第八話 天宮有希の権利トラブル①
「失礼します!」
有希が法務部に飛び込むと、ベスト姿の小柄な男性が「お~」と間延びした声を上げた。
「山じい、体は大丈夫?」
「大丈夫じゃよ~」
「でも杖をついてるね……」
「一時的な退院じゃからな。完治はまだ先じゃ」
有希がしゅんとすると、小柄な男性――山村廉二郎は胸を張ってかっかっかと笑った。
「儂ももう七十手前じゃ。杖の一つくらい使いこなしたいと思っていたから丁度いい」
「見舞いに行ったとき猪にすごい文句言ってましたよね」
デスクに座る詩海は紙の書類を見比べながらそう述べた。
「詩海くん、そういうことは言ったらダメじゃぞ!」
「そうそう。野暮だよ!」
「……仲が良いんですね」
「天宮ちゃんはいま時間あるかな。軽く雑談でもせんか?」
「ぜひ!」
山村がペットボトル飲料を用意する傍ら、有希は応接用のテーブルを眺める。そこには包装されたお菓子や色鮮やかな花束が複数置かれていて、社内における山村の人徳を有形的に表していた。
「こんなに多くの花束、学校の行事以外で見たことないよ」
「儂が花を好きなことを知っている人らがくれたんじゃよ。人事部の遠山さん、総務部の中野さん、経理部の今井さん。あと社長」
「え、社長?」
秋灯社において、同じ部内で転属や産後復帰等が起きた時は所属部員のみでささやかな祝いを行うことはある。それでも社長の花束はさすがに初めて見た。社長が贈ったらしい優しいオレンジ色の花束は鳥の巣のようなバケットに入っていた。
「昔は法務部内で花を育てていたんじゃ。都内は花屋が多いから、育てたい花があれば取り寄せることもできた」
「この流れでごめん……はい、退院祝い」
有希は青色の和紙でラッピングされた洋菓子を山村に渡す。目上の人の退院祝いなど初めてだったのでネットで購入費用の相場を調べまくった末に、結局は銀座の老舗菓子店で購入した。しかし、今の世の中はネットが発達しているせいか同じことを考える人がいるらしく、机の隅に同じ商品があることを見つけると、声にならない声が出た。
「銀座の蓮陽堂のカステラか。これ好きなんじゃよ」
しかもすでに知っている商品だった。安易にネットに頼った自分が恥ずかしい。
有希と山村は応接用のテーブルをはさんで対面で座る。
「詩海くんも一緒にどうだ?」
山村はテーブルにお茶を三つ用意していた。
詩海は手元の書類を数秒見たあと、「はい」と言ってテーブルの隣にやってきて、足を止めた。
「何をそんなところで突っ立っているんじゃ」
「マナー的にはどっちに座ればいいんだろうと思いまして……」
「天宮ちゃんの隣に決まっているだろう。若い者同士でくっつくのは世の道理じゃ!」
その道理はともかく確かにどっちが正解か迷う。取引先との打ち合わせの際の窓側問題とか、飲み会の上座問題とか、とにかく日本社会はマナーにうるさくて絶対的な正解も無い。だから詩海が座りやすいようにソファの空いているスペースをポンポンと叩いた。
「……失礼します」
詩海は気が乗らない表情で有希の隣に座った。
「あれ、私に敬語……今日はどうしたの?」
「むしろ天宮さんは何で山村さんにため口なの?」
「前に山じいが友達感覚で頼むって言ってたからだよ」
「そうじゃ、そうじゃ。それに社内でちゃんとフレンドリーに話してくれるのは天宮ちゃんくらいじゃからワシは本当に嬉しいんじゃ!」
「いぇーい!」
「いぇーい!」
片手を突き出すと山じいがそれを手で叩く。完全に部活動のノリで、二人の日常風景だ。
その様子を詩海は唖然とした様子で眺めていた。
「……天宮さん、目上の人はちゃんと敬ったほうがいいよ」
「本人がそうしてほしいって言ってるんだよ?」
「山村さんは――」
「こら。ワシの触れ合い方に茶々を入れるんじゃない!」
詩海は何か言いたげだったが押し黙る。
「でも、ここに座ると二年前のことを思い出すなぁ」
「あの時は詩海くんではなく備前くんがいたな」
「前に山村さんに助けてもらったって言ってたよね」
「そう。入社して三か月の頃だったかな。ノベコミ編集部に漫画作品がメールで届いたの。貴社の編集部で連載したいですって」
当時のノベル・コミック編集部は発足してから三年目を迎え、ウェブの連載もほとんどが『なれる』のコミカライズ作品だった。引継ぎの仕事も抱えていたが、やはり編集者としては自分の企画を立ち上げてこそ一人前という自負が当時の有希にはあった。
「作家さんは多摩美術大学の卒業生で、カラーリングも上手くて、漫画の描き方も慣れている人だったの。話の内容もコミカルとシリアスが半々の青春王道系ストーリー。その頃ちょうど美術を題材にした人気アニメも放送されてたからイケると思った。当時は」
有希は、当時は、というワードを強調した。
「今は編集部への連載の売り込みもメール一つでできる時代じゃからな。昔はコンテストで賞をとるか、アシスタントになって連載を目指すくらいしか漫画家になる道がなかった」
「それで連載はしたの?」
「できなかった」
「その作品には法的なトラブルを抱えていたんじゃよ」
天宮「詩海くんもいぇーい!」
詩海「新人の頃からトラブルまみれだったんだね」
天宮「いぇーい……((泣))」
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