聖女召喚されましたが原稿上がるまで待ってもらってもいいですか?~締め切りまであと10時間~
「聖女召喚の儀、成功です!」
「よくやった!これで我が国は救われる――!」
仮眠から目覚めたら宮殿のような場所にいて、魔法使いっぽい格好の人たちに囲まれていた私が最初に確認したのは、今日の日付と現在時刻。スマホの表示を見たところ、3月17日の朝8時。やばいやばいやばいやばい寝過ぎた!!!!!!
「聖女様、私は魔術大国クルトハイムの魔術師長を務めるシドと申します。この国は現在瘴気に覆われ」
「その話長くなります?今じゃなきゃだめですか?」
「て――え、えぇ?」
銀髪碧眼のイケメンがなんか難しそうな話を始めようとしたので、それどころじゃないと食い気味で遮る。
「あのですね今締め切り前なんですよ。夕方までに送らないとまずいんですよ。むしろ発売日から逆算したらもうアウトなんじゃない?ほんとに間に合う?信じていいの?って思いながら進めてるんですよ。ただでさえ今月はレギュラーアシさんたちがコロナとインフルでいつもより稼働が下がってて自力でなんとかしなきゃいけないのに、祝日の配置が最悪で雑誌の発売日が三日も前倒しな上にセンターカラーなんですよ。カラー提出した後1日ぶっ倒れて何もかもギリギリの中進めてたらヒロインの髪トーンの処理を間違えて『こりゃ寝ないとだめだ……』と思って二時間だけ仮眠するつもりがもう朝なんですよ。つまり二時間寝るつもりで六時間寝ちゃったので、予定してた作業時間が四時間も減ったんですよ。これがどういうことかわかりますか!?」
「つ、つまり聖女様には……時間が無い?」
「その通り!!!!!」
◇◇◇
私、碧月柚香(本名:青木優佳)は、月刊誌に連載を持つキャリア10年目の少女漫画家だ。現在連載中の「こんな恋は二度とごめんだ!」(恋ごめの略称で親しまれている)はドラマ化も果たし、物語いよいよ佳境に突入。今月はカラーページも貰えて、まさに順風満帆……と傍目には見えるだろう。
「今、大きい連載が立て続け終わりまして、カラーを担える作家さんがあんまりいないんですよ。来月からは大御所の花宮ナツキ先生が久々の新連載で戻って来るし、映画化が内定してる作品もあるって聞いてるから、その漫画家さん達は監修やらなんやらで忙しいはず。だから私におこぼれでカラーが回ってきたにすぎないんですよ……そんなにカラーうまいわけじゃないのに……やっぱ他の人に塗ってもらえばよかったかもしれない……」
漫画家は不安定な職業だし、人気商売なので浮き沈みが激しい。私は増刊号に読み切りが載ってからここに至るまで運良く途切れず仕事をもらえているけど、上にはヒットメーカーの才能溢れる漫画家先生が沢山いて、下からは勢いのある若手がどんどん突き上げてきている。崖っぷちではないけど、決して気が抜けない立ち位置だ。
「これがユズカ様の描かれたマンガというものなのですね。非常に精緻な絵柄で、高価な紙が惜しげもなく使われているとは……そちらの世界の文明が発展していることがうかがえます」
「そう言われるとめっちゃカッコいいことしてる気になってきた!やる気出ます!」
基本的には締め切りをしっかり守る優良漫画家な私だけど、今月は不運が重なって未だかつてなく遅れている。もはや一刻の猶予も無いため、私と共にこの世界に召喚された作業机と機材一式の動作確認をし、どういう原理かわからないけどスマホとPCが自宅のWi-Fiが繋がってることがわかったので、すぐ作業を再開した。原稿を落としたら私の漫画家人生はお先真っ暗だ。
「そのような時に召喚してしまい、申し訳ありません。ユズカ様の作業が終わり次第改めて聖女の役割について説明させていただきたく存じます」
「聖女って……浄化?したり、怪我や病気を癒したり、闇の軍勢と戦ったりするやつであってます?そういうキャラが出てくるマンガ、よく読みますよ」
「なんと……!魔力のない世界でも存在が知られているとは、やはり聖女様は特別な存在なのですね!」
