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第八話   天宮有希の権利トラブル②



   ――二年前――


「備前編集長!」


 秋灯社のノベル・コミック編集部内に有希の快活な声が響く。

 備前は苦笑しながら隣に立つ有希を見た。


「役職は省いていいから」

「この案件だけどどうしますか?」

「オリジナル漫画の売り込みね……どうしようかな」

「備前さん、前にコミカライズだけじゃなくてオリジナル作品も連載したいって言っていたじゃないですか。この人、結構描きなれていますよ」


 有希はタブレットを備前の前に出す。

 ディスプレイには企画提案書と三話分の仕上げ漫画データが表示されていた。



「やりたいとは言ったけど、配属したての天宮さんがオリジナル作品の連載を担当するのは難しいと思う」

「頑張りますよ!」

「うーん……」

「出版点数も稼げますよ!」


 配属したての頃、備前から話を聞いたことがある。出版社の編集職には『出版点数』というノルマがあることを。出版社が単行本を出版した場合の利益は、基本的に単行本の売上が相当する。つまり出版物が無ければ売り上げを得られる機会もない。だから各出版社は多大なコストを支払って作品をこぞってつくり、大きな利益になることを目指して出版しているのだ。



「日本では漫画の単行本一巻を出版するにあたって250万~300万のランニングコストがかかる。これは投資であってリターンはほとんど無い。最近は電子で各話別に売る方法や、連載する自社サイトに広告をつけて還付することもできるけど、リターンの基本は今でも単行本がメインだ」

「だったら――」

「原作のあるコミカライズと違ってオリジナル編集はシナリオを一から作ることになる。仮に編プロの南雲(なぐも)さんがいたとしても制作のハンドリングは難しいと思う」


 南雲さんは元々は大手出版社で漫画編集者として活躍していた人で、現在はフリーの編集としてノベル・コミック編集部で連載しているコミカライズ作品の多くを技術的指導している。そんな熟練のサポートがいてもオリジナル作品は大変らしい。しかし有希は「お願いします」と食い下がる。グローブの使い方も分からなかった自分がノックを受け続けて守備が上達した。やらないと始まらない。それは社会に出ても変わらない。何よりも、会社やみんなの役に立ちたい。その気持ちがとにかく強かった。


「作家さんに話を聞いてみよう」

「ありがとうございます!」

「ウチの条件面のドラフトを見せて、相手側の希望も聞く。契約まわりのことは現状ぼかす。それでちょっとやってみて」

「はい!」


 滑るように席に座り、編集部の共有ストレージからダウンロードしたドラフトを添付して作家にメールを返信する。



 返事はすぐに来た。



「明日の午後四時からウェブ面談したいと要望を受けました」

「その時間は会議があるなあ」

「リスケします?」

「作家さんの都合もあるだろうし、挨拶してからウェブだけ繋いでおくよ」


 備前は編集長の傍ら役員の会議にも出席しているためよく席を外す。備前の共有スケジュール欄も毎週行われる編集会議を除けば、業務時間中はすべて『会議に出席』のシートが設定されている。本人いわく面倒だからそうしているとのことだ。上の立場の人たちは何だかんだ大変なのだ。そんな役職なしド新人の自分にできることと言えば家に帰って滞りない進行ができるように話し方の練習をするくらいだった。


---------------------------------------


 日が変わり、ウェブ面談の当日を迎えた。


 ウェブミーティング画面には有希と作家の馬渡(まと)あずさ氏、備前と書かれたアイコンの三画面が映っている。備前は開幕挨拶を行って早々と退散していた。


 馬渡は中年の女性だった。大きな丸眼鏡をかけていて、長髪を頭の上で丸くまとめている様は串に刺さった団子のようにも思えた。大学卒業後はゲーム系のデザインを行う傍ら漫画家を目指して出版社に作品を投稿していた。現在は仕事を辞めて専業主婦。今も他誌の担当が複数ついていて連載会議用に作品制作を行っているが、本連載に至ったことは一度も無いとのことだ。


「『馬渡さんの作品『ユニコーン(ざくら)』拝見しました。元ヤンキーで三浪の末に藝大に合格した男が、勉強とは無縁の不良やギャルたちを指導して藝大を目指す青春スポ根系の漫画で、とても面白かったです」

