93 いつかのエピソード~国費の使い潰し~
ベアトリスが処刑された一年後。アルバートとリリアンは結婚した。
ベアトリスの処刑から一月後に二人の結婚話が出て、そこから慌ただしく準備が始まったのだ。結婚に至ったのは、アルバートがリリアンにプロポーズしたからという訳ではない。周囲が“いつ挙式するのか?”と、急かしたのが始まりだ。
気が付くと式場やドレス、パレード等々、アルバートの知らないところで計画が進み出していた。二人は婚約している間柄で国王も認めている。だから、アルバートは特に止めはしなかったし、国王も「式の準備が進んでいるそうだな。日程が決まったら教えるように」と言うだけだった。
いつの間にか、誰かが急かしたアルバートとリリアンの結婚が現実の物になっていた。
今はまだ、そんな気分じゃないんだがな……
結婚の準備が本格的に進み出した頃、アルバートは一人隠れてため息を溢していた。ベアトリスの処刑からまだ二ヶ月も経っていない頃だった。その頃のアルバートは、ベアトリスを失ったあの日の光景をまだ忘れることが出来ないでいた。
悪女の処刑だった筈なのに、あの日感じた苦しさと悲しみは幾度となくアルバートの胸に甦ってくる。時間が経ってもその出来事は中々頭の中から消えてくれず、アルバートの心臓をぎゅっと掴んでいるかのような、居心地の悪さを伴っていた。
だが、不思議なことにリリアンの傍にいる間は、その気持ちが楽になった。それどころか、ベアトリスに対して嫌悪感を抱くことすらあった。
このときのアルバートは、大切な人が傍にいることで心が癒されているからだと考えていた。だが、ここ最近はリリアンの傍にいてもその効果が薄くなってきている。
二人が結婚して一年半が経とうとしていたある日。アルバートは「急ぎ、話がある」と言われ、官僚から受け取った財務記録に目を剥く。
「なっ!? なんだこれは!!」
そこに並んでいるのは予算の内訳だが、その中の多額の費用が王太子妃に充てられていた。
戸惑いと驚きと少しの苛立ちを見せたアルバート。彼の執務机の前で身体を小さくしながら、官僚が言葉を並べていく。
「それが、……私どもも、どうしてこんな割り振りを許してしまったのか分からないのです。冷静に考えれば良くないと分かるのですが、予算案編成時にこれで通ってしまい。……リリアン王太子妃殿下に、王太子妃の割り当てを多くするようにお願いされたことは覚えているのですが……」
「言い訳は聞きたくない」
アルバートが低い声でピシャリと告げると、「誠に申し訳ございません!!」と官僚が低く頭を下げた。とは言え、提出された予算案は最終的に王太子であるアルバートと国王も目を通して承認する決まりだ。そこには間違いなくアルバートと国王のサインが並んでいた。そのため、アルバートも国王も目の前の官僚と同罪と言える。
これは、アルバートがリリアンと結婚する少し前に作成された予算案だ。結婚当初はあれこれと入り用のため、膨らむことも想像できるが、記されている金額は桁が違った。
当時の私は何故これを承認したんだ?
アルバートが書類を持つ指に力が込もって、書類の端にクシャリと皺が寄る。二枚目の今期の予算では、それよりも更に多い金額が王太子妃の欄に記されていた。
この予算が通った後、予算案の合計が税収を上回ることが問題になって会議で揉めた。結果、国民に大幅な増税を課したのだ。
そこまで大問題になっていたにも拘わらず、何故今まで誰も王太子妃の割り当て金額がおかしいことに気付かなかったんだ?