どうやら私はこの世界における聖女のようで、今すぐ国を救うことを求められてるっぽい。
けど、自分の原稿を上げずに人助けをしているような余裕はない。まずは無事に原稿を提出して担当さんの胃を救わねばならない。いつもよりピ――――日(とても言えない日数)原稿が遅れてるので、担当さん並びに編集部のみなさんの心労が計り知れない。
普段なら作業通話をしながら漫画家仲間と和気藹々と作業することもあるけど、恐らく同じ雑誌で連載中の戦友たちは脱稿済だろう。いや、終わってなくてまだやってたとしても、その事実は知りたくない。
そんなこんなで、色んな意味で孤独な戦いを強いられている。とはいえ後は数ページ分の仕上げだけなので、厄介なページはあれど真面目に集中してやれば予定の時間には完成する……はずだった。
「……寝る前の私のあほんだら……」
仮眠前にあとはトーンだけどいうところまで仕上げたラスト3ページのデータを保存し損ねていて、そこだけペン入れからやり直しだ。一度描いたものをもう一度描くのはあまりにも苦行過ぎる。特に私は下描きをざっくりとしか入れないので、ペン入れに時間が掛かる。描けば描くほど「前のほうがよかった」という気持ちになるのが嫌でそうしていたのに、裏目に出てしまった。諦めてコツコツやるしかない。
「ふむ……マンガという書物は、ユズカ様の世界で広く読まれている恋愛指南書なのですね。種の存続のため、貴賎を問わずこのようなもの広く普及させるとは……。そちらの世界は識字率も高いのでしょう。優秀な為政者の存在を感じます」
「少女マンガの役割が重大過ぎる……」
少女マンガがどんなに売れたって、我が国の少子化は絶賛加速中だ。
「しかし、聖女召喚について既にユズカ様に知見がお有りとは、恐れ入りました。それもマンガから得た知識というのはにわかに信じがたい話です」
「私の世界では一大ブームを巻き起こしてますよ、異世界マンガが。あとは悪役令嬢とか、国外追放からのスローライフとか、転生チートとか……とにかく異世界が大人気です」
「恐らく、実際に界を渡った存在が後世のために書物を残しているのでしょう」
「えっ、そんなことある……?」
リアル異世界転生(転移)者漫画家がわんさかいたら、ネタ被りが凄そうだ。
シドさんと喋りながら、ラスト3ページ以外の仕上げをどんどん進めていく。アシスタント時代に鍛えられたので、トーン作業は早くこなせるのがちょっとした自慢だ。コツは躊躇わないことと振り返らないことだ。
「世界とは沢山の層が重なって構成されているもので、今我々が居るクルトハイム王国があるここと、ユズカ様のニホンがある場所は、見えないだけで隣り合っているのです。正しい手順を踏めば、高位の魔術師なら今いる場所と異なる世界を渡り歩くことが出来ると言われています。太古の大魔術師くらいしか不可能でしょうが……」
「魔術師長のシドさんでも難しいんですか?」
「人が体内に保有できる魔力量は生まれつき決まっているのですが、この国の民の魔力量は年々減少しています。他国もそう変わらない状況のようです。そんな中で、我々魔術師団が総力を挙げて挑んだ大魔術が、聖女召喚の儀でした」
この国はかつて魔王を封印した勇者と聖女が結婚して建国したので、王家の人たちはその子孫だ。封印の地となった王都を守ることが一族の使命だという。だけど、ここ数年で急激に封印が緩み始めて、精鋭ぞろいの魔術師団でもそこから漏れ出てくる瘴気をなんとか抑えるのに精一杯。
この状況を打開するために、国が総力を挙げて行ったのが”聖女召喚の儀”だ。
聖女は国の危機に異界から呼び出せる特別な存在で、聖女にしか使えない固有魔術で瘴気を祓ったり悪しきものを封印したり、普通の魔術師じゃ出来ないことが沢山出来るらしい。
「今の連載が終わったら、そういう話を描くのもアリだなぁ。商業でファンタジーマンガ描いたことないけど」
「あの、まず我々の話を聞いていただきたく」
「これ以上の込み入ったお話は脱稿後にお願いします!」
「………………承知いたしました」
