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第11話   あなたの心が進むために④


コレクターユイ展が最高でした。

よろしくお願いします。




 東京都錦糸町。隅田川の東側に位置する墨田区きっての一大商業エリア。主要駅であるJR錦糸町駅の近くには複合施設が立ち並び、その駅から北東に向かって徒歩三分のところに錦糸公園が存在する。時刻は平日午後の一時前とあって一般の利用者や複合施設で汗を流す人々の他には、休憩中のサラリーマンも散見した。


「あ、天宮さん、こっちこっち!」

 木陰の下のベンチに座っていた南雲が有希を見つけると手を振った。


「待たせてすいません」

 有希は小走りで南雲の下に向かう。

「こちらこそ急に呼んでごめんね~。はい、どうぞ」

 南雲は用意していたサンドイッチとコンビニコーヒーを有希に渡す。

「これは……?」

「天宮さんのことだから何も食べずにここに来ると思って」

「南雲さぁん……」

 同性の細やかな心遣いが五臓六腑と空きっ腹に染み渡る。有希は喜んで食事を受け取ると、膝の上にハンカチを広げて、その上に置いた。

 

 さあ食事だ! ……と思うも手が進まない。抱えている不安が思いの外大きいのだろうか。


「そういえば先ほどの打ち合わせ、他の作品を進めると言ってましたよね。今、どれくらい案件を抱えているんですか?」

「んー、十五件くらいかしら。ノベコミの他に他の出版社でも編プロやってるから」

「それって結構大変ですよね?」

「まぁ……自分でも笑っちゃうくらい仕事してるわね。でも好きな仕事だからやれちゃうのよ」

 そう言った南雲の目は少女のように澄んでいた。少なくとも仕事に私情を持ち込むような人でないことは分かる。


「それで……南雲さん、どうして私をここに呼んだんですか……?」


 先ほどのアポ取りの際、会って話せないかしらとだけ言われて今に至る。


「そう身構えなくていいわよ。単に天宮さんを気分転換させたかっただけだから」

 と言われても緊張は解れない。絶対何かあるんじゃないかと勘繰ってしまう。


「編集って色々あるもんね。私も新人の頃は振り回されてばかりで、落ち着いた時間がとれなかったもの」

「ありがとうございます……」


 怒っているかもしれないと思った南雲はとても優しく、思わず涙が出そうになる。もう問答無用で南雲のネーム修正案を取り入れるべきではと思えてきたが、それは職務放棄にあたる。まずは自分が奥野と会話したことを伝えよう。



「先ほどの打ち合わせで南雲さんが退室された後、奥野さんがウェブに入りました」

「そうなの?」

「あっ……でも、本当に用があったみたいで南雲さんに対して何か思っているとかそういう感じではなかったです!」


 言葉を一つ間違えるだけで関係性が崩壊しかねない状況なのだ。慎重に……丁寧にいこう。


「ということは私の編集に対して不満を持っているってことかしら」

「そういうわけではないです!」

「そうかしら。でも社会人なんだから、遅刻したらお詫びの一言くらい述べるでしょ」

「奥野先生もお仕事の対応で追われているらしいので、後で連絡が来ると思いますよ!」


 有希はすかさずカバーリングに入るも、南雲の表情は険しい。突破口らしい突破口も見当たらないし、ここは正直に本題に入った方がいいだろう。


「奥野さんは……レクスとバルバトスの対決シーンが大幅に省略されたことを気にされていました。さっき話したのですが、このシーンには強い拘りがあって、できれば描写してほしいと」

「うーん……」


 南雲はしばらく考え込んだ後、改めて有希に見向いた。


「天宮さんは漫画の長所って何だと思う?」

「え……誰でも楽しく読めるところ……ですか?」

「そう。要は『わかりやすさ』よ。小説も娯楽作品ではあるけど文章への理解と想像を求められるじゃない。それに対して漫画は情報が直感的に取得できちゃう。子供でも、学が無くても、言葉がわからなくても、話の流れやキャラの表情でストーリーが理解できるようになっている。それが漫画という媒体の強み。『いせげん』の二人の対決だけど無駄に長いのよね」

「無駄という言い方はちょっと……」

「無駄なのよ。最新刊だけど、まずムラビトくんが敵の幹部とすったもんだして現世に戻るでしょ。その後ムラビトくんの話が続くかと思ったら、主人公そっちのけでレクスVSバルバトスの対決がスタート。最初は、お互い指揮官で部下を駒にした戦術指揮バトルで尺をまあまあ使い、その後に直接対決がスタートするはいいけど、すぐに二人の幼少期のながーい回想シーンが始まる。物語が進んでいるように見えて実際にはリスタートを繰り返して、その上、決着は次巻に持ち越しでしょ。関係性を盛り上げるのは良いことだけど、独りよがりな部分が大きくてテンポ悪いなって意見しかないわ」