間抜けさと既に割り当てられてしまった多額の金額にアルバートは「はあぁぁぁぁ」と盛大なため息を漏らす。そして、三枚目の書類では来期の予算案として王太子妃の費用が更に上乗せで表記されていた。
「前期の分はもう仕方がない。一先ず、今期の分に関しては今一度、全ての割り当てに対して使用分を確認した上で、付与しすぎている王太子妃の費用を回収しよう。その上で足りない分は今までの繰り越しで予備費になっている予算で補填するんだ。来期分の割り当てに関しては、作業を平行して三年前の予算案を参考に考えろ」
「畏まりました!」
アルバートの執務室を後にした官僚がアルバートの指示を受けてバタバタと駆けずり回る。
自身の妃の予算のことであるため、父上に報告するには随分胃が痛い話だ、とアルバートは再びため息を溢した。だが、事態はアルバートたちの想像を超えていた。
「繰越していた筈の予備費がないだと?」
数時間後に再び現れた官僚の報告に、アルバートは眉をひそめた。
「はい。記録によると毎月引き出されておりました」
「ま、毎月!? 待て待て待て!! 去年は大きな災害もなく、疫病も流行っていないのだぞ!? そんな中、官僚会議や私、それから国王陛下の承認もなく引き出せるわけがないだろう!?」
あまりのことに取り乱したアルバートは感情をぶつけるように官僚を問い詰める。
「……それが、管理者の話によると国王陛下の許可が記された書類が提出されたと言うのです」
「父上が許可したのか!?」
アルバートの驚き様に官僚も同じ思いだったようで、「そうなのです!」と同調する。
「国王陛下にお話を伺ったところ、孤児院の支援活動を行うに辺り、リリアン王太子妃が自身の予算では、金額が足りないと仰ったそうです。国王陛下も彼女に割り当てられていた予算の金額は把握されていなかったようでして……」
なんとも気まずい空気がアルバートの執務室に立ち込める。
「…………それで父上が許可したのか」
「は、はい……」
そう言われてしまえば、アルバートは何も言い返せなかった。国王が許可する可能性は多いにあった。何しろ、王家は数世代前の王妃の代にフローレンス孤児院を創設し、代々孤児への支援を惜しまなかったからだ。王家はそれ程フローレンス孤児院を大切にしている。
しかし、父上に限って王太子妃に割り当てられた金額を確認しなかったのだろうか?
そんな疑問を抱えつつも、アルバートは話を進める。
「それで? 孤児院の支援活動とは、具体的にどの様な活動か分かっているのか?」
「…………、それが……」
官僚が急に語気を弱めた。答えにくい理由があるのだろう。
「話してもらわないと、何も解決しない」
アルバートは心を鬼にして問い詰める。すると、官僚は観念したように打ち明けた。
「フローレンス孤児院の取り壊しと、……リリアン孤児院の新たな建設です」
「は……?」
アルバートは暫く開いた口が塞がらなかった。
『わたくし、孤児院を訪ねる前は不安で緊張していましたが、子どもたちが懐いてくれて。とても嬉しかったです』
ベアトリスが初めてフローレンス孤児院を訪れた数日後のこと。婚約者との交流のお茶会で、ベアトリスが嬉しそうに話してくれた日のことがアルバートの脳裏に呼び起こされた。
フローレンス孤児院は王家にとって大切な施設だ。代々王妃または王太子妃が管理している。
ベアトリスがアルバートの婚約者だった頃、彼女も妃教育を通して支援を行い、その他の孤児院と共に熱心に通って居た場所だ。あそこは預けられていた孤児にとっては我が家であり、ベアトリスにとっても大切な場所だった。
理解が追い付かないアルバートに追い討ちを掛けるように官僚が告げる。
「それから、確認していて分かったのですが、予備費以外の予算も計算が合わないのです」
アルバートは目の前のことに集中するため、一度小さく頭を横にふった。
「っ、……一応尋ねるが、合わないというのは多いのか少ないのかどっちだ?」
「少ない方です」
「……そうか」
つまり、国費が減っているということだ。
恐らく、リリアンの仕業だと踏んだアルバートは官僚にリリアン関連の出費を調べさせた。すると、リリアンは高価なドレスや靴、宝飾品を買い込んでいることが分かった。
王太子妃がドレスや宝飾品で国費を使い潰し、贅沢の限りを尽くしている。そして、増税を課している今、王太子妃が使い潰している国費は国民から多額の税金を巻き上げて支えていることになる。
これはダメだ……
国民に知れたら反発が起きるに決まっている。そうでなくとも増税に関しては批判的な意見が多かった。特に貧民たちにとっては死活問題だ。
「予算の件は私からリリアンに一度話をしてみる」
アルバートは重たい頭を上げて官僚に告げた。