不思議なことに、切羽詰まった時ほど脱線してしまう。目の前の原稿と違う作品を練りたくなったり、原稿じゃない別の絵を描きたくなったりする。私は一人でいるとどんどん脱線してしまうので、喋っていた方が逆に手元の作業に集中できるタイプだ。だから、このお喋りは必要なことなのだ。誰が何と言おうとそうなのだ。
「よっし!21ページまでは出来た!」
「では、早速我々の話を」
「残り3ページまるっと残ってるので、ちょっとだけ寝ます」
「寝ていて間に合うのですか!?」
正直時間は全然無い。ただ、一旦頭を切り替えるために寝たい。
「スマホでタイマーセットしたんで、音が鳴っても起きなかったら起こしてもらえると助かります。ではおやすみなさい!」
◇◇◇
『雫、ここは危険だ。今なら誰も見てないから、さっさと帰れよ』
『そんなこと言われて、帰るわけないでしょ!カイトと一緒じゃなきゃ、私、ここから一歩も動かないんだから……っ!』
『バカだなぁ、雫は……ほんと、俺なんかに捕まっちゃってさ』
(ここでカイトは、珍しく弱気な顔を見せるんだよね。今までは描いてこなかったけど、結構脆いところもあるんですよ。うちのカイトくん)
私が現在連載中の『恋ごめ』は母子家庭でたくましく育ったヒロインの雫と、幼馴染のワケあり男子カイトの恋物語だ。5歳で出会った二人は17歳で恋人同士になるけど、雫と出会う前のカイトは資産家のおじいちゃんのお屋敷で暮らしていて、色々あってお父さんと二人でその家を出たけど、本人の意思を無視して連れ戻されてしまう。
『カイトさん……そちら、どなたですの?』
雫は沢山の人の協力を得て、なんとかお屋敷に忍び込んでカイトと再会。だけど、おじいちゃんが決めたカイトの許婚、錦小路撫子に見付かってしまい――ここで次回に続く。
この撫子お嬢様が出てくるシーンから原稿が真っ白なので、まだ描き慣れてない新キャラがいるページの作業が残っているというヘビーな状況だ。
更に困ったことに、撫子のキャラを練り直したい。原稿をやりながらテコ入れするつもりだったけど、原稿提出まであと5時間しかない。担当さんも編集長もこれでいいと言ってくれたので後はもう私のこだわりだけの問題だから、切羽詰まっているときに考えることじゃないのはわかってる。でも、もっといいキャラに出来そうな気がするのだ。たくましい雫と対照的になるよう、ふわふわの金髪寄りの茶髪を緩いおさげにして清楚な白いセーラーワンピの制服を着た純粋無垢な箱入りお嬢様にしたけど、果たしてこの子が雫のライバルになれるのだろうか?
(カイトの元カノが年上の包容力があるお姉様キャラだったから真逆にしてみたんだけど、雫と上手く噛み合わないかもしれない)
雫とカイトはお互いの欠けたところを埋めるようなカップルだから、全部持ってるお嬢様の撫子じゃカイトとは合わないし、撫子が生まれて初めて望んでも手に入らなかったものがカイト……というお話にしたいと思っている。今の撫子だと、ゆるふわお嬢様な印象が強すぎて思った方向に話が転がらない気がしてきた。
(スッキリするための仮眠なのに、結局ろくに眠れず脳内でマンガのことばっか考えちゃってる……起きて作業するかぁ)
「魔術師長はどこにいるの!聖女召喚の儀の報告はまだ!?」
「アンゼリカ殿下、どうしてここへ?誰も通さないよう師団員には言ってあるのですが」
「師長、第一王女殿下の命に逆らうなど、我々には出来ません……」
「チッ……お前、後で反省文な」
「そんなぁ!」
私とシドさんの2人だけだった部屋に、なんだかお嬢様らしき人がやってきた。
それにしてもシドさん、私と喋ってる時とキャラが違う。鬼団長なのかな。
「殿下、お静かに。聖女様は仮眠を取っておられるのです」
「まぁ、そうでしたのね。儀式は聖女様へのご負担が大きかったのかしら……」
「聖女様は締め切り前で、無事に原稿が上がるまでは我々の話を聞いていただくことも不可能です」
「……よくわからないけど、それまで待てばいいのね?」
ピピピ、ピピピ、ピピピ…
