97 言い訳よりも
「それから気が付くと、ベアトリスに婚約解消を申し出た翌日の朝に戻っていた」
アルバートの話を聞いていたベアトリスは途中から言葉を失っていた。
ベアトリスとアルバートが婚約解消した世界では、ベアトリスが王妃暗殺の首謀者として弟以外の家族と侍女のマリーナまでもが処刑されてしまう。
それだけでもかなりショックな内容だが、その後、アルバートはリリアンと結婚するもリリアンが贅沢の限りを尽くし、増税によって国民を苦しめた。そのことを咎めたアルバートはリリアンが手配した暗殺者によって殺されてしまったという。
フローレンス孤児院も取り潰されて、国王陛下まで暗殺されただなんて……
想像しただけで恐ろしくて、ベアトリスは自身の身体を抱きすくめた。何より、それをリリアンが計画し、やってのけたことが恐ろしかった。
「時間が巻き戻ってからの私は、あの未来へ進まないために必死に考えた。だからまず君との婚約解消を取り消した。……後から気付いたことだが、時間が巻き戻ったことで、私は巻き戻り前の魅了の秘薬の影響が薄れた状態になっていたんだ。だからリリアンに流されることなく行動できた。何より、あの出来事が記憶にあるからこそ、多少秘薬の影響があってもリリアンと距離を取ることが出来たんだ」
そこまで告げるとアルバートが大きく息を吐いた。
「……アルバート様が一週間で発言を変えられたのは、……残酷な未来から戻っていらっしゃった直後だったからなのですね」
ベアトリスは婚約解消の申し出があった日のことを思い返しながら呟いた。それにアルバートが「あぁ」と頷く。
あの日、“ご自分の発言に責任を持つべきです”と注意したベアトリスの言葉を素直に受け入れたアルバートは、数日前とは何か違う気がしていた。すんなり聞き入れたアルバートに感じたベアトリスの違和感は、合っていたのだ。
あの頃のアルバートとリリアンの距離感がぎこちなかったのは、アルバートが彼女を避けていたからという訳だ。
「私は……あの時点では、ベアトリスへの気持ちを理解していなかった。だけど、事あるごとに思い出したのはベアトリスの笑った顔や何気無い言葉だった。だから、君を失いたくないと思った。それに、この国やそこに暮らす民を思うのなら、ベアトリスが王太子妃になるべきだと思った。最初はそれだけだったんだ」
俯いていたアルバートは視線を上げると、ベアトリスを見る。
「私を、軽蔑したか?」
そう尋ねるアルバートは眉を寄せ苦し気な表情をしていた。今日まで一人でこの秘密を抱えてきたのだと、ベアトリスにも容易に想像できた。それがどれほど辛く苦しいことか。きっと本人にしか分からない辛さだろう。時に悩むことも沢山あった筈だ。
何も知らなかったベアトリスは、婚約解消騒動の当初はアルバートに冷たく接し、その後は記憶を失って沢山迷惑を掛けてしまった。
アルバートは、全て自分のせいだと思っていたのかも知れない。とベアトリスは考える。
「軽蔑だなんて……アルバート様は王太子です。ご自分のことより、国や民を優先的に考えるのは自然なことだと、わたくしは思います」
王族として産まれた者は時に自身の感情よりも国や国民を優先しなければならないことがある。そうやって、生きてきたのだから自然なことだとベアトリスは考えていた。何故ならベアトリス自身も自らの感情より、侯爵令嬢としての振る舞いを優先しなければならないことが度々あったからだ。
婚約解消を言い渡されたあの時が、その一例と言えるだろう。
「だが、私はベアトリスを信じず、未来の君を処刑に追いやってしまった。だから、君に嫌われても仕方ないと思っている。……君が望むなら婚約を解消するなり破棄するなり、君の思う通りにしようと思う。……そうだ、その時はフランクと婚約なんてどうだろう?」
アルバートが早口に語り出す。それはベアトリスに答える隙を与えない程だ。「え?」と、戸惑いの声を漏らすベアトリスに構うことなく喋り続ける。
「フランクはずっと君を信じていた。未来でも最後まで君の味方だった。私なんかより、きっとベアトリスを幸せにしてくれる。それに親友のフランクなら君とも幼なじみだし、私も安心してベアトリスを任せられる。そうだ! きっとそれがいい!!」
「アルバート様っ!!」
ベアトリスはここが王城であることも忘れて立ち上がると、声を張り上げた。アルバートの肩がビクッと揺れる。
「わたくしがお慕いしているのはアルバート様です! フランク様は関係ありません!!」
「だが、私は未来で君を──」
「それは、今とは違ってわたくしたちが婚約解消した未来の出来事ですわよね? 先日、わたくしは“この目で見てきた今のアルバート様を信じている”とお伝えしました。それは、今も変わりありません! わたくしは言い訳よりも、アルバート様のお気持ちをお聞きしたいです!!」