「他の漫画も……ワン〇ースとかもそんな感じの巻があったような」

「あれはアニメ化もされている長編ものじゃない。そもそも作品のポテンシャルも全然違う。『いせげん』のコミカライズはまだ三巻しか出ていないルーキーなのよ。ファンをもっと獲得しないといけないってときに、男同士の友情を描きたいという作者の思想が如実に現れていて、その上ストーリー進行もテンポが悪かったら、既存の読者すらついてきてくれるか怪しいわ」


 有希も本音では該当シーンは長いと思っていて、小説を編集する際にも奥野には修正を提案していることから南雲の気持ちはよくわかる。ただ、レクスとバルバトスの関係性が思った以上に深くて熱い展開になっているのも確か。それに原作者がそのシーンに拘りを持っている以上、それを完全に無視して進行してもいいのだろうかという疑問もある。


「省略する範囲を少し減らす、というのはどうでしょうか?」

「それだと修正がおざなりになっちゃうし、原作部分の描写もちぐはぐになると思う。私も漫画編集者のはしくれとして中途半端なことはしたくないわ」


 おっとりとした見た目とは裏腹に非常にタフだ。長らく大手出版社で漫画編集を経験していただけあって仕事に対しての信念がある。身内としては頼りがいがある一方で説得する側にまわると非常に手厳しい存在だ。



「漫画の読者って主人公を通して物語を見るのよ。主人公目線で話が進行する。だから必然的に主人公が渦中にいないとダメなの。それなのにムラビトくんが完全にフェードアウトしてサブキャラ同士が話のメインになっている。単行本第四巻でやることじゃない。普通ならあり得ない構成よ」


 南雲の言う普通とは、原作そのものが漫画である場合で、そういう作品は『オリジナル』と称されることが多い。


「でも『いせげん』は小説を原作にしたコミカライズなので……」

「コミカライズとは原作をベースに面白い漫画をつくることだと思うし、小説どおりに漫画に起こすことが本質じゃないでしょ」


 ど真ん中に剛速球が投げ込まれる。奥野の説得が難しく、もし可能なら南雲を説得しようと考えていたけど明らかに経験値が違う。野球の守備は練習量という経験値の差がものを言うと聞いたことがあるけど、本当にその通りだと思った。


「天宮さんの方で奥野さんを説得できないかしら。担当編集には編集権があるでしょ?」

「編集権という権利は……いえ、そうですね」

 編集権というものは概念であって正確には権利ではないと山じいに教わったけど、それをここで指摘したら混乱をきたすことになる。南雲の勢いにのまれているせいか、いろいろな思考が頭をよぎる。


「こういう時ってガツンといった方がいいわよ。編集のことなめてかかってくる作家も多いし。じゃないと作家に振り回されるわよ」

「奥野さんはそういう人では……」

「小説の方はわからないけど、漫画は作家の気持ちを満たすためにつくっているわけじゃないのだから。売れる商品じゃないと天宮さんも困るでしょ?」

「そ、そうですね……」

「何か言われても気にしなくていいわよ。作家って自分の思い通りにならないと気が済まない幼稚な人が多いから」

 言い過ぎだと思ったけど口からは「はい……」とか細い声しか出てこない。担当編集なのに情けない。


 ふいに南雲の携帯電話が鳴った。


「え、もうこんな時間。ごめんなさい、保育園から電話があって下の子迎えに行ってくるわ。年長さんだけ放下が早いらしいの」


 有希も時計を確認する。気づけば二時半になっていた。


「それじゃあお仕事頑張ってね」


「はぁ……」

 席を立った南雲が遠くなっていくと、有希は椅子に深く腰掛けた。

 三年ほど編集をやってきたけど、こんな混沌は初めてだ。今までは何だかんだ周囲を説得できていたのに。わかりやすい悪がいるならそれを論破すれば済む話だけど、現実は正義と正義がぶつかり合っていて、万人が納得できるような正解こそファンタジーだと思い知らされる。どうすればいいのだろうと悩む今も時間は残酷に進んでいく。

 気づけば南雲から貰ったコーヒーはすっかり冷め切っていた。





『幻の勇者が異世界から現世転移してきた件 え、それってもしかして俺?』――通称『いせげん』。

・ノベライズは五巻が最新刊。

・コミカライズは三巻が最新刊。

 有希たちはそれぞれの続巻のことについて話している感じです。


 何でこんな説明するのかというと自分がよくわかっていなかったのでおさらいしました。

 よろしくお願いします!

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