「ユズカ様、起きられますか?」
「あーはい、起きます。といっても寝たような寝てないような感じで……」
「お疲れのところ申し訳ありません。実はお休み中に我が国の第一王女殿下がお見えになりまして、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「オッケーです。偉い人への挨拶は大事ですもんね」
担当さんとの打ち合わせ中に編集長が挨拶に来てくれた日のことを思い出す。予告なしだったので頭が真っ白になるほど緊張したけど、あれから私も歳を取って落ち着いた。
「此度は召喚に応じてくださったことを、クルトハイムの王族を代表して御礼申し上げます。わたくし、第一王女のアンゼリカ・マギクス=クルトハイムと申します」
顔を上げると、そこには理想的なお嬢様がいた。
サラサラの金髪を緩めに結い上げて、シンプルだけど仕立ての良いものだと一目でわかるドレスを着ている。そして、そのドレスに全然負けてない美しい立ち居振る舞いに凛とした眼差し。
「…………これだ!」
「はい?」
◇◇◇
「アンゼリカ様、突然ですが好きな人や婚約者はいますか?」
「わたくしのことを知りたいのかしら?それならお茶会の席を設けま――」
「すみません、時間が無いので今お願いします。締め切りまであと四時間切ってまして」
「締め切りとわたくしの婚約者に、なんの関係があるんですの……?」
「婚約者がいるんですね!そういうの凄くいいと思います!」
今求めている要素が全て揃っている。完璧だ。
「ユズカ様、アンゼリカ殿下は近くアズダール王国に王太子妃として嫁がれることが決まっております。お相手のジークハルト様は王国騎士団の総長です」
「騎士系王子様ってことですね。イケメンですか?」
「強くたくましくご立派な御方です。傾国の美姫と名高い王妃殿下によく似た面立ちで、赤髪で長身の美丈夫ですよ」
「いい……実にいいです……!美男美女カップル最高!」
めちゃくちゃインスピレーションが湧いてくる。作業机から取り出したノートとシャーペンでアンゼリカ様をザカザカと描き、そこにイマジナリージークハルト様を並べる。原稿作業はフルデジだけどネームはアナログなので、ちょっとしたお絵描きは紙とペンが性に合う。
「まぁ、素敵……!ユズカ様は画家でいらっしゃるの?」
「いえ、ゴリッゴリの少女漫画家です。そこに本置いてあるんでよかったらどうぞ」
今描いたアンゼリカ様の絵をベースに、新しい撫子のキャラデザを起こす。金髪はブルネットに、ドレスは紺のセーラー服にして、リボンは白く。元々の撫子は真ん丸な垂れ目だったけど、アンゼリカ様を意識してキリッとした目元に。ほんわかした雰囲気は消えたけど、無垢さは残すイメージで描き上げていく。これならちゃんと雫のライバルになりそうだ。下描きを修正してる時間が惜しいので、ペンを入れながら直していく。
この見た目なら、セリフも「そちらが例の交際相手の方?不法侵入だなんて、随分とはしたないことをするのね」にしよう。ピリッとしたいい幕引きになりそうでワクワクしてきた。締め切りまであと四時間弱なので、1ページ一時間で描けば余裕で間に合うだろう。この勢いでどんどん進めよう!
◇◇◇
「もうダメだ………………」
あっという間に一時間が経過した。進捗?お察しください。
「進まねぇ……進まねぇだ…………ひひぃーん…………」
「ユズカ様お気を確かに……!」
ちょっとしたキャラ崩壊が起きる程度には心身ともにやられている。
撫子はいい感じになったけど、新キャラが居るとそれだけで描くのに時間が掛かる。1ページ一時間で仕上げたかったのに、まだ撫子しか描けてない。雫とカイトと背景がまっさらだ。いつもの2人も私服で時間が掛かるし、お屋敷にいるせいで背景はもっと時間が掛かる。しかも先月の余裕があるときに決めた凝ったデザインの私服なのだ。急に着替えてたらおかしなことになるので、どうにか描くしかない。いっそお風呂上りにしてタオルだけ巻き付けて済ませたい。だめだけど!わかってるけど!!