そこまで言うと、ベアトリスは自身を落ち着かせるように一度深呼吸する。
「あの日、わたくしを好きだと仰って下さった言葉にお変わりはありませんか? ……今も、同じ気持ちを持って下さっていますか?」
どこか祈るような気持ちでベアトリスはアルバートを見つめる。
未来のアルバートのことはベアトリスには殆どわからない。だが、目の前にいるアルバートは婚約解消を取り消してからずっとベアトリスを気遣ってくれた。何より、ベアトリス自身が昔からアルバートを好いている。
アルバートが未来で犯してしまったという出来事は今のベアトリスの身には起こっていない。だから、アルバートがベアトリスを好いてくれているのなら、今のベアトリスはそれで良いと思っていた。
「いや……」
否定的な声が聞こえて、ベアトリスはズキッと胸の痛みを覚えた。だが、続く言葉は全く逆の意味を孕んでいた。
「寧ろあの日よりも、ベアトリスに惹かれている。最初はただただ君に謝りたくて。だから打ち明けるべきだと考えて、信頼を取り戻したら話すと伝えた。だが、ベアトリスへの気持ちを理解し、想いが膨らんでいくうちに、この話をしたら君に嫌われるかもしれないと思った。もしそうなったらと思うと、……ずっと、苦しかったんだ」
「っ、アルバート様」
ベアトリスは向かい合っていたアルバートの元へ回り込むと、座っているアルバートを横から抱き締めた。
「え? ベアトリス?」
戸惑うアルバートの声に構わず、ベアトリスは続ける。
「わたくしもアルバート様がリリアン様を優先されていた間、ずっと苦しかったです」
アルバートはハッとする。自分のことばかりで、ベアトリスの苦しみに気付けていなかったと気付かされた。
「わたくしとアルバート様の婚約は政略的なものです。ですが、わたくしは自らアルバート様の婚約者候補に手を上げました。八歳のあの日、お茶会でわたくしを助けて下さったアルバート様に憧れて。あの頃から、わたくしは貴方の隣に立ちたくて必死でした」
「そんなに前から?」
驚くアルバートにベアトリスは「えぇ」と笑いかける。
「リリアン様とアルバート様の距離が近くなるまでは、アルバート様はずっとわたくしに尽くして下さいました。ですから、それがなくなってしまったあの時は、本当に怖かったのです。それでも、アルバート様の婚約者はわたくしですから、いつかアルバート様がわたくしの元へに戻ってきてくださると信じていました。……まさか、身に覚えのない嫌がらせが原因で婚約解消を突き付けられるとは思わずに」
それまでのことを思い出したベアトリスの表情は沈んでいた。だが、それでも前を向いて、アルバートと目を合わせて問い掛ける。
「もう一度お伺いします。わたくしがお慕いしているのはアルバート様です。それでもまだ、アルバート様はわたくしを手放しても仕方ないと仰いますか?」
ベアトリスの瞳が揺れる。ベアトリスは未来の出来事に対してアルバートに罪悪感を感じる必要はないと。そして、ベアトリスを遠ざけようとするその考え自体がベアトリスの望む答えとは真逆であることを伝えた。
アルバートは彼女の問い掛けに隠された想いに、ようやく気付いた。
「……君の気持ちも知らずに、勝手なことを言った私が愚かだった」
ポツリと呟いたアルバートは自らも立ち上がる。それに伴って、ベアトリスがアルバートを抱き締めていた手が離れるが、今度はアルバートからベアトリスをそっと抱き締める。
「私はベアトリスが好きだ。君を誰にも渡したくない」
ベアトリスの耳元でアルバートが囁く。その言葉一つ一つをベアトリスは噛み締めるように聞いていた。
「ベアトリスが私を許してくれるのなら、どうかこの先もずっとずっと、傍に居てくれないだろうか?」
何の憂いも迷いもないアルバートの言葉。ベアトリスは数日前に聞いたアルバートからの告白よりも、更に確かな彼の想いを手渡された。
「勿論ですわ。アルバート様の傍にいることが、幼い頃からのわたくしの願いですもの」
幸せを逃さないように、ベアトリスはアルバートを抱き締め返した。
「ありがとう。もう二度と君の気持ちを裏切らないと誓うよ」
二人は暫くの間、想いを確かめるように抱き締め合った。
いつもお読み下さりありがとうございます!
大変お待たせしており申し訳ありません。
もうすぐ次の章へ移るに辺り、ざっくり決めていた今後の設定を練りながら下書きを進めているため、更新までに時間がかかっております。まだもう少しこの状態が続きそうですが、次の7章が最終章になる予定です。
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