53 リリアン幼少期の憧れの人
カモイズ伯爵令嬢、リリアン・メアリー・フレッチャー。彼女は幼い頃、病弱な少女だった。ことあるごとに風邪を引いては拗らせて、三日間寝込むことも珍しくない。
そんな、リリアンには楽しみにしていることがあった。それはもうすぐ王城で開かれる王家主催のお茶会だ。
このお茶会で“次期王太子であるアルバートの婚約者候補が絞られる”と、もっぱらの噂だった。以前、カモイズ伯爵邸で開かれた夜会で少しの間、母のカモイズ伯爵夫人に付いて回って挨拶していた時に、リリアンは出会う招待客たちからその話を聞かされていた。
自分と同年代の貴族子女が集まるイベントだ。社交界にまだ出ていない子どもたちは、この機会を逃すと親の都合でお茶会に付いて行かない限り、合間見えることはほぼない。只でさえ病弱なリリアンは、その僅かな機会すらことごとく逃してきた。
お茶会で王子様に会ってみたいという憧れは勿論、リリアンにはもう一人会ってみたい憧れの人物がいた。
お茶会に行けば、やっとベアトリス様のお姿を見ることが出きるわ!
昔からどこへ行っても、リュセラーデ侯爵家の令嬢、ベアトリスの話題が一度は出ていた。
ベアトリスは幼いながらに同年代の令嬢よりも淑女教育が進んでおり、教養高い令嬢だという。だが、気を許す相手の前では年相応の愛らしさも見せるらしい。
彼女はエセッレ公爵令息と幼なじみで、家族ぐるみで仲が良いため“二人は婚約するのでは?”といった噂も一部ではあった。だが、お茶会が近づくにつれ、“ベアトリスがアルバートの婚約者候補に選ばれるのではないか?”という噂の方が大きくなりつつあった。
リリアンにとって、ベアトリスは会ったことすらない人物だ。だが、自分と同い年の令嬢が母親たちの話題に上って褒められているのを聞いて、いつしかベアトリスはリリアンの憧れの存在になっていた。
ベアトリス様に一目お会いするためには早く風邪を治して、体調を整えてお茶会に挑まなくちゃ!!
お茶会まであと一週間という頃。リリアンは両親に“絶対参加するからドレスを用意しておいて!”と、念を押していた。
普段あまり我が儘を言わないリリアン。そんな娘の小さな願いに答えるべく、カモイズ伯爵夫妻はドレスを準備し、リリアンの体調を気遣って毎日医者を呼び寄せた。
そうして、お茶会の三日前に回復したリリアンは無事にお茶会当日を迎えた。ワクワクしながら参加したお茶会は、リリアンにとって夢の世界だった。
侍女を一人だけ連れて歩きながら、リリアンは初めましてばかりの同年代の子たちと自己紹介をして挨拶を交わした。その中には勿論、ベアトリスも入っている。
ベアトリスがアルバートとフランクと会話を終えて暫くした頃に、リリアンは思いきって彼女に話し掛けたのだ。
緊張で名前を噛んでしまったリリアンにベアトリスは「気にしなくて大丈夫よ。こんなに沢山人がいたら緊張しますわよね」と優しく微笑み掛けてくれた。
そのことが嬉しかったリリアンは幸せな気分でその後を過ごした。だが暫くして、ベアトリスがティルダ王女を転ばせたと周囲から非難され窮地に陥る。
どうしましょう!! ベアトリス様はそんなことされていないのに!!
リリアンはベアトリスと別れた後も憧れだった彼女を自然と目で追っていた。そのため、ベアトリスが何もしていないことをその目で見ていたのだ。
ベアトリス様を助けなくちゃ!! でもっ……どうやって?
今まで邸の自室に籠っていることが多かったリリアンは足が竦む。そして、こんな時に怖じ気付く自分に嫌気が差した。
そうやってリリアンが躊躇していると、ベアトリスの前に彼女の救世主となる王子様が「やめないか!」と声を上げて現れる。“王子様”というのは比喩ではなく、正真正銘このラドネラリア王国の王子、アルバートのことだ。
ベアトリスを庇うアルバートの言葉を聞いて、彼と同じ一部始終を目撃していたリリアンは一人全力でアルバートの話に頷いた。
「私にとってベアトリス嬢は妹を誰よりも早く助けようとしてくれた人だよ。それに、お菓子を前にしてあんなに可愛らしく笑っていたご令嬢が、その場で酷いことなど出来るわけがない」
そう言って、後ろを振り返ったアルバートが「そうでしょう? ベアトリス嬢」と彼女に問いかけている。
その時のベアトリスはアルバートを熱心に見つめていた。その表情を目撃したリリアンは幼いながらに、ベアトリスがアルバートに恋をしたことを理解した。
ベアトリスがアルバートを好きになるのも無理ない。まるで物語のような出来事だったのだから、とリリアンは思った。
カモイズ伯爵邸へ帰ってからもリリアンはベアトリスとアルバートの見つめ合う姿が忘れられなかった。
それはそれは、とてもお似合いのお二人だった。
正直に言うと、リリアンはお茶会で王子様と仲良くなれたらどれだけ素敵なことかしら? と考えていた。
“王子様”という夢のような甘い響きにリリアンは焦がれたのだ。だけど、ベアトリスとアルバートのあの姿を見てしまえば、自分はアルバートではなく、彼の“王子様”という肩書きに恋をしていたのだと気付いた。
だから、リリアンはベアトリスとアルバートが上手く行くように願った。
少しだけ胸をキュッと握られたような切ない感覚はしたが、リリアンは今日見聞きした素敵な出来事の全てを思い返しながら眠りについた。




