第十話 編集の権利って何ですか?①
「詳しく教えて」
日曜日の昼下がり。
都内某所のカフェテラス席では、芽衣が真剣な顔つきで対面に座る有希を見た。
芽衣の目は刃物のように鋭い。大学生活から七年の付き合いの中でこんな表情初めて見た。しかもそれが自分に向けられていることに有希は恐怖した。
「二人で野球観戦しました……」
「それで?」
「長岡がサヨナラスリーラン打ちました」
「それはどうでもいい」
「どうでもよくないよ!」
「いいから座って」
有希は心の中で長岡を馬鹿にするなよと怒ったが渋々座る。
「大切なのは彼の情報よ。何かなかったの?」
「一緒に傘をさしました」
「相々傘ってこと?」
「傘は独立していました」
「そう……」
芽衣は視線を落とす。
有希は、自分はなぜ芽衣に敬語を使っているのだろうとふと思う。しかし何故か敬語が口から出てしまうのだ。それくらい今の芽衣には迫力があった。
「試合後に何かなかったの。こう、手を握ったとか、キスしたとか」
「あるわけないでしょ!」
「よく思い出して」
「うーん、帰るとき人がすごく多かったかな」
「なるほど」
「後ろから押されて倒れそうになったとき詩海くんに助けてもらった」
「ほう」
「詩海くんの手、割と大きかった」
「えっ……体触ったの?」
「うん。肩と腰」
「――――」
「詩海くんのことクッションにしちゃった」
「乗る派⁉」
「抱きしめられた形になって恥ずかしかったな」
「強く抱かれた⁉」
芽衣が椅子から転げ落ちた。そしてタイルの上で顔を押さえつつプルプルと震えている。周囲の視線を集めているその姿はどう見ても異常者だ。友達やめようかな。
有希は芽衣の体を支えて椅子に座らせる。こんな奴でも私の友達なのだ。仕方ない。
「絶対に誤解しているからはっきり言うけど何もありませんでした!」
「いやもうそれは大きな前進よ。処女喪失と言っても過言じゃないわ」
「過言だよクソバカ」
有希は芽衣の足を蹴った。
今度は痛みで震えていたが、有希は気にせずあまおう苺のスムージーを飲んだ。
「でもこれで有希も人並みの人生を歩めそうだとわかったからお母さん嬉しいわ」
「何がお母さんだよ。幻覚見てんじゃないよアラサー」
芽衣に左足を蹴られた。ヒールのつま先で前蹴りはやめてほしい。マジで痛い。
「これでも心配してるのよ。学生時代は部活に明け暮れてて、プライベートも一人でプロ野球を追ってる。せっかく見た目が良いのに男と遊ばない。一時期レズなのかなって思ったこともあるけど、そうじゃない。多分、今の小学生より純粋だと思う」
「芽衣も似たようなものじゃん。大学の頃から彼氏をとっかえひっかえしてて、今も彼氏三人いるけど将来とか考えてるわけでもなくて。暇さえあればBL同人制作に没頭してる」
「私と付き合いたいって言うから付き合っているだけだもの。勝手に奢ってくれるような人だけ選んでね。それに前も言ったけど私は家庭を持つことに否定的だから」
芽衣の家庭の事情を本人よりも知っている有希は閉口するしかなかった。
「ごめん言い過ぎた」芽衣が頭を深く下げる。
「大丈夫、マイフレンド」
有希は芽衣の気遣いを察しておどけるように親指を上げる。社会人になって、なぜ同じ体験を共有した野球部のメンバーではなく芽衣とつるんでいるかと考えると、ダメ人間同士だからこそ違うようで似ている価値観を持っていて、そのあたりが妙に気が合うのだろうと思った。
「今日は有希を茶化すためだけに呼んだわけじゃないの」
「え、いつもそんな気持ちで呼んでたの?」
「とにかく! 実は先日、出版社から作画のオファーがあったの」
「ほう!」
「メールを共有するわね」
無線通信を通して有希の携帯電話にメールが共有される。メールには先方の会社名とレーベル、作画を依頼する作品の情報、原作作家、会社の実績などが記載されていた。
「株式会社ジャパンコミック……ああ、韓国系のウェブトゥーンをよく扱ってた会社だ」
有希は携帯電話の漫画アプリを開く。ジャパンコミック名義のローカライズ漫画作品がL〇NEマンガ内に多数掲載されていた。その一方で日本産の漫画もいくつか取り扱っていた。
「正確にはIT系企業だけど、最近は電子マンガ制作に注力してるみたい」
「IT会社が漫画つくってるの?」
芽衣が体を伸ばして有希のスマホを上から覗く。
「企業数だけで言えば出版社よりも多いよ」
「へえ……その会社から、登録しているイラスト専門サイト経由でDMが来たの。弊社で『なれる』の作画してみませんか、って。実際のところさ、出版社ってこういうスカウトみたいなこともやってるの?」
「やってるよ。SNSにイラストをアップしてる作家さんの中で漫画描けそうな人に声掛けするの」
「そういうのってプロの漫画家には頼まないの?」
「頼むこともあるけど、正直、作画ってやりたがらないじゃん」
漫画を描く人は誰だって、自分だけのオリジナル作品を描くことを夢見て努力する。そのあたりは芽衣も理解していて、有希の意見に深く頷いた。
「だから最近はコンテストによるリクルートが多いの。その方がモチベーションも高いし」
「モチベーション……大学でやったよねえ」
「古典的マネジメント理論と現代的マネジメント理論」
「アンダーマイニングとかね」
「懐かしいなあ」
芽衣は昔を思い出して笑ったが、有希は今も担当作品が無事進行しているのか急に不安になって乾いた笑みが出た。
「でもさ、それなら何で私にオファーが来たんだろうね」
「出版社目線だと『なれる』の出版はプロジェクト化しているから企画を走らせる必要があって、それで絵が上手かったりとか、スケジュールを確保しやすい人とか、色んな理由でオファーするの。時にはイラストレーターにも作画をお願いすることがあるし」
「カラーをトーンに変換すればいくらでも漫画になるからね。私もグレースケールで塗ってからトーンにしてる」
「それでオファーどうするの?」
「断るよ。色々話聞いたら今の私には合わないから」
商業作品をつくることは想像以上に体力気力が削られる。芽衣の決断は正しいと思う。その一方で、同じ世界で働けないことに関しては残念だと思った。
「それに知り合いの作家さんも似たようなオファー受けて挑戦してみたんだけど、担当さんと喧嘩して折れちゃった人もいるの」
「喧嘩したんだ……すごいね」
「描いたネームを全修しろって言われたみたいなの。何の権利があってそんなことするんですかって言ったら「編集には書籍を編集する権利があるから作家は従わないといけないんだ」って怒鳴られたみたい。編集権って言ってたかな」
編集権……著作権なのかな? でも以前聞いた詩海くんの説明には無かったような……。
「やっぱり良い作品つくろうとするからバチバチになっちゃうのかな?」
「私の場合、その辺は編プロさんに任せているから何とも言えない」
「編集も色々あるんだね」
芽衣は机の上に置かれていた注文書を手に取る。
「追加で何か飲む?」
「えっ、いいの?」
「言っておくけど今日は奢らないわよ」
「支払いはお母さんの役割でしょ?」
「有希も幻覚見ないでよ」
大学の授業つらたん。
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