41 あの日ベアトリスに起こったこと
アルバートは順を追ってベアトリスに事の経緯を説明する。
まず、ベアトリスを襲った主犯がリリアンであること。彼女は魅了の秘薬を香水のように自分自身に振りかけることで、男女問わず周囲の人々を自分の虜にさせていたこと。
そしてあの日、リリアンの魅了にかかった令息たちが、ベアトリスを睡眠薬で眠らせた。そして、リリアンの元へ連れ去り、アルバートから身を引くように脅したと言う。
それらを聞いたベアトリスは、魔女の秘薬を使用されるほどリリアンから嫌われていたことに恐怖を覚えた。それでも自分に何があったのかきちんと聞くべきだと判断して、アルバートの話に耳を傾ける。
『フランクが令息たちに付いて行くベアトリスの後ろ姿をたまたま目撃していてね。普段とは違う君の行動に胸騒ぎがして、二人で君を探したんだ。そしたら生徒会室がある建物の一階で、ベアトリスの護衛騎士が二人とも倒れているのを見つけて驚いたよ』
『えっ!? 護衛騎士の方々が……!?』
王家に仕える騎士は精鋭の集まりだ。そんな騎士の中から、二人一組で三人の騎士が代わる代わる休みを取ってベアトリスの護衛を務めてくれている。
そんな彼らが倒れたと聞かされて、ベアトリスは驚かずにはいられなかった。
『彼らもベアトリスが嗅がされたのと同じ睡眠薬で眠らされていたんだ』
『っ!? あのっ! 倒れた護衛騎士の方々はどうされていますか!?』
今日まで王城で過ごしていたベアトリスはリハビリ以外で部屋を出ることがなかった。そのため、目覚めてからは自身の護衛騎士を見かけていない。
ベアトリスの身体に力が入らなくなったのは、睡眠薬を嗅がされたせいだと宮廷医から聞かされていたため、心配になる。
『彼らは大丈夫だ。ベアトリスと違って記憶の秘薬は飲まされていないからね。三日間休んだあとは騎士としての仕事に復帰したよ』
護衛騎士が最初の一日目は意識があやふやで、夢と現実の間を行ったりきたりして、全く動けなかった事実をアルバートは伏せた。ベアトリスを必要以上に不安にさせないためだ。案の定、そう聞かされてベアトリスはホッと息を吐くと、安堵の表情を見せた。
いつも守ってくれている護衛騎士が今のベアトリスと同じ状況だったらと考えると、彼らが騎士として働けなくなってしまうのではないか? とベアトリスは不安になっていたのだ。
『ベアトリスの周囲は警戒していたが、まさか先に自分たちが生徒に襲われるとは思っていなかっただろう。後ろからの奇襲に気付くのが遅れたようだ』
『……そうでしたのね』
学園の生徒とはいえ、相手は貴族令息だ。騎士が生徒を制圧するのは、護衛対象へ危険が及ぶと判断した時と、自らの身に危険が及んだ時だ。
後から揉め事を起こさないためには、どうしても初手が遅れてしまう。特に学園内では危険も少なく、護衛対象よりも先に騎士が襲われる可能性はもっと低い。
反応が遅れるのは仕方のないことだろうとベアトリスは考えた。
『私たちは騎士が倒れていた周辺を捜索して、令息たちが地下の空き部屋の前に集まっているのを見つけたんだ。それからフランクと二人で場を制圧して部屋の中に入った。そこまでは良かったんだが、自暴自棄になったリリアンが君に体当たりをして君を床に倒したあと、無理やり記憶の秘薬を飲ませたんだ』
ベアトリスは無意識のうちに俯いて、ドレスの裾を強く握った。その様子に気付いたアルバートが『すまない!』と慌てる。
『やはり、この話はするべきではなかった。襲われた時のことなんて、知らない方が──』
『いいえ。そんなことありませんわ』
ベアトリスはアルバートに被せて言葉を発した。
『わたくし自身のことですもの。今後、学園でどの様なことに気を付ければ良いかの参考になりますわ』
『ベアトリス……』
アルバートが心配そうな瞳をベアトリスに向ける。
アルバートがベアトリスを心配することは、彼がリリアンに心を惹かれてからはなくなっていた。だから、心配されることに多少なりとも嬉しさを覚えた。そんな久しぶりの感覚に、ベアトリスはむず痒い気持ちになって、それを振り払うように言葉を続ける。
『そ、それに! 今のお話だと、アルバート様とフランク様がわたくしを助けに来て下さったのでしょう?』
『あぁ』
頷いたアルバートにベアトリスは姿勢を整え直して向き合う。
『アルバート様、助けに来て下さってありがとうございます』
ベアトリスは座ったまま心を込めてお辞儀する。
『私はベアトリスの婚約者として、当然のことをしただけだ。…………と、言っても君を守りきれなかったから、お礼を言われる筋合いはないけれどね』
シュンッと顔を曇らせるアルバートは申し訳なさそうに眉を歪め、キツく唇を結んでいた。それは本気でベアトリスを守ろうとしていなければ、出来ないような落ち込み方だ。それを目の当たりにして、王太子であるアルバートが危険を省みずにベアトリスを助けてくれたことを知る。
『そんなことありません。殿下が助けに来て下さった事実が、わたくしは嬉しいです』
だって、以前までのアルバート様だったら、わたくしを助けに来て下さらなかった筈だもの。
言葉にはしなかったが、そう思うと少し気持ちが塞ぎ込んでしまったベアトリス。だが、同時にアルバートは本当に変わろうとしているのだとも感じた。
『明後日、フランク様にもお礼をお伝えしないといけませんわね』
複雑な気持ちを誤魔化すようにベアトリスはカップに手を付けて紅茶を飲む。いつもよりその所作が雑になってしまったけれど、アルバートと二人きりのお茶会でそれを咎める者はいなかった。
そんな昨日の会話を思い返して、ベアトリスはあることに気付く。
もしかして、アルバート様がわたくしと婚約解消したかったのは、リリアン様の魅了の秘薬に侵されていたから??
「……」
アルバートは魅了の秘薬のことは詳しく語らなかった。だが、リリアンは魅了の秘薬を香水として自身に吹き掛けることで、男女問わず周囲の人々を自分の虜にさせていたと言っていた。
時期を考えると、リリアンは二年生に上がってから秘薬を使用したに違いない。と、ベアトリスは考えた。
あの頃からリリアンの周囲には彼女を擁護したり、褒めたりする生徒が多かったからだ。そして、ベアトリスの悪い噂が囁かれることが多くなったのも二年生に上がってからだった。
それらが魅了の秘薬によるものだとしたら……
だとしたら、アルバート様のお気持ちは?
『私がベアトリスへの気持ちを取り戻したからだ』
リハビリの初日にベアトリスを庭園までエスコートしたアルバートは確かにそう言っていた。つまり、この一年半は魅了の秘薬のせいでベアトリスから心が離れてしまっていたことになる。
魅了の秘薬の効果が切れたアルバート様は、今もわたくしが好き……?
そう認識した途端、ベアトリスはぶわりと身体が熱くなる。
まだアルバートを許したくない気持ちと、アルバートを好きな気持ち。二つの矛盾した気持ちを抱えているベアトリスは、知ってはいけないことを知ってしまった気がして、少しの間、荷物整理の手を止めて固まってしまった。




