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第九話   あなたの文化と私の権利②


 夜の東京でひと際大きな歓声が上がる。


 東京都新宿区外苑前の一角に広がる屋外野球場、明治神宮野球場。

 通称『神宮球場』。

 フィールド内の各ポジションについたヤクルトの選手たちが軽快にフィールディングを行っている。

 球場内一塁側の中段にある伊藤忠ペアシートに座っていた有希は上半身にユニフォームを羽織り、両手にメガホンを持って試合開始を待っていた。


 バックスクリーンに備え付けられたスピーカーから、スタジアムDJによるお馴染みの掛け声『ゴーゴースワローズ!』が大音量で流れて球場内の雰囲気を煽る。


「ゴーゴースワローズ!」

 有希が周囲のファンと共に叫ぶ。

『ゴーゴー、スワローズ!』

「ゴーゴー、スワローズ!」

『ご声援ありがとうございました』


 球場全体で拍手やメガホンを叩く音が鳴る中、机を挟んで左側の席に座っていた詩海は携帯電話をいじっていた。


「明治神宮球場って新宿区にあるんだね」

「そうだよ。千駄ヶ谷駅や信濃町駅から近いからね。それがどうしたの?」

「明治神宮は所在地が渋谷区だったはずだから少し気になってさ」

「そんなこと気にするのは詩海くんだけだよ」

「プロ野球のことよく分からないままここにいるからね」


 深夏に野球観戦を断られた後、有希は会社の入口で詩海と遭遇した。年上の誘いを断わるのも大変だろうと思い最初は誘うつもりはなかった。だが、手に持っているチケットについて詩海に質問されて、一緒に観戦してくれる人を探していると吐露したら「僕が行ってもいい?」と言ってきて、今に至る。


「今までの人生の中で野球には触れたこともないの?」

「野球ゲームは友達の付き合いでやっていたから基本的なルールとセパの球団名くらいならわかるけど、チームの特徴とか選手のことなんて知らないし、ボールに触ったこともない。野球のボールって硬いんでしょ?」

「軟式球と硬式球があって、プロやリトルが扱う硬式は硬いね」

「リトルが何なのか分からない」

 知識が一般人レベルだ。そんな詩海がなぜ野球観戦についてきたのだろうか……。

 有希が考えを巡らせていると、主審が試合開始を告げた。



 マウンドに上がった高橋の投球は荒れていた。

 初回先頭バッターの岡林に対してはスリーワンからの四球、二番上林にはストレートの四球。ノーアウト一、二塁で、迎えるバッターは若くして国際試合にも選出された経験を持つ強打者の細川。

キャッチャーの中村はタイムをかけてマウンドに駆け寄り、高橋に声をかける。


「大丈夫だよー、奎二なら落ち着いて投げれば抑えられるから……」

 有希は心配そうにバッテリーを見つめる。


 試合が再開される。マウンドで汗を拭った高橋は、バッター石川に対して変化球中心の攻めを行い、カウント1―2と追い込んだ後、四球目、インローのスライダーをひっかけさせて6―4―3のダブルプレーを成立させる。その後の打者板山はチェンジアップで空振り三振を奪い、初回を無失点で切り抜けると一塁側の観客席から歓声が沸き上がる。


「良かったぁ。さすが奎二ぃ」

 有希は体を震わせて何度もメガホンを叩く。

「ファンの人って選手を名前呼びするんだ」

「人によっては高橋とかヘイアンとか呼び方が変わるけど、私は名前の方が愛着あるからそう呼んでるだけだよ。あと奥さんが元アイドル」

「へえ、そうなんだ」



 一回裏、ヤクルトの攻撃が始まる。打席に立つのは赤羽。対するピッチャーは松葉。


「赤羽は長野県出身でBCリーグを経て二〇二〇年の育成ドラフトで入団した選手で内外野守れるユーティリティプレイヤ―なんだ。今までは控え中心だったけど今年は村上がケガをして開幕サードスタメンだったの」


 赤羽はカウント1―1の三球目、アウトコースのカットボールを叩いてショートゴロに終わる。

 ピンク色のリストバンドが特徴的な選手西川がネクストバッターズサークルからゆっくりと打席に向かっていく。


「あの選手は遥輝。ドラフト2位で最初は日ハムに入団してタイトルをとるくらい活躍したの。一時期はメジャーを目指していたんだけど色々あって楽天に移籍して、その後ヤクルトに入団した選手なの。イケメンで女性ファンが多くて、遥輝ファンのことは通称ハルキストって呼ばれているんだ」

