96 いつかのエピソード~アルバートの暗殺~
国王とアルバートが会話した二日後。アルバートは公務の傍らリリアンと離縁するための準備を進めていた。そんな中、リリアンの侍女が“今晩話があるから部屋に来て欲しい”と、リリアンからの伝言を伝えに来た。彼女から呼び出されるのは珍しいことだった。
まさか、離縁の準備を進めていることやベアトリスの件、もしくは王妃暗殺の件を再調査し直していることがバレたのか?
そんな悪い予感が頭を過ったが、アルバートはそれを振り払う。
この一年近く、リリアンはお茶会や夜会といった社交に夢中だった。招待されたものには殆ど顔を出しているし、どこからか招待状を手に入れてくることもあった。だから、夫婦として過ごす時間が減った夫の動きにリリアンが気付いている筈はないと、アルバートは自身に言い聞かせる。
約束の時間にアルバートはリリアンの部屋を訪ねた。ノックすると侍女が扉を開いて、アルバートを招き入れる。
「リリアン様より人払いの指示を受けておりますので、私は失礼致します」
侍女が部屋を出たのを見届けて、アルバートは部屋の奥へ進む。そこにいたのはベッドの上で薄い夜着を纏ったリリアンだ。
「なっ!? リリアン!?」
驚くアルバートにリリアンは微笑みを浮かべる。
「お待ちしておりましたわ。アルバート様」
「何故そのような格好を?」
「わたくしたち、ここ一年は忙しくて別々に眠っていたでしょう?」
話ながらベッドから降りたリリアンはアルバートの元へ歩み寄ると、スルリとその腕に絡み付く。
「昨日、カモイズのお父様が遊びに入らしてお茶をご一緒したのですが、その時にお父様から子どもの話が出ましたの。ですから、……ね?」
そう言って彼女はアルバートの腕を引く。
「っ! す、すまないが、まだ仕事が残っているんだ」
「そんなの、明日でも良いではありませんか」
「良くない、……っ!」
くらりとアルバートは目眩を覚える。部屋に入ったときから微かに感じていた甘い匂いの正体をアルバートは何となく察する。
早くここを出なくてはと、アルバートの勘がそう警告する。
「お世継ぎのことも、わたくしたちの大切なお務めの一つですわよ?」
再び腕を引こうとしたリリアンの手をアルバートは、何とか振り払った。
「アルバート様?」
コテンと首をかしげたリリアンとアルバートは向き合う。
「悪いが、今日はそんな気分じゃない。それに、最近は公務が立て込んでいて、それどころではないんだ」
告げると、俯いた彼女が低い声で訪ねてくる。
「……それは予算案のことですか? それとも、わたくしとの離縁の計画ですか?」
「!?」
アルバートは静かに驚いた。リリアンとの離縁は、アルバートの協力者と国王の限られた人物にしか明かしていない。
『……アルバート、気を付けよ』
『何か仕掛けてきてもおかしくはないということだ』
アルバートは国王の言葉を思い出す。
もしかすると、父上はこうなる可能性を予期していたのかもしれない。と考えが過った。
「ふふふっ、沈黙は肯定とお見受けしますわ」
リリアンの唇が怪しく弧を描く。その姿にアルバートは違和感を感じた。
「アルバート様が予算の話を持って入らした時、そろそろ潮時だと思っていましたわ。ですから、侍女に頼んで何とか秘薬を用意しましたのよ」
そう言うと、リリアンはふらりとベランダへ向かって、その扉を開けた。
「本当はもっと早く秘薬を調達したかったのですが、……王太子妃という立場は自由が少なくて困りますわね。どこへ行くにも使用人や護衛が付きますし、手持ちの秘薬が残り僅かになってからは隠し事をするのが大変でしたわ。流石にわたくしが闇市に足を踏み入ることは難しかったので、諦めていましたの」
「っ、秘薬? 何の……話だ?」
身体にうまく力が入らないアルバートは、リリアンを注視しながら扉の方へ後ずさる。
「侍女を遣わせて、わたくしの代わりにお父様の部下に頼んで買ってきてもらいましたの。もっと早くこうすれば良かったですわ。そうしたら余計な疑念を抱かず、わたくしに夢中でいられてアルバート様も長生き出来ましたのにねぇ」
そこまで言うと、リリアンは先ほどまでよりも怪しい笑みを浮かべる。
「……勘付かれてしまった以上、アルバート様には消えてもらうしかありませんわ」
その言葉のあと、彼女が開けたベランダから全身に黒を纏った何者かが侵入する。その手元には月光に反射して輝く短剣が握られていた。
命の危機を察してアルバートはゾッとした。リリアンの手引きがあったとはいえ、城内に不審者が入り込み、意図も簡単にアルバートの前に姿を表している。それだけ手慣れているという証だった。
早く逃げなければと頭では理解しているアルバートだが、上手く身体が動いてくれない。それでも何とか振り返ると、膝を付いて踠くように扉を目指す。
「だ、誰か!!」
「無駄ですわ」
助けを求めるアルバートをリリアンは嘲笑う。
「扉の前に居るのはわたくしに忠実な侍女ですもの」
アルバートは先程、部屋を出た侍女を思い出す。
「こんなことをして! ……只で済むと思っているのか!?」
夫婦とはいえ、アルバートはこの国の王太子だ。リリアン自身が手を下さなかったとしても、暗殺を指示したとなれば極刑は免れない。だが、リリアンは余裕の笑みを浮かべていた。
「問題ありませんわ。アルバート様亡き後は、きっとエルバート様が王位を継ぐでしょう。ですが、その後はもうすぐ授かる予定のわたくしの子が王位を継ぎますわ」
そう言って、リリアンが愛おしそうに自身のお腹を撫でる。
「本当はアルバート様との子が欲しかったので、今日はお呼びしたのですよ? お休みになられた後、ひと思いにあの世へ送って差し上げたかったのですが……こうなってしまった以上、仕方ありませんわね。アルバート様と容姿が似た方を探して、協力してもらいますわ」
まさか……? 王家を乗っ取るつもりか!?
アルバートの脳裏に最悪の事態が過る。
「そんなこと……っ! 父上が認める筈ない!!」
「ご心配には及びませんわ。国王陛下は先程一足先に王妃様の元へ送って差し上げましたから」
「なっ!?」
アルバートは一瞬頭が真っ白になる。だが、直ぐにそんな筈はない!! と、考えを振り払う。
「わたくしが国母となり、この国を動かします。その恩恵として、不自由なく暮らすために国民から税を搾り取るのは当然ですわよね?」
「っ! 君は間違っている!! 国民が豊かに暮らせなければ国は繁栄しない! そもそも、国民あっての国だ!! 民から税を搾取し過ぎてはいけない!!」
「……わたくしは、自分が贅沢に暮らすためにアルバート様を攻略したの。間違っている筈ないわ」
冷たい声だった。そこには国民を思う気持ちなど微塵も感じられなかった。
「さよなら、アルバート様」
リリアンの一言を合図に黒を纏った何者が一気にアルバートとの距離を詰めた。瞬間、アルバートは胸をひと突きされた。
「がっ!!」
じわりと服に赤が染みを作る。短剣を一気に引き抜かれ、アルバートは倒れ込んだ。痛みを感じたのはその一瞬だった。
アルバートは床に広がっていく赤を見た。だが、直ぐに視界が黒くなって、アルバートの意識はそこで途絶えた。




