し歩く。
すると、赤い三角の屋根と木目調の壁が特徴的なモダン雰囲気漂う喫茶店が見えた。有希は良い雰囲気の店だなと思った矢先、窓から奥野と南雲の姿を見つけると背筋が伸びた。二人の話し声は聞こえないが、奥野も南雲も笑顔はみせていない。これは急がねば。有希は喫茶店のドアを勢いよく開けた。
ドアベルが激しく揺れる。ボトルが並ぶカウンターの奥にいたベスト姿の老紳士が驚いた表情を浮かべている。有希は「ごめんなさい!」と頭を下げた。
「お二人ですか?」と老紳士が有希に尋ねる。
「先客との相席でお願いします」
詩海が代わりに返答する。
有希は窓際の席を見やる。奥野と南雲が机を挟んで座っていた。
「お疲れ様です」
有希は二人が座る席にやってきて一礼する。奥野と南雲が有希を見て、途端に表情を崩した。気まずい雰囲気だったのだろうか……。
「えっと……」
二人掛けのソファが机を挟んで左右に置かれていて、奥野と南雲の隣がどちらも空いている。でも、こういうとき隣に座られなかった方は否定された気分になるのでは。どっちに座ればいいのだろう……
「天宮さん、店主さんに特等席を開放してもらったからあっちに座ろう」
詩海が指さす方には、四つの丸椅子が机を囲むサンルームの席があった。
「普段は解放してないけど今日は使っていいってさ」
老紳士が有希に対してにこりと微笑む。
「せっかくのご厚意ですし移動しましょうか、奥野さん」
「はい」
南雲と奥野はティーカップを持って丸椅子に移動する。
有希は老紳士にお辞儀をしたあと、「ありがとう」と詩海に小声でお礼を述べた。
机を挟んで四人が丸椅子に座る。
「あの、そちらの方は?」奥野は詩海を見る。
「この人は秋灯社の――」
「わかった、天宮さんの彼氏ね」
有希が盛大にむせこんだ。
「じゃあ僕はデート中に電話をかけて――」
「秋灯社の同僚の詩海さんです!」
つい声を荒げてしまった。
「詩海楓です。秋灯社の法務部に所属しております。社内の法務補助ならびに知的財産権の活用を目的としたIP戦略事業を担当しています。本日は他部門の見学として天宮に同行しましたが法律的助言など必要な場合は可能な限りご協力させていただきます。よろしくお願いします」
詩海は丁寧に一礼をすると、南雲と奥野は戸惑いつつ礼を返した。
堂々としている。それに立会人という言葉を使わず、大事ではないという配慮も忘れていない。詩海なりに助力してくれているのだ。それなら私は自分の問題に集中しよう。
「どうしてお二人が一緒にいるんですか。リスケした打ち合わせ日って二週間後ですよね?」
「私が上の子を引き取りに小学校に行ったら、奥野さんがいらっしゃって。いやまさか、うちの子が通っている学校の先生だなんて思ってもみないでしょ」
「僕は非常勤ですし、担当する授業も午後からなので」
そうか、下の子が保育園の年長さんということは、小学生がいてもおかしくないか。
「それならお時間は大丈夫ですか?」
有希の問いに奥野はうなずく。
「私も大丈夫です。上の子は下の子と一緒に隣の公園で遊ばせているので」
透明なガラス壁の向こうに二人の子供が無邪気に遊んでいる。どうやらあの子たちが南雲の子供のようだ。
「それなら、『いせげん』の打ち合わせをここで始めたいと思います。よろしくお願いします」
有希はそう述べるとカバンからノートパソコンを取り出して『いせげん』の資料を開く。小さく息を吸って全身に気合を入れた。
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「最新話のコミカライズのネームの件ですが、これまでの打ち合わせを通して双方のご意見を伺い、私の方で方向性を考えてみました。その上で、今回は南雲さんの案をベースにコミカライズ制作を進めたいと思っています」
有希ははっきりとした口調でそう述べた。
微笑む南雲とは対照的に奥野は微妙な表情を浮かべた。
「なぜ、その決断に至ったのですか?」と奥野から質問が飛んでくる。
「読者目線になって考えてみました。小説は小説という媒体として補完されていて、小説の読者としては楽しく読むことができます。でも、小説の内容をそのまま別の媒体に落とし込もうとすると適合する部分としない部分が必ず発生します。その適合しない部分を南雲さんが補った上でネームを作成されていて、漫画の読者として読みやすい内容に昇華されていた……それが判断の理由です」
これがビジネスとしての最適解。有希はそう思って提示した。
しかし、奥野の表情はどこか晴れずにいた。
有希はそんな奥野の様子を静かに窺い、そして踏み込んだ。
「奥野さん……もしかして他に気がかりなことがあるんじゃないですか?」
舞台を初夏にしようか梅雨にしようか迷った末に初夏にしました。
雨の日に咲いている紫陽花や緑の葉を茂らす河津桜がとても好きですが
それは違うときに描けるようがんばります。
季節はたいせつ。
次がこの章の最終回になります。
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