「じゃあ天宮さんもハルキストなの?」

「違う!」

「えぇ……?」


 西川は二球で追い込まれるも、その後はファールで粘り、フルカウントになった後の八球目で四球を選んで出塁した。


 次の打者が打席に入る。長身で色白の選手長岡が、両手に持ったバットを一度背部に落としたあと左肩に乗せて、バットを立てつつ顔を投手に向けた。


「長岡ーっ!」

 有希が立ち上がって選手名を叫ぶ。しかし、ライトスタンドと違って一塁側の観客席は基本立たないことを思い出して有希は申し訳なさそうに座った。詩海は有希の背中をチラリと見る。有希が身にまとっていたのは長岡のレプリカユニフォームだった。


 ボール球が続いてカウントは2―0。絶好のバッティングカウントを迎えて松葉が三球目を投げる。インローのツーシーム。左打者の足元に食い込むように変化するボールを長岡はゴルファーのような打ち方で掬い上げる。弾かれたボールは斜めの直線を描き、そしてライトポール左側に突き刺ささった。球場全体からわっと歓声が上がる。


「はい、傘開いて」

「えっ?」

 有希から傘を渡された詩海は呆気にとられる。薄暮の上空は雨が降る様子もない。しかも渡された傘は生地の部分が小さくて実際には防雨できない謎仕様になっている。だが周囲の観客たちが同じような傘を次々と開いていくと、この傘が応援アイテムということを詩海は察した。

 二人の選手がベースを回る中、東京音頭のメロディーがライトスタンド上段から演奏されてヤクルトファンたちが合唱を始め、有希も嬉しそうな表情で合唱に参加した。

 しばらくして合唱が終わったあとは万歳三唱。そのときバックスクリーン右側から一塁側観客席にかけて開いていた色とりどりの傘がくるくると回る。その様子はまるで観客席に花が咲いたようにも見える光景だった。


「得点すると東京音頭を歌うんだ」

 詩海は閉じた傘を返そうとするも、有希に「また使うよ」と言われて拒まれた。


「初代応援団長の岡田さんという人がいて、当時のヤクルトは弱くて、空席が目立つ寂しさを紛らわせるために誰でも知っている曲を歌って活気を与えるために取り入れたの。元々はロッテオリオンズが使用していた曲だったらしいけど、いつしかヤクルトの応援歌になったみたい」

「東京音頭は作曲の著作権は消滅してパブリックドメインになっているけど、作詞の方は著作権が残っているんだよね」

「それじゃあ神宮で合唱することは違法なの?」

「著作権法第三十八条で、営利を目的とせず聴衆または観衆からお金をもらわない場合においては演奏、上映、上演、口述することができるという旨の記載があるんだ」

「でもプロ野球って営利活動している団体だよね?」

「球団はね。さっき演奏していた応援団って公式団体なの?」

「私設応援団だよ。確かNPBから許可をもらって応援しているんだったかな」

「じゃあ東京音頭を合唱しても問題ないよ。善意かつ無償で演奏しているから少なくとも営利目的じゃない。逆に公式応援団だと業と見なされるから著作権侵害になると思う」


 こんなところでも著作権問題があるのか。しかしNPBの法律に対する配慮がすごいし、ファンとして慣れ親しんだ明治神宮で勉強することになるとは夢にも思わなかった。


 それから試合は投手戦の投げ合いになりあっという間に六回表になる。

 ヤクルトの先発高橋は尻上りに調子を上げ、勝利投手の権利が得られる鬼門の五回を三者凡退でクリアして、迎えるは安打製造機村松。


「村松はヤクルト戦打つんだよな……」


 有希が心配した通り村松は右中間へツーベースを放つ。その後は木下がバッターボックスに入り、そしてレフトにツーランホームランを打った。歓喜に沸く敵チームとレフトスタンドを陣取るそのファンたち。静まり返る一塁側観客席。その中で有希は歯ぎしりして悔しがっていた。


「村松ぅ……!」

「……天宮さんは」

「何?」

「どうして他人事で感情むき出しになれるの?」


特許権一級の試験対策から逃げて小説投稿しに来ました。よろしくお願いします。





※本作品は実在の法律的根拠ならびに過去の判例を参考に作品を執筆しているエンターテイメント作品のため、

 法律または法律的助言の提供を目的としたものではありません。

 法解釈における正確性や妥当性に関しては努めて配慮しておりますが、

 作品外における作品内容の利用に関してはご自身の判断でご利用ください。

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