70 ティルダ王女の婚約者探しの結末
「わたくし、つい最近まで婚約者候補の方々に会っていたのですが、先週ようやくそれも終わりましたの」
なんでもないことのようにティルダは告げた。
「ティルダ王女殿下の、……こっ、婚約者候補!?」
「終わったということは、ティルダ王女殿下にご婚約者様が!?」
ケイティとジェマが驚いた様子で問い掛ける。
王女の婚約者候補だった令息を子爵令嬢にどうか? と勧められているのだから、驚くのも無理はない。
王女の婚約者候補となると、公爵家や侯爵家もしくは他国の王族である可能性が高い。子爵家の令嬢では身分の釣り合いが取れているとは言い難いため、よほどの事情がないと成立しないだろう。
ティルダはその辺の事情に疎いようで、全く気にしている様子はない。
ベアトリスは王城での療養中にティルダが婚約者候補と会っていた話は聞いていた。だが、選定が終わったというのは初耳だ。
ティルダ様に婚約者が出来たかもしれない、とドキドキしながらベアトリスは彼女の答えを待つ。だが、淑女の笑みを浮かべたティルダから放たれたのは予想外の答えだった。
「全てお断りしましたわ」
ベアトリスたちは「えっ?」と戸惑いの声を漏らす。
「ティルダ様、全て断られたのに、終わったのですか??」
終わったと言い切る理由が分からなくて、ベアトリスは問い掛ける。
「はい! 婚約者探しはお父様に急に言われて始めたことですし、そもそもアルバート兄様が──!」
ティルダが言いかけた言葉の続きが、アルバートとベアトリスの婚約解消騒動だと分かって、ベアトリスは背筋を凍らせた。だが、ティルダも同じタイミングでそのことに気付いたようだ。
「っ! と、兎に角! わたくしには他に気になる方がいるので、これ以上は誰もとお会いしません!! と、お父様に言ってやりましたわ!!」
婚約解消に関しては王家とリュセラーデ侯爵家が内々に話し合ったため、世間に公表していない秘密だった。なんとか誤魔化せたことにベアトリスはホッとし、ティルダも涼しい顔で紅茶を一口含む。
だが、ケイティとジェマはティルダの一言を聞き逃さなかった。
「「王女殿下には意中の殿方がいらっしゃるのですか!?」」
「っ!?」
息ぴったりのケイティとジェマの声に、ティルダが危うく紅茶を吹き出しそうになる。それを何とか飲み込んで、「ケホッ」と咳き込んだ。その顔は単純に咳き込んだせいにしては、耳まで真っ赤だった。
「王女殿下の色恋は初めてお聞きしますわ!」
「お相手はどんな方ですの!?」
ケイティとジェマが乗り出して質問する。
「あ、……ええと、……っ!」
助けを求めるように、ティルダがベアトリスを見た。だけど、ティルダに関するこの手の話はベアトリスも初めて聞く内容だ。そのため、ベアトリスもかなり興味がある話題だった。
普段、ティルダと共にするお茶会ではベアトリスがアルバートの話をしたり、ティルダからアルバートとの話を尋ねられたりする。だが、ティルダ自身の色恋に関しては、いつもはぐらかされていた。
だけど、今日のベアトリスにはケイティとジェマという頼もしい味方が二人もいる。
「ティルダ様、それはわたくしも是非知りたいですわ!」
「えぇ!? わ、わたくしより! ジェマ様の婚約者ですわ! わたくしの婚約者候補だった方を紹介しますから!!」
「ティルダ様、わたくしのことはお気になさらず。王女殿下の婚約者候補の方となれば、大貴族のご子息ばかりでしょう。子爵令嬢のわたくしには荷が重いですわ」
ジェマがそれらしい理由を並べて、ティルダを傷付けないようやんわり断った。
ベアトリスたちは好奇心に満ちた視線をティルダに送る。
「ティルダ様、特徴だけでも教えて下さいませ!」
「っ、秘密……ですわ!」
ケイティの問い掛けに、ティルダは恥ずかしそうに顔を逸らした。
「そう仰らずに! ここだけの話にすると、お約束致しますわ!!」
ケイティは諦めずにもう一押しする。だけど、ティルダは困ったように眉を寄せて、瞳をうるうるさせ始めた。
三人がかりで少し大人げなかったかしら?
