72 魔女が存在した時代のこと
昔、この世界に魔女が存在し、魔法が人々の側にあった時代のこと。人々は魔法の力を借りて作物を育てたり、怪我や病気を治したりしていた。その他にも、災害時には川の決壊や土砂土砂崩れによる被害を魔法で最小限に抑えたり、復興時も魔女に協力してもらっていたという。
つまり、魔女が持つ魔法の力は人々の生活になくてはならない一部だったと言える。
そんな魔女たちは数年に一度、別の世界から人を呼び寄せた。これは世界中に流れる魔力が一定数溜まると異界への扉が開いて、この世界の人間が別の世界に連れて行かれてしまうからだという。
世界に溜まった魔力を利用して、魔女たちは別の世界から人を呼び出し、再び世界の魔力が溜まった頃に、呼び出した人を元の世界に送り返していたそうだ。勿論、送り返す時は記憶の秘薬を使用し、この世界で過ごした記憶を消して。
そうやって世界を流れる魔力をコントロールしていた魔女たちは、時代と共にその数を減らした。それに比例するように、世界を流れる魔力量も減少した。
世界を流れる魔力をコントロールする必要がなくなったことで、魔女たちは別の世界から人を呼び出すことをやめた。だが、世界を流れる魔力がゼロになったわけではない。
魔女が減った後、別の世界から人を呼び寄せることをしなくなって数年が経過した頃のこと。病気や怪我で死の淵を彷徨っていた者が目覚めると、希にそれまでの記憶を失い、まるで別人のように振る舞う事例がポツポツと現れた。
彼らはみな、“別の世界で死んで、気が付いたらこの世界で目が覚めた”という。
◇◇◇◇◇
「アルバート兄様、その大昔のお話がどうされたと言うのですか?」
アルバートの話を聞いていたティルダが尋ねる。ベアトリスとフランクもアルバートがそれを話した意図を正確に理解出来ていなかった。だが、わざわざこのタイミングで話すことに、ある程度の予感はしていた。
「……もしかすると、今の時代でも起こっているかもしれないんだ」
「え?」
「死の淵を彷徨っていた者が目覚めると、それまでの記憶を失い、まるで別人のように振る舞う事例だ」
今では考えられない大昔の現象が、今の時代でも起こっているかもしれない。そう聞かされて、漠然とした不安を感じたティルダの瞳が動揺に揺れる。
「……まるで別人のように、か」
フランクの呟きで、ベアトリスはカモイズ伯爵夫人から聞いた話を思い出す。
「まさか、……アルバート様はリリアン様がそうだと仰りたいのですか?」
ベアトリスはそんなことある訳がないと思う反面、もしかすると……という気持ちも持ち合わせていた。
「あくまで可能性の一つとしてだ」
「それはアルバート様の考えすぎではありませんの?」
ベアトリスの問い掛けに「いや? そうとも限らないさ」とフランクが口を挟む。
「今日の放課後、生徒会会議でリリアンの件について、アルバートから報告を受けたんだ。先日、ベアトリスたちがカモイズ伯爵夫人から聞いた話と、昨日の尋問でリリアンが話した内容の一部をね」
フランクはアルバートからカモイズ伯爵夫人の話の内容を共有してもらっていたようだ。そして、ベアトリスが知らされていない昨日のリリアンの尋問内容も聞いた上で、アルバートと同じ考えに行き着いたらしい。
「昨日の尋問でリリアンに幼少期のことから尋ね直したんだ。すると、リリアンは“ここではない、別の世界で生を受けた”と言っていた。病気で生死を彷徨っていたらしく、気が付いたらこの世界で目が覚めたらしい」
「……まさか、……本当にそんなことが?」
ベアトリスは半信半疑だった。だが、魔女の秘薬という遺物がこの世に存在する以上、あり得ない話ではない。
「私も確証を得た訳ではない。だが、施設に勾留されてから今まで、リリアンは要領を得ない発言を繰り返している。だから、勾留直後の彼女の発言は重要視されてなかったんだ。だけど、彼女がもし最初から事実を話しているとして、魔女の時代の記述が正しいとすると、辻褄は合う」
「だとしたら、元々こちらの世界にいたリリアン様がいらっしゃる筈ですわよね? 彼女はどうなったのでしょうか?」
ベアトリスの疑問に「それは、……わからない」とアルバートが力なく答える。
「この本には元の身体の持ち主がどうなったかは記されていなかった。だが、誰一人として元の人間には戻らなかったようだ。恐らく、当時の人々にも原因が分からなかったのだろう。元の身体の持ち主が死んでしまったが故に、別世界の人の魂がその身体に宿った可能性もある」
「そんな……」
ベアトリスは元の身体の持ち主であるリリアンが、もう存在していないかもしれないことに肩を落とす。
その頃、ティルダは言い知れぬ不安に駆られていた。カタカタと手を震わせながら、「アルバート兄様」と声を振り絞る。
「そのお話が本当だとして、わたくしたちもリリアン様のように誰かに身体を乗っ取られる可能性がある、ということですか?」
「可能性はゼロではない。だが、条件として生死を彷徨うような出来事がなければ、まず起こらない筈だ。だからそう怯えることはない」
そう言って、アルバートは妹の頭に手を伸ばすと、安心させるように優しく撫でた。
「こうなると思ったから、無理しなくて良いと言ったんだ……」
「だ、だって!」
アルバートが見せる優しい兄の姿。
暗い気持ちになっていたベアトリスだったが、普段はあまり見たことがないアルバートの兄としての一面を微笑ましく思った。