「シド!シド!次の巻はどこ!?」
「殿下、もうそこまで読まれたのですか」
「シズクとカイトはどうなってしまうの!?まさかカイトにお付き合いしていた女性が居るだなんて許せませんわ!あぁ、続きが気になって気になって、わたくしもう……っ!」
どうやらアンゼリカ様は恋ごめ4巻を読み終えたようだ。描くのはこんなに時間が掛かるのに、読まれるのはあっという間なのが切ない。
「4巻ってどのあたりだっけなぁ」
「作者なのに覚えておられないのですか?」
「締め切り目前の漫画家に何も期待してはいけない」
「すみません失言でした。4巻は学園祭のお話で、カイトが過去に交際していた女性がやってきて、シズクに接触する場面で終わっています」
「あ~思い出した」
カイトが数ヶ月だけ付き合ってた美人女子大生モデルの美月は、今では雫の良き相談相手だ。でも、それを言っちゃうとアンゼリカ様へのネタバレになるので、お口にチャック。
「なんですのこの女性は!もうカイトとはお別れしているのに、我が物顔で雫のテリトリーに入り込まないでちょうだい!」
「しかし殿下、シズクとカイトはまだ恋人同士ではありません。傍から見ると二人が想い合っているのは明白ですが、公的にはただの幼馴染です」
「そうだったわ……なんてじれったいのかしら!わたくし、こんな気持ちになったのはじめてよ」
目の前で読者の感想を聞けることは滅多にないので嬉しい。原稿疲れの心身に染み渡る。
「ユズカ様のマンガは、作中の登場人物と年齢が近いほど心に響くようですね」
「アンゼリカ様は想定ターゲット層のど真ん中です。こうやって雫に寄り添ってくれる読者もいれば、なかなかカイトに告白できない雫にイライラする読者もいるので、有難いですね」
「普段のシズクは前向きで明るくて強いのに、カイトのことになると何故自信をなくしてしまうのでしょう?他の女性のことなんか気にしないで、いつものシズクのままカイトと向き合えばよろしいのに!そうすればすぐ恋人同士になれますわ!」
今、手元の原稿では4巻の頃より強くなった雫が、カイトの隣に居続けるため自ら行動を起こして頑張っている。どうかそこまで読んで欲しい。
「そんなに楽しんでくれるなら、頑張って続きを描きますね……ぐはっ、腰にきた」
「ユズカ様!」
「に、肉体疲労が……」
「お体が痛むようなら、回復魔術で負担を軽減させましょうか?」
「そんなこと出来るんですか!?」
「聖女様に癒しをかけるのはおこがましいかと差し控えておりましたが、必要ならすぐにでも」
「是非お願いします!」
シドさんが呪文を唱えると、温かい光が首肩腰にじんわり沁み込んでコリや痛みが軽減される。これなら想定より早いペースで背景を仕上げられそうだ。ついでに時間停止魔術とか、締め切りを伸ばせる魔術はないか聞いたところ、時間に干渉する魔術は存在しないらしい。残念無念。
◇◇◇
シドさんと殿下は読書に戻り、私は作業に集中。黙々と進めていき、しばらくして大分終わりが見えてきた頃、部屋の外がにわかに騒がしくなり扉が大きく開いた。
「魔術師長、王女殿下!結界の綻びから瘴気が森へ流れ込んできました!」
「なんですって!?」
「現場の状況は?」
「はっ。瘴気が確認されたのは王都東端の森で、薬草採集のため立ち入った薬師が発見しました。動植物への影響が見られるため、瘴気の汚染を広げないよう師団から結界術を得意とする者を5名向かわせました」
「どれくらい持つ見込みか、副師団長の概算で構わないので報告せよ」
「……持って二時間程度かと。あれほどの瘴気ともなれば、力も勢いも今まで以上の物だと予想されます」
「二時間ですって!?早く周辺の民たちを非難させなくては……!」
どうやら大ピンチのようだけど、ここで手を止めるわけにはいかない。この国の一大事かもしれないけど、私の作家生命も一大事なのだ。それに、聖女だなんて言われてるけど、私にその自覚はまったくない。シドさんから説明も聞いてないし、私が行ったところで何かが出来るとは思えない。
「増員して構わない、なんとしても三時間持たせるんだ。必要なら俺が出る」
「承知しました!」
三時間ってことは、私の原稿が終わるのを待つってこと!?
