34 幼い頃の記憶~幼いヒーローとベアトリスの恋~
アルバートとフランクの三人で言葉を交わしたベアトリスは、彼らと離れてもまだ嬉しさで頬を緩めていた。その一部始終を他の令嬢たち数名が悔しそうに眺めていたことに気付かないぐらいには、浮かれていたと言える。
王子様だけでなく、公爵令息と親しげに話すベアトリスの姿は嫉妬の対象として十分だった。
だからこそあの騒動は起きた。
ベアトリスがマリーナを引き連れてお菓子を取りに行った近くで、一人の女の子が転んだ。ベアトリスよりも更に幼い彼女は貴族の子どもたちが行き交う中、「わーん」と泣き出した。そんな彼女にベアトリスはサッと近付く。
「大丈夫ですか? どこか怪我をされましたか?」
声をかけたベアトリスに、女の子は涙に濡れた瞳をゆっくり向ける。マリーナもベアトリスと共に彼女の傍に近付くと「どこか痛むところがございますか? お付きの使用人はどうされました?」と、一人きりの幼い女の子に質問しながら怪我がないか確認する。
ベアトリスたちに注目が集まる中、「ティルダ様!!」と焦った声がして、給仕と同じ服装をした女性がその場に駆け付けた。
給仕に見えるけれど、この方が彼女の使用人かしら? でもこの子を知っているようだし、一先ずは安心ね。
女の子を知る人物が現れたことで、ベアトリスはホッと息を吐く。
「わたくし、ベアトリス様がティルダ王女殿下を転ばせたところを見ましたわ!」
その時、大きな声でビシッと人差し指でベアトリスを指す人物が現れた。それは侯爵家主催のお茶会に、何度か夫人と共に我が家を訪ねたことのある伯爵家の令嬢だった。
「えっ!? 王女殿下!? あの、わたくしそのようなことはしておりません」
ベアトリスは即座に否定した。身に覚えのない行いを指摘されたこともそうだが、転んだ彼女が王女殿下であることにも驚いた。同時に駆け寄ってきた女性は給仕ではなく、王城で働く使用人で王女殿下付きの侍女なのだと理解する。
困惑しながら王女殿下と伯爵令嬢を交互に見て、ベアトリスは自身の潔白を訴える。
「わたくしもそちらのご令嬢が王女殿下に足をかけたところを見ましたわ!」
「わたくしも見ました!!」
「王女殿下に何て酷いことを……」
次々と上がる疑いの声に、ベアトリスの胸はドクドクと嫌な鼓動を響かせていた。
「早くティルダ王女殿下に謝罪されては如何ですか?」
「っ……」
周囲の軽蔑するような視線がベアトリスを突き刺す。
「ぁ、……っ!」
自分はそんなことなどしていない。そう言葉を発しようにも声が出ない。
「皆様、何か誤解があるようです。お嬢様は転ばれた王女殿下を心配されただけです」
転んだ女の子を心配しただけの筈が、何故か大事になった。
最初は子ども同士のことだからと様子を見ていたマリーナだったが、流石に事態の収拾を図り始める。それでも止まない疑いの声に、ベアトリスは息が苦しくなった。そんな彼女の前に一つの影が落ちる。
「やめないか!」
その声は少し前に聞いたばかりの声だ。
「えっ、アルバート王子殿下!?」
「どうしてベアトリス様の前に……?」
ベアトリスを庇うように前に立ったアルバートの姿に、それまでベアトリスを非難していた令嬢たちが狼狽える。
「私の親友の幼馴染みを悪く言うのはやめてくれ」
「ですが、彼女はティルダ王女殿下を転ばせました」
「ベアトリス嬢はそんなことをする人じゃない」
「!」
まだ出会って間もないベアトリスをアルバートは即答で擁護した。この中でベアトリスを庇ったのはマリーナしか居なかったが、新たに現れた味方は予想外の人物でベアトリスは困惑する。
「アルバート様……」
どうして、今日初めて会ったわたくしのことを信じてくださるの?
ベアトリスは疑問に思いながら、アルバートの背中を見つめた。
「アルバート王子殿下、目撃者もいますわ!」
そう声を張り上げた一人の令嬢に、アルバートは「それなら私も見ていたよ」と告げる。
「ベアトリス嬢は嬉しそうにお菓子を選ぼうとしていた。そこへ近くを歩いていたティルダが転んだんだ。ティルダにいち早く手を差し伸べてくれたのはベアトリス嬢だけだ」
「そんな筈は……!」
「仮に彼女がティルダを転ばせたところを見ていたのなら、何故君たちはティルダを助けようとしなかったんだ?」
幼いながらにもアルバートは視線を鋭く尖らせた。
「っ!!」
心当たりのある令嬢たちが言葉を詰まらせて、誰も口を開こうとしない。
「私にとってベアトリス嬢は妹を誰よりも早く助けようとしてくれた人だよ。それに、お菓子を前にしてあんなに可愛らしく笑っていたご令嬢が、その場で酷いことなど出来るわけがない」
そこまで言うと、アルバートは後ろを振り返った。
「そうでしょう? ベアトリス嬢」
尋ねてきたアルバートとベアトリスの目が合う。ベアトリスはぶわりと身体が歓喜に震えた気がした。
幼なじみのフランクは近くにいないらしく、騒ぎになっているが、駆け付けてくる気配がない。そのため、マリーナ以外にベアトリスの潔白を信じてくれたのはアルバートだけだった。
彼は穏やかな笑みを浮かべていて、ベアトリスはその優しい眼差しから目を逸らせなかった。
「……っ!」
ベアトリスの胸に様々な感情が溢れて、胸が一杯になる。
「……信じて下さり、ありがとうございます」
ベアトリスはそう答えるので精一杯だった。




