30 ベアトリスのお見舞い
アルバートが王城に戻ると、リリアンの尋問の進捗が報告された。
リリアンは昨日と比べると随分落ち着いたようだ。しかし、自身が牢獄へ投獄されている状況に“納得できない!”と喚いているらしい。
そして時折『このゲームのヒロインはわたくしなのよ!!』、『ここはゲームの世界なのだからリセットぐらい出来るでしょう!?』と、なにやら要領を得ない言葉が飛んでくるという。
「ゲームにヒロイン、……か」
そう言えば、昔も何度かリリアンの口からそんな言葉を聞いたな、とアルバートは思い出す。
何をゲームと勘違いしているのかは不明だが、彼女の身勝手な行動でベアトリスは────
そう思うと、やるせない思いが沸き上がってくると同時に、アルバートの脳裏にこれまでの出来事が浮かんでは消えていく。
「っ」
私は、リリアンを許せそうにない。いや、許してはいけない。そして自分自身も。
アルバートはそれを強く心に刻む。そして、公務の前にベアトリスの顔を見ようと彼女の部屋を尋ねた。
ベアトリスの専属侍女、マリーナに案内されて部屋に入ると先客がいた。その人物はアルバートの入室に気付いてパッと顔を上げる。
「アルバート兄様!」
「エルバート、来ていたのか」
「はい。ベアトリス様が倒れたと聞いて、心配でお見舞いに来ました。少し前までティルダ姉様もいらしていましたよ」
ティルダはアルバートの五つ年下の妹だ。
まだあどけない顔立ちの弟が心配そうにベアトリスを見つめている。アルバートはエルバートの隣に立つと弟の頭を撫でた。
「そうかティルダも来ていたか」
「はい。ティルダ姉様は、“兄様がいながら何故学園でベアトリス様が倒れられたのか”と、大層ご立腹ではありましたが……」
苦笑いのエルバートからそう伝えられる。ティルダが憤慨している姿が目に浮かんで、アルバートは少しだけゾクッと背筋を震わせた。
ティルダはベアトリスを姉のように慕っている。だから、ベアトリスに何かあれば彼女は黙っていない。
婚約解消の件は直ぐに白紙となったため、弟妹たちの耳には入っていなかった。だが、この状況ではティルダに知られるのも時間の問題かもしれないと、アルバートは思った。
「はははっ……、後でティルダに怒られそうだな」
乾いた声で笑ってから、アルバートは気持ちを切り替える。
「それはそうと、エルバートもベアトリスのためにありがとう」
アルバートはお礼を言って、ベッドに視線を向ける。ベアトリスは相変わらず眠ったままだ。だけど、その顔色は昨日よりも良さそうで安心する。
「早く目を覚ましてくださると良いですね」
「あぁ」
「ベアトリス様が目覚めたら、お話をたくさんお聞きしたいです。それから、前みたいにベアトリス様と手を繋いで庭園を散歩して──」
「ん? んん? 待て、エルバート」
アルバートは弟から聞き捨てならないエピソードを聞いた気がして、話を止めた。
「エルバートはベアトリスと庭園を散歩したことがあるのか? しかも手を繋いで??」
「はい! ベアトリス様の妃教育と私の王子教育の終了時間が被った時だけですが、月に一度程一緒に庭園を散歩しています」
「……」
声には出さなかったものの、何だって!? と心の中で驚愕したアルバートは自身がベアトリスと庭園を散歩したのはいつが最後だったか記憶を辿る。お互い忙しくなってからは、茶会以外の交流が減っていたことだけは良く覚えていた。
そうだ! ……学園に入学してすぐの頃が最後だ!!
その事実にずうぅぅん、とアルバートは一気に頭が重くなる。ここ最近は朝の教室までの道のりと、帰りに同じ馬車で王城へ向かったりと、ベアトリスと一緒にいる時間をアルバートは増やしていた。だが、それは一緒に庭園を散策するのとは訳が違うと理解していた。
「他にもティルダ姉様と三人でお茶をすることもありますね」
「三人でお茶……」
自分の知らないところで弟妹がベアトリスとお茶をしていたことをアルバートは今知った。そのアルバートの反応にエルバートがあれ? と首を傾げる。
「ご存じありませんでしたか? 元々ティルダ姉様とベアトリス様のお茶会だったのですが、都合がつく時は私も交ぜて貰っているのです」
「そ、そうだったのか」
アルバートは動揺を悟られぬよう、ひきつりそうな顔を笑顔で隠す。
「ベアトリス様はお話を聞くのもお上手で、一緒にいて楽しいので、ついついご一緒してしまいます。……ですが、ここ一年はあまり元気が無いようにお見受けしました」
それは恐らく、アルバートがリリアンと距離を縮めてしまったことが原因だろう。アルバートがそう思っている中、エルバートは話を続ける。
「特に三ヶ月前は酷かったです。それ以降は私もティルダ姉様も急に婚約者を探すように父上に言われて、お茶会どころではなくなり、ベアトリス様に会えていないので分かりませんが」
それは私がベアトリスに一度婚約解消を提示したせいだな。とアルバートは自分の行いに頭が痛くなる。
「でもベアトリス様は散歩の時もお茶会の時も、大抵アルバート兄様のことを嬉しそうに話していましたよ」
「……え?」
アルバートがリリアンを気に掛けるようになって、婚約解消を願い出るまでは月に一度のお茶会ぐらいしかベアトリスと交流を持たなかった。
その時のアルバートの態度は決して良いものではなかった筈だ。それなのに、ベアトリスはアルバートの話題を弟妹の前で上げていた。そのことが意外で、アルバートは隣のエルバートを振り向いて数回瞬きする。
「きっとベアトリス様は私ではなく、アルバート兄様と散歩やお茶を楽しみたかったのだと思います。ですから、ベアトリス様が目覚めたら兄様がベアトリス様と庭園を散歩して下さいね」
まだ幼い弟に気を遣わせてしまったことがアルバートは心苦しかった。そして、ベアトリスがアルバートと庭園を散歩したことや、お茶を共にした時間を大切に思ってくれていたことも意外だった。
「エルバートありがとう。そうするよ」
ベアトリスの新たな一面を知った気がしたアルバートが弟に微笑むと、弟も微笑み返してくれる。
早くベアトリスともこうして笑い合いたい。
そのためにも彼女が目覚めるまでに、なるべく早くリリアンの件を片付けよう。
アルバートは点滴を受けるために布団から出されていたベアトリスの手をそっと握る。
「ベアトリス、君が目覚めたら久しぶりに一緒に庭園を散歩しよう。だから、早く目を覚ましてくれ」
アルバートは呟くと、名残惜しそうにその手を離した。
「そろそろ公務に行くよ。エルバートもベアトリスを心配してくれるのはありがたいが、ほどほどにして王子教育に励むんだぞ」
「はい。兄様」
弟の返事を聞いたアルバートは部屋を後にした。
因みにその数時間後、アルバートが城内でたまたま遭遇したティルダにベアトリスが倒れた件で問い詰められたのは言うまでもない。