「ユズカ様、原稿が終わり次第ご同行願えますか?あなた様のお力が必要なのです」
「終わったら行けますけど、私に出来ることなんてあるんですか?魔術とか使ったことないんですけど……」
「聖女召喚の儀は、術者が真に聖女を必要とする時のみ行えるもの。その儀式で呼び出された貴女様は、間違いなく聖女としての素質をお持ちなのです。不安もあることと存じますが、必ずやお守りいたしますので、どうか力をお貸し願いたい」
「ユズカ様、第一王女としてわたくしからもお願い申し上げます」
昨日の今頃は、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
ただただ目の前の原稿が終わるのか、本当に面白いのか、不安な気持ちでいっぱいだった。
それが今では、私のコミックスをハラハラどきどきしながら読んでくれる読者が目の前に居て、その人たちは魔法使いとお姫様で、私に国を救ってくれって言ってくる。こんな展開、マンガにしたら「やり過ぎだからもうちょっと要素減らそうか」と担当さんにダメ出しされるに違いない。
「……シドさん、回復魔法ってまだ掛けられます?」
「重ね掛けをし過ぎると肉体への負荷が懸念されますが、もう少しであれば」
「シド、ポーションを手配するわ。即効性はなくてもユズカ様の助けになるでしょう」
「殿下、ありがとうございます!」
ドーピング込みで三時間なら、なんとか行けるだろう。少しでも早く仕上げるため、手元に集中する。
◇◇◇
1コマ除いて人物のペンを入れ終えて、背景に取り掛かる。いつもの学校じゃなくてお屋敷の内装なので、ここはお屋敷なのだという説得力を持たせるためにも手が抜けない。
(前々作で結婚式場の背景描いたことあったな。あれ、使えるかも)
過去作で結婚式のシーンを描く時に、ステンドグラスやアンティーク調の扉や窓の素材を作ったのを思い出した。細かい細工を描くのは好きなのだ。
素材を引っ張り出して、カイトが軟禁されている部屋の内装を仕上げていく。思ったより早く終わるかもしれない。そんな私の様子を、シドさんと殿下が固唾をのんで見守って……いなかった。
「シド!こ、この二人、まだ婚約もしていないのに、口づけを……!?」
「カイトは良家の出ですが、今は市井で暮らしています。シズクも平民ですので、珍しいことではありません」
「そ、そうなのね。いけないわ、わたくしってば。国の一大事に他の事でこんなにも心を乱してしまうなんて……ユズカ様のマンガは刺激が強すぎるわ」
健全な少女漫画だけど、どうやら殿下の目にはキスシーンが刺激的に映るらしい。お嬢様の恋愛観、ピュアっピュアで可愛い。
「でも、この二人が無事に結ばれて、安心しましたわ。わたくしってば、国の一大事だというのにすっかり夢中になってしまったわ。こんなにも人の心を揺さぶる物語も、華やかで精緻な絵も、全てユズカ様の手から生み出されているなんて、目の前で作業を見ていても信じられませんわ。これもユズカ様の御力なのかしら……」
殿下がそう言うと、殿下とシドさんを中心に室内に小さな光がいくつか灯り、蛍みたいだと思っていたら瞬く間にぶわっと増えた。年末に見たイルミネーションのような光景が目の前に広がる。
「なっ……!魔力が増幅されている!?」
「シド、これは何!?わたくしも力がみなぎっていくわ……!」
「もしやこれが、ユズカ様の持つ聖女の御力なのか?」
二人は大騒ぎしてるけど、私には何も起こっていないのでスルーだ。しいて言えば明るくて暖かくて快適だなと感じる程度の効果しかない。それより今は、雫を冷ややかに見下ろす撫子の表情に全力を注ぐ。最後まで残しておいたとっておきのコマなので、気合を入れて描きたい。
その間にも光の範囲はどんどん広がり、どういう原理か誰にもわからないけど、シドさんと殿下は魔力量の上限が引き上げられ大魔法が使えるようになった、らしい。
「シド!今ならわたくしたちだけでもなんとかなるわ!」
「殿下、すぐに向かいましょう。すみませんユズカ様、我々は一足先に現地に行ってまいります」
「はーい……」
我ながら絵に描いたような生返事だ。原稿への集中力MAXなので仕方ない。
王都東端の森へ向かった二人は、瘴気を浄化し綻びた結界を直して、狂暴化した魔物の討伐をあっという間に済ませたらしい。私がそのことを知ったのは、全て終わった後だった。
◇◇◇
担当様
遅くなってすみません、原稿送ります。
撫子はちょっと変えました。いい感じになった自信あります。
この後用事があるので、急ぎの用事があれば電話をもらえると助かります。
今月はご迷惑おかけしてすみませんでした!
