80 婚約者に頼られたいベアトリス
ベアトリスがアルバートの案内で禁書庫に入ってから一週間が過ぎた。あの日以来、アルバートは更に忙しい日々を送っているとベアトリスは感じていた。
生徒会の仕事は少し落ち着いたようだが、未だ王城に到着するなり官僚たちが出迎える勢いでアルバートを待っている。その様子からして、アルバートの公務がまだ溜まっていることは明白だった。
そして、ベアトリスがアルバートの忙しさが以前より増したと感じた理由は、アルバートの顔色にある。
目の下に隈を作っているアルバートは、日に日にその色を濃くしていた。そして、王城へ向かう馬車の中でぼんやりしたり、うたた寝することが増えていたのだ。
「アルバート様」
学園から馬車に乗り込み、馬車が動き出したところでベアトリスが声をかけると、隣に座るアルバートが振り向いた。
「ん? 何だ?」
「アルバート様が抱えている調べ物、わたくしにもお手伝いさせてください」
ベアトリスはここ数日考えていたことを思い切って口にした。
「えっ!? ベアトリス? ……急にどうしたんだ?」
「急ではありませんわ。アルバート様はここ数日、以前に増してお疲れですよね?」
「そ、そうかな?」
目を逸らしたアルバートにベアトリスは詰め寄る。
「そうです!」
ベアトリスが疑う視線を向けると、アルバートは観念したように口を開いた。
「気持ちは嬉しいが、ベアトリスには見せられない物や見せたくないものもあるんだ」
「フランク様には禁書探しを依頼されたのに、ですか?」
「あぁ」
それを聞いて、ベアトリスはそっと肩を落とすと、眉を歪めながら視線を下げた。
「わたくしのことは、……頼ってくださらないのですか?」
食堂で昼食を共にしているため、ベアトリスはアルバートがフランクに禁書探しを依頼していて、その進捗を尋ねていることを知っている。
寝不足になるほどアルバートが遅くまで公務に追われている現状で、親友であるフランクを頼ったのだ。それなら、婚約者である自分も頼って欲しいと、ベアトリスは考えていた。
「それは……」
言い淀むアルバートの声でベアトリスは顔を上げる。
記憶を失って目覚めてからのベアトリスは、知らないところでアルバートに助けられてばかりだった。ベアトリスに危険が及ばないよう、出来る限り傍にいてくれることは勿論、ベアトリスのリハビリに付き合ってくれたこともその一つだ。
「わたくしでは頼りありませんか? ……信用、出来ませんか?」
悲しそうなベアトリスの声にアルバートは「そんなことはない!」と即座に否定する。
「でしたら、わたくしのことも頼ってください。アルバート様がそうしてくださったように、わたくしもアルバート様のために何かしたいです」
気持ちが伝わるように、ベアトリスはアルバートを見つめる。真っ直ぐ向けられた瞳は一切揺らぎがなくて、アルバートはベアトリスの思いの強さを知った。
「ベアトリス……」
「お手伝いさせていただけないのであれば、せめて二人の時は少しぐらい甘えてください」
「いや、私はもう充分すぎるほど、ベアトリスに甘えているよ」
魅了の秘薬に犯されていたとはいえ、かつてのアルバートは婚約者のベアトリスを蔑ろにして、リリアンを優先した。
身勝手なことをしてしまったため、本来ならアルバートはベアトリスに罵られても文句が言えない立場だ。にも拘わらず、ベアトリスはアルバートが婚約解消を申し出たときも、未来のパーティーで連行されたそのときも、冷静に事態を把握して侯爵令嬢として振る舞っていた。
アルバートはベアトリスの聡明さと、優しさに甘えてきたのだ。
「それはわたくしの方ですわ。ですから、……わたくしなんでもします!」
そう告げると、ベアトリスはほんの少し頬を染めながら、こう続ける。
「お手伝いがダメなら、せめてわたくしの膝でお休みになってください!」
「……ん?」
……気のせいだろうか。今、ベアトリスから“わたくし膝でお休みになってください”と聞こえたような……?
アルバートが頭の中で疑問と向き合っていると、ベアトリスがポンッと自身の膝を叩く。
「王城に着くまでの間だけでも、仮眠なさってください!」
「……」
……つまり、私がベアトリスの膝枕で眠るということか?
その答えに行き着いたアルバートは、自分の顔が熱を帯びていくのが分かった。
「い、いや! それは流石にベアトリスに申し訳なくて出来ない!」
「そんなこと今更ですわ。この前は、アルバート様に肩をお貸ししました」
「そ、それは……本当にすまなかったと思っている」
アルバートはいつの間にか眠ってしまって、王城に到着した時にベアトリスに起こしてもらったあの日を思い出す。アルバートは不甲斐ない気持ちで一杯になった。
「でしたら、尚更横になってください。座ったままでは身体が休まりませんわ」
「わ、分かった! では、眠らないようにすれば問題ないだろう?」
頑なに横になるのをアルバートは拒んだ。婚約者として何も役に立てない歯痒さも相まって、ベアトリスは心が沈んでいく。
「……わたくしを頼ることが、そんなに嫌ですか?」
「嫌ではない。だが、……そもそも、そういう問題じゃなくてだな!?」
「? では、どういう問題なのです?」
嫌ではないなら、アルバート様は何故断られるの?
ベアトリスは少しドキドキしながらアルバートの答えを待つ。
「そ、それは……私が、ベアトリスをす……っ、!」
アルバートは言葉に詰まった。簡単な二文字を口にするだけなのに、今更ながらに恥ずかしさが勝ってしまったからだ。
「す……?」
ベアトリスが小首をかしげる。その仕草にますますアルバートは顔が熱くなった。だが、いつまでも言わずにいる訳にもいかない。
アルバートは自身を落ち着かせるように、大きく息を吸ってゆっくり吐いた。