ティルダが可哀想に思えてきたベアトリスは、これ以上問い詰めるのをやめようかと考え始める。
「ティルダ姉様、ベアトリス様」
その時、ティルダとベアトリスを呼ぶ声がして振り向くと、エルバートが駆け寄ってきた。
「エルバート様」
ベアトリスの呟きに、ケイティとジェマが「えっ!? エルバート王子殿下!?」と驚いた顔をする。
エルバートはまだ社交界に出ていないため、二人は顔を知らなかったようだ。簡単に挨拶を交わすと、突然現れた王子に二人は視線を奪われていた。
「エルバート! 良いところに来てくれましたわ!!」
助けが来たとばかりに、ティルダホッとした表情を見せる。
「アルバート兄様が帰ってきたなら、ケイティ様たちのことは貴方に任せ……って! ええっ!? フ、フランク様っ!?」
エルバートの後から歩いてきたアルバートとフランク。ティルダはフランクに気付いた瞬間、驚きの声をあげた。
「ティルダ王女殿下、お久しぶりです」
フランクが恭しく挨拶すると、ハッとしたりティルダも慌ててカーテシーで挨拶する。
「お、お久しぶりでございます! フランク様! 夜会のない日にフランク様がお城にいらっしゃるなんて、とても珍しいですわね。本日はどうしてこちらに?」
「アルバートに呼ばれて来ました」
「えっ!? アルバート兄様に?」
ティルダがサッとエルバートを振り向いた。
「ティルダ姉様を驚かせたくて内緒にしていました」
悪戯が成功した時のように嬉しそうに笑うエルバート。彼はベアトリスたちの訪問は伝えたようだが、姉が喜ぶと思ってフランクの訪問を隠したようだ。
フランクの存在を認識してからのティルダは、ベアトリスたちから想い人を問い詰められた時と同じか、それ以上に頬を赤く染めて、慌てていた。
あら? もしかして……?
ベアトリスがそう疑問に思ったとき、とケイティとジェマが顔を見合わせた。
「どうやら、そういうことのようですわね」
「えぇ。ティルダ王女殿下のお気持ち、お察し致しますわ」
そのやり取りを聞けば、ベアトリスも自身の推測が合っているのだと確信する。
ティルダの“気になる方”とは、フランクのことだったのだ。
すると、グルッとケイティとジェマがベアトリスを振り返った。突然の行動に「えっ!?」と驚くベアトリスの肩を掴むと、小声で耳打ちする。
「ベアトリス様。ティルダ王女殿下の恋はベアトリス様とアルバート王太子殿下に懸かっていますわ!」
何故そこで自分たちが出てくるのか分からなくて、ベアトリスは「えっ?」と声を漏らす。
「ええと、……それはティルダ様の兄であり、フランク様の親友であるアルバート様と、フランク様と幼なじみであるわたくしたちで、お二人の仲を取り持つ。……ということかしら?」
「それもあるにはありますが、そうではありません!」
困惑した頭で絞り出した答えは、ケイティによって早々に否定される。
「ベアトリス様がアルバート様とご結婚されれば、フランク様もようやく婚約者探しをなさると思いますの!」
「……??」
何故、わたくしとアルバート様が結婚すると、フランク様が婚約者を探すことになるのかしら? それに、わたくしたちの結婚がティルダ様の恋とどう関わりが??
ケイティとジェマはベアトリスたちと食堂で昼食を共にするようになって、まだ短い付き合いながらにも、フランクが誰に想いを寄せているかを正確に把握していた。
『ティルダ王女殿下のお気持ち、お察し致しますわ』
ジェマのこの言葉には一方通行の矢印にあるティルダとフランク、そしてベアトリスの関係を察しての言葉だったのだ。だが、そんなことは露知らず、ベアトリスはケイティたちに首を捻る。そうしている間に、アルバートたちの会話が一段落したようだ。
「ベアトリス、ケイティ嬢、ジェマ嬢。待たせたね。図書館へ案内しよう」
アルバートの言葉で一同は王家の三人を先頭に移動を始めた。