碧月柚香
◇◇◇
終わったどーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
普段なら脱稿ハイで小躍りした後に猛烈にホットケーキを焼いて積み上げたり駅前の焼肉食べ放題に駆けこんだり一人カラオケ八時間を断行したりするけど、今日は聖女として働くという次のミッションが待ってる。さぁこい瘴気!全て浄化し尽くす勢いで頑張るよ!!
そう思って後ろを振り返ったけど、誰もいない。
「あれ?シドさん?殿下?おーい?」
せっかく脱稿したのに、どうしたものか。とりあえず手元をざっと片付けて誰かが戻ってくるのを待つとする。
それにしても、今回はヤバかった。本当にヤバかった。今まで締め切りを破った事なんて冠婚葬祭絡みを除けばなかったのに。こんな進行は二度としたくないので、早速次のプロットに取り掛かろう。来月はカラーもないしアシさんたちもすっかり元気になったので、今から動いておけば問題ないだろう。まずは撫子のちゃんとしてキャラ表を作ってアシさんと担当さんに渡そう。
「魔術師長!落ち着いてください!廊下を走らないで!」
「これが落ち着いてなぞいられるかっ。ユズカ様の御力は間違いなく我が国を救うと証明されたのだ!いや、それどころかこの世界の魔術の常識を塗り替えたと言っても過言ではない!彼のお方はまさに救国の聖女と呼ぶにふさわしき存在、女神の化身かもしれぬ。いや、そうでなくても俺にとっては女神――!」
なんだかめっちゃ持ち上げられてるけど、私、なんかしたっけ?
「シドさん、おかえりなさい。原稿終わりましたよ!」
「あぁっ、ユズカ様。お疲れ様ですおめでとうございます!そしてクルトハイム王国魔術師団長として心より御礼を申し上げますっ!これより我が魔術師団はユズカ様のための組織となり、この命ある限り共に歩んでまいりますので―――」
「え、なんですか。圧強っ」
「貴女様のマンガが、我らに力を与えてくれたのです。マンガを読むことで心身が浄化され魔力量が高まるだけでなく、光属性の魔術の行使が可能となったのです!」
「そんなことあります!?」
なんてこった。私のマンガで魔術師が覚醒するなんて、それなんてマンガ?って聞きたくなる。
「ということは、瘴気の浄化とかそういうの、もう終わったんですか?」
「はい。民たちへの被害もなく、汚染された動植物の浄化も完了しております」
「何の活躍もせず終わっちゃった!」
原稿中に全てが終わってるなんて。いや、早期解決したならそれが一番いいことだけど、何の役にも立てずじまいで申し訳ない。
「何をおっしゃいますやら。ユズカ様、貴女様は間違いなく我が国をお救いくださいました。恋ごめは偉大な作品です」
「思ってたのと違う喜ばれ方だけど、それならまぁ、いいのかな……?」
「えぇ。内容が面白いだけでなく、このような効果まであるだなんて。ユズカ様の御力は計り知れません」
熱のこもった目でそう言われると、悪い気はしない。効果だけじゃなくて、作品そのものを楽しんでくれた上でなら漫画家冥利に尽きる。
「そういえば、アンゼリカ殿下は?」
「救援に駆けつけた婚約者様とご一緒されていますよ。ユズカ様に与えられた御力で森を浄化する御姿は大変立派で、ジークハルト殿下もアンゼリカ殿下の神々しさに目を奪われているご様子でした」
「えっっ婚約者さん来てるの!?見たい!」
「はい、是非お会いしていただきたく。まずはお召し替えをして、国王陛下夫妻への謁見を」