「ありがとうございます~!」


 馬渡は恭しく頭を下げる。特徴的な風貌と甲高い声のせいでコントのような印象を受けた。


「ところでなぜウチの出版社に投稿しようと思ったのですか。ウチの編集部は現在コミカライズの連載作品しかないのですが」

「ええっと……前々から『悪レベ』が好きでずっと読んでいて、それで自分もノベコミさんで連載したいなと思い、メールフォームからメールしてみました」

「ありがとうございます」

「それで条件面なんですけど――」


 馬渡が急に食い気味に言ってきたため、有希は驚いて「はい!」と返事をした。


「連載した場合、モノクロ原稿料8000円、カラー原稿はモノクロの1・5倍の金額。紙の印税10パーセント、電子印税20パーセント。この内容でお間違いないですか?」

「は……はい。現状ではそれがウチの目安です」


 内容に何か問題でもあるのだろうか。それとも自分の進行に不備があったのか……。



「素晴らしいです!」

「はい……?」

「他の出版社はもっと安かったから、ノベコミさんだとこんなに貰えるんですね!」


 馬渡は他誌の担当がついていると言っていた。この条件よりも安いということは、それはまともに生活ができるのだろうか。


「ちなみに他社さんだと原稿料はどれくらいなんですか?」

 今日はちゃんと進行すると鉄の心で臨んだにも関わらず興味という魔物が顔を出す。


「〇〇社はモノクロ一枚6000円でした」

「安い!」

 思わず叫んでしまった。その会社はオリジナル漫画作品を中心に連載していて、アニメ作品も多数輩出していた知名度のある中堅出版社だった。

「でも最初は安いけど連載が続くと原稿料も高くなるらしいです」


 なるほど。会社によって色々なシステムがあるのか。


「読み切りだとモノクロ5000円って言われました」

「ええっ⁉」

「でも十年前の話だから今でも同じ値段なのかはわかりません」

「そう……なんですね」


 色々な情報を知って気分がジェットコースターのように乱高下する。しかしこの人、他社の内情をペラペラ話しているけどいいのだろうか……。

 そろそろちゃんと進行しなければ。軽く深呼吸しよう。



「現在は三話分の仕上げデータがあるとのことですが、連載を行うにあたっては作品の方向性を打ち合わせで詰めて、あとネームのストックもそれなりに必要となります。馬渡さんさえよろしければ、まずは連載を目指して今後も打ち合わせを行っていく形ではどうでしょうか」

「連載確約じゃないんですか?」

「はい」

「う~~~~ん」


 馬渡は数秒唸った。備前からは法的なことは避けるようにと厳命されている。


「仮にネームを十話分作った場合、お金は発生しますか?」

「えっ?」


 ネームとは漫画における設計図のようなもので、この作業で漫画のコマ割りや台詞内容、表現描写などを決めていく。しかし、ドラフトには仕上げデータの原稿料しか記載が無い。こういう場合はどうなるのだろうか。


「毎日生活するにもお金は必要ですよね?」


 え、こっちが質問されているの。どうしたらいいの?


「編集長の備前に相談して――」

「編集長さんはいないんですか?」


 しまった。

 備前のアイコンがあるだけで本人はこの会議に参加していないことを忘れていた……。



「……わかりました。法務の者に確認してみます」

「わかりましたってことはつまり確約ですね。よかった~!」


 いやいや、確約はしていないだろう。でも雰囲気に呑まれていて反論の言葉が口から出てこない。そのあとは馬渡が意気揚々と仕切ってウェブ面談が終わりを迎える。



 果たして大丈夫なのだろうか。

---------------------------------------



 しかしその後は有希の心配をよそに、有希と馬渡、編集プロダクションの南雲の三者で打ち合わせを重ねて『ユニコーン桜』連載に向けての制作が進行していった。


 季節が夏から秋に変わり、ネーム制作も八話まで進んだところで、ふいに馬渡から電話がかかってきた。


 馬渡は涙声で話す。

 実際には泣いているかは有希には分からなかったが。



「天宮さぁん……助けてくださぃ~~~!」





漫画の単行本第一巻のコストは約300万円。いろーいろ掛かってこの価格。

博打はこわいね!(/・ω・)/


※ドラフトとは『契約書の下書き等』を指します。

 捺印する前に契約者双方で契約内容を確認するために行うための書類です。一位とか二位とか決めるアレじゃないよ!



※本作品は実在の法律的根拠ならびに過去の判例を参考に作品を執筆しているエンターテイメント作品のため、

 法律または法律的助言の提供を目的としたものではありません。

 法解釈における正確性や妥当性に関しては努めて配慮しておりますが、

 作品外における作品内容の利用に関してはご自身の判断でご利用ください。


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