87 凛々亜の退院
「数値も安定しているし、もう大丈夫。予定通り明日、退院して良いよ」
主治医の言葉にリリアン……いや、凛々亜は母と顔を見合わせると頷いた。そして、声を揃えて「ありがとうございます!」と、お礼を告げる。
「これからは毎週の通院に切り替えましょう。それで更に良くなるようなら、通院の期間を少しずつ伸ばして行きましょうね」
「はい!」
凛々亜は元気な返事をすると、母と共に診察室を出た。凛々亜として目覚めて、およそ三週間が経過した。まだまだこちらの世界には慣れないことも多い。だが、リリアンは凛々亜として生きていくことを決めた。それからは話し方や動作も見よう見まねで、この世界に合わせるように気を遣った。まだ、あちらの世界での癖は抜けきれていないが、今ではそれなりに馴染んできたと、凛々亜は自分で感じていた。
戻る方法があるのか分からない以上、現実を受け入れることにしたのだ。それに、入院中に少しずつプレイしていた『カレラブ』は、ベアトリスとアルバートが婚約解消することなく、ストーリーが進んでいた。そして、ベアトリスの代わりににリリアンが勾留され、処刑されそうな展開になっている。
でも、ベアトリス様を悪者にして処刑へ導いたのだから、仕方ないわよね……?
これは彼女の予想に過ぎないが、リリアンと凛々亜はお互いの体を交換したとみていた。そうでなければ、ゲームの中のリリアンが時々発している“乙女ゲーム”や“あっちの世界”などといった言葉や言い回しが作中に出てくるとは思えなかったからだ。
それに、彼女が本来の凛々亜であるならば、ゲームの世界で好き勝手したくなる気持ちも少しだけ理解できた。
残された人生が短いと知って、好きなことをして生きると決めた彼女の決意が影響していると考えたのだ。
とは言え、流石にリリアンが処刑されるのは可哀想だし心苦しかった。例えゲームの中のリリアンが今の自分と別人だとしても、自分が処刑されるのは複雑だった。
なんとか免れる方法は無いかしら?
うーん。と唸って考えていると、いつの間にか凛々亜の病室に着いていた。凛々亜は明日、退院することが決まっているため、荷物の整理をしなくてはいけない。
いつ退院が決まっても良いように母が用意してくれていた鞄を棚から取り出す。そうして最初に開けた引き出しの中には、『カレラブ』のパッケージと新シリーズのパンフレットが入っている。
ゲームの存在を探したとき以来、凛々亜はそのパッケージとパンフレットのことをすっかり忘れていた。
本来の凛々亜は、……新シリーズもプレイしようとしていたのかしら?
日付を確認すると新シリーズの発売日が迫っていた。新シリーズでは王立学園だけではなく、その上の王立学院も舞台となっているようだった。
一先ずその二つを鞄の中に入れて、他にも退院までに使用することがないタオルや小物類も詰め込んでいく。
「凛々亜ちゃん」
ふと、集中していた凛々亜が呼ばれて顔を上げると、愛依が遊びに来ていた。
「荷物整理をしてるってことは、退院が決まったんだね……」
寂しそうな声に「うん。……明日、退院だって」と小さく返した。
「……そっか。退院、おめでとう」
「えぇ。ありがとう」
凛々亜の病状はみるみる回復していたが、一方で愛依は日ごとに元気を失っているようだった。
「通院は続くから、その時に愛依のお見舞いに行くね」
「無理しなくて良いよ」
「無理じゃないわ。私がそうしたいだけだから」
凛々亜として目覚めてから、愛依には色々とお世話になっていた。一方的に親しみを感じ始めていた凛々亜は、この世界で初めて出来た友人を大切に思っているのだ。
「学校、頑張ってね」
「う、うん」
淑女教育のお陰で多少大人びているとはいえ、リリアンはまだ八歳だ。だが、凛々亜の実年齢は十五歳。この世界では中学生の最終学年で、今年は受験というものが控えていることを凛々亜は数日前に知った。
元の体の持ち主が自主的に勉強していたようで、凛々亜の学力はそこそこあった。それでも、療養で学校を長期的に休んでいたので、不安は付き物だ。
殆ど学校へ行っていなかった凛々亜だが、中身はリリアンなので勉強に付いていけるかは勿論、学校生活に馴染めるか不安だった。
「何かあったら私が慰めてあげる」
愛依は凛々亜の不安を見抜いたらしい。そう言ってくれた彼女の言葉に凛々亜は、心が軽くなった。
凛々亜は「ありがとう」と返事をして、愛依とお喋りをしながら荷造りを進めた。