そういえば、この世界に来てまだこの部屋から出てすらいなかった。部屋着だしすっぴんだし、とても偉い人に会えるような恰好じゃない。それに、冷静に考えたら聖女って何?とか元の世界に帰れるの?とかなんでWi-Fi繋がってるの?とか、疑問が次から次へと湧いてくるけど……
「色々あったけど……あー、帰ってベッドで寝たい」
ボソッと呟いたらさっきみたいに光が灯り、ぶわっと広がって今度は私の周囲を取り囲んだ。
「ユズカ様っ!」
シドさんが必死に手を伸ばすので掴もうとしたけど、ギリギリで届かなかった。
次の瞬間には、見慣れた仕事部屋に戻っていた。
◇◇◇
ピロリロリ、ピロリロリ
『碧月さん、すみません。今ちょっと大丈夫ですか?』
呆然としてたら、担当さんから電話が掛かって来た。
『ご用事があるって言ってたのに申し訳ないです。一か所セリフで確認したいところがあって……碧月さん?聞こえてます?』
「あっハイ大丈夫です!用事もなくなりました!」
『そうですか?疲れてるところにすみません。えっとですね、15p目の2コマ目なんですが……』
一気に現実が押し寄せてきた。さっきまでのアレはなんだったんだろう。
『――はい、ありがとうございます。ではこれで進めますね。今月は本当に本当にお疲れ様でした!』
「いえ、ご迷惑おかけしてすみませんでした」
『間に合ってよかったです。それにしても……撫子は土壇場でガラッと変わりましたね』
「あー、すみません。ちょっと、結構、しっくり来てなくて」
『前のふわふわお嬢様の撫子も新鮮でよかったですけど、より碧月さんらしいキャラになりましたね』
「そう言ってもらえると助かります」
『碧月さんって、今まで一度OKしたものを変えてくることがなかったので、びっくりしました。けど、いい傾向だと思います』
また来週打ち合わせしましょうねと話して電話を切った。担当さんと喋ったおかげで、少し落ち着いた気がする。クルトハイムは、シドさんはどうなっただろう。すっごく焦った顔をしてたので、掴めなくて申し訳なかったな。
あの世界に、また呼び出されることがあるのだろうか。恋ごめのコミックス全巻と、タブレット用のペンが置き去りになってしまったので出来れば回収に行きたい。特にペンは死活問題だ。いつあちらに行けるかわからないから、取り急ぎ新しい物を用意しなきゃ。
「とりあえず………………寝るか」
スマホを枕元に放り出して、ふかふかのベッドに潜り込んだ。
◇◇◇
「シド、再召喚の儀はまだなの!?」
「アンゼリカ殿下、どうか落ち着かれますよう。確実にユズカ様にお越しいただくため、万難を排して臨みたいのです」
「えぇ……頼んだわよ。何としてでも、ユズカ様にいらしていただかなくては」
「殿下、毎日恋ごめを読んでますものね」
「続きが気になって仕方ないのよ……!も、もちろんそれだけではなくってよ?ユズカ様は我が国にとって必要な御方ですもの」
聖女ユズカ様は、とてつもない奇跡を起こしてすぐにこの国を去ってしまった。魔術師団長の名に懸けて、なんとしてでも再召喚の儀を成功させる。あの日ユズカ様の手を掴むことが出来なかった己の不甲斐なさを悔やみつつ、一日でも早い再会を目指して、今日も魔術式の構築に取り組む。
「またお会い出来たら、その時は……」
真ん丸な瞳でこちらを見つめる、最後に見たユズカ様の表情が、今も脳裏に焼き付いて離れない。いつの間にかあの御方の存在がこんなにも大きくなっていた。
「待っていてくださいね、俺の女神」
お読みいただき、ありがとうございました。
雫VS撫子の女の戦いの行方が気になる方は是非応援お願いします!
(そっちじゃない?)