88 愛依のお見舞い
退院した凛々亜は、ようやくこの世界の日常生活に飛び込んだ。
最初、この世界で我が家となる家がカモイズ伯爵邸とは比べ物にならないほど小さくて狭いことに凛々亜は驚いた。だが、三日間ほど過ごして家での生活に慣れると、今度は午前中だけ学校に通い、学生生活に慣れることを始めた。
登校初日はとても緊張していた凛々亜だったが、染み付いていた淑女としての動きは周囲の視線を引いた。無駄の無い綺麗な動作で歩く姿はモデルのように美しい。そのため、一部の男子生徒は凛々亜を意識した。
女子生徒も凛々亜からたまに飛び出るリリアンの頃の発言に目を丸くして「舞原さんって面白い子だったんだね」と、天然っ子として受け入れられた。
お陰で凛々亜は学校生活もそれなりに充実した日々を過ごしていた。
◇◇◇◇◇
「愛依、やっほー」
週に一度の通院の帰り、凛々亜は愛依の病室へ寄る。凛々亜としての生活が馴染んできたことで、この頃には話し方もだいぶ変わっていた。
「あ、凛々亜ちゃん! やっほ~」
「愛依ちゃんの顔見たらやっぱり落ち着く~。なんだか、すごく久しぶりに会った気がする」
「先週もお見舞いに来てくれたのに?」
「うん。何て言うか、学校生活は思ってたより楽しいけれど、まだ目まぐるしく感じてしまって」
凛々亜は苦笑いを浮かべる。すると、愛依が眉をハの字に寄せた。
「…………良いなぁ」
「え?」
ポツリとこぼれ落ちた愛依の言葉は、本気で凛々亜を羨ましがっている声だった。
「私は、……今度こそダメかもしれない……」
そう呟いた愛依の顔色は凛々亜が退院する少し前から比べても、悪くなっている。だけど、凛々亜はそのことに敢えて触れなかった。
“ダメかもしれない”
その言葉が指すのは、聞かなくても一つしかない。この世界に来てからまだ短い付き合いの凛々亜だが、弱音を吐く愛依の姿を見たのは初めてだった。
「そんなのまだ分からないでしょう? 私も危険な状態から回復して退院できたんだもの! 愛依だって、大丈夫だよ!!」
こんな時、どう声を掛けるのが正解なのか、凛々亜には分からなかった。
「私、分かるんだ。……自分の身体だから……」
「っ」
凛々亜は咄嗟に言葉を返せなかった。何とかして彼女を元気付けたくて、凛々亜は頭をフル回転させる。そして、『カレラブ』の新シリーズのパンフレットを思い出した。
「そ、そう言えば! カレラブの新シリーズ! 最近出たよね!?」
「『カレラブ・2』ね」
「そうそう! 愛依は買った?」
尋ねると、愛依がフフンと得意気に笑う。
「勿論! もう早速プレイしてるよ! でも、一昨日からゲーム機本体の調子が悪くて、今日お見舞いに来てくれたお母さんに修理に出してもらうように頼んだんだ。……だから、暫くお預けかな……」
シュンと再び愛依が落ち込みを見せる。見ていられなくなった凛々亜は、鞄の中から自分のゲーム機を取り出した。
「じゃあ、私の貸してあげる!」
「え? それは凛々亜ちゃんに悪いよ!」
愛依が遠慮して首を横に振る。
「大丈夫。私、ここ暫くは学校に慣れるのに精一杯で、殆どゲーム出来てないし、新シリーズも買えてないから! プレイして感想聞かせて?」
凛々亜は新シリーズを買うか全く考えていなかったが、ベアトリスとアルバートに幸せになってもらいたい一心で、『カレラブ』のプレイは続けていた。
今は婚約を解消しなかった二人がケイティやジェマと和解し、お城の図書館を訪ねたところまでストーリーが進んでいる。
ストーリーログで見たものとは全く違う話の流れに、凛々亜はこれなら一先ずは安心だ、とスローペースでアルバートとベアトリスを見守っていた。
凛々亜からの魅力的な提案に愛依の心が揺れる。だけど、今までの長い入院生活の中で、愛依にとってゲームは必需品だった。
それに、いつ命の灯火が消えるかも分からない自分の病状を考えると、少しでも『カレラブ』の世界を味わいたいと思ってしまった。
「……本当に、いいの?」
「勿論!」
凛々亜は笑顔で頷くと、「はいっ!」と、愛依にゲーム機を渡した。
◇◇◇◇◇
とりとめの無い話をして愛依の病室を出た凛々亜は、帰路を歩みながら彼女とのやり取りを思い返していた。
愛依が居なくなっちゃったら、私……凄く寂しいわ。
この世界で初めて出来た友人が愛依だ。学校で良くしてくれるクラスメイトや最近仲良くなった子たちも勿論大切だが、愛依のことは特別に感じていた。
どうか、愛依の病気が良くなりますように。
凛々亜は何度も心の中でそう願った。




