23 ベアトリスの決意
「その中身は、……本当に記憶の秘薬なのですね?」
ベアトリスの問い掛けにリリアンは「えぇ」と自信たっぷりに頷く。
「では、……それが記憶の秘薬だというリリアン様のお話が本当だとして、どうして伯爵令嬢の貴女が魔女の秘薬である記憶の秘薬をお持ちなの?」
魔女の秘薬は違法な上、普通に暮らしていればまず手に入らない。ましてや伯爵令嬢のリリアンには縁遠い代物の筈だ。
「ふふふっ。ゲームをプレイしていた頃の知識でお店の場所は分かっていましたもの。お金さえ支払えば簡単に手に入りましたわ」
この状況で悪びれる様子もなく、彼女は再び“ゲーム”という言葉を当たり前のように使用した。
ゲームのお陰で闇市の場所が分かったというのは、どういうことかしら? ……とにかく、リリアン様の様子がおかしいことだけは確かだわ。
「ベアトリス様ご安心ください。飲む量で効果が変化するようですが、この小瓶を1本飲みきっても二年生に進学したばかりの頃までしか記憶を消す効果が無いことは、我が家の使用人で実証済みですわ」
「なっ……!?」
その口振りからして、リリアンは伯爵家の使用人で秘薬の効果を試したらしい。
不完全な秘薬は副作用のリスクが高いと聞く。それに、魔女の秘薬は何が起こるか未知な点も多い。考古学の授業で魔女の秘薬を学習した時、記憶の秘薬が身体に合わなくて全ての記憶を失った人や酷い副作用で死んでしまった人もいると説明されていた。
「と言っても、個人差はありましたけれどね」
そう付け足したリリアンの声は落ち着いていて、秘薬を使うことに罪悪感も躊躇いも感じていない様子だった。
「っ!」
彼女から逃げなくては。
危機感が高まり、ベアトリスは立ち上がろうとした。だけどまだ足にうまく力が入らない。そのためリリアンから距離を取ろうと座ったまた後方へ後ずさる。
その姿を見たリリアンが楽しそうに「まぁ!」と声を上げた。
「逃げないでください。ベアトリス様が身を引いてくださるなら、わたくしは何もしませんわ。勿論、この件も黙っていただく必要はございますけれど。貴女も転生者なら黙っていることが懸命だとお分かりですわよね? でなければ、ベアトリス様は学園のパーティーでわたくしへの嫌がらせが理由で断罪され、国外逃亡の節があるとして処刑される運命の悪役令嬢ですもの」
「え……?」
リリアンが放った言葉を聞いて、ベアトリスは一瞬頭が真っ白になった。
「わたくしが、……断罪? ……処刑?」
ベアトリスは、くらりと目眩を覚える。
「生きるためにシナリオに逆らうようなことをなさったのでしょう? ……って、ベアトリス様ったらお顔が真っ青ですわよ? あ、もしかしてそこまでは覚えていらっしゃいませんでしたか?? それとも最後までゲームをプレイせずに転生されたのですか??」
ベアトリスにはリリアンの言っていることが半分ほどしか理解出来なかった。だが、確信を持って語る彼女が嘘を吐いているようにも見えない。
だとしたら信じがたいことだけれど、リリアン様の話は本当かもしれない。
そう感じたとき、ベアトリスは思い出した。
ベアトリスの母は婚約解消騒動後の王家との話し合いの場で、アルバートが“ベアトリスかリリアンを側妃として迎える”と言っていたら、“ベアトリスを隣国の実家から嫁に出そうと考えている”と言っていた。
それはつまり、言い換えると国外逃亡に当てはまるのではなくて?
もしそうだとしたら、ベアトリスは処刑される運命にあるという。本当にそんなことになれば、自分は死んでしまう運命ということだ。
点と点が結ばれるように、導きだされた疑問がこれまでの出来事とベアトリスが推測した答えと重なって、少しの現実味を帯びてくる。すると、ベアトリスの身体がカタカタと小刻みに震え始めた。
死ぬのは怖い。
だけど今は理解しがたい言葉を発するリリアンの存在がベアトリスは怖かった。
彼女はただの狂人か、それとも本当のことを語った上で自身の想い描く理想を目指してこんなことをしているのか。どちらにせよ、ベアトリスに危害を加える気満々には違いない。
ベアトリスの心は時間と共に恐怖で埋め尽くされていく。だけど、リリアンの提案を受け入れて秘薬を飲めば、副作用に侵されなかったとしても二年生に進学したばかりの頃の記憶まで戻ってしまう。
そうなれば、ベアトリスが今アルバートに対して抱えている想いも、それに行き着くまでの思い出も全てベアトリスの中から消えてしまうことになる。
婚約解消騒動はあったが、その後のアルバートはベアトリスに大切に接してくれた。過保護なまでのその行動やフランクとベアトリスが話していた時の不満そうな顔、それからふと微笑んだ時の顔がベアトリスの頭を過る。
記憶の秘薬を飲めば、それらが全て無かったことになってしまう。
────そんなの、嫌ですわ!!
「リリアン様……」
彼女の名前を呟いて、ベアトリスは顔を上げる。
「漸く決心がつきましたか?」
そう尋ねたリリアンに恐怖を振り払って、ベアトリスは侯爵令嬢として相応しい顔を作った。
「わたくしは身を引くことも、記憶の秘薬を飲むことも致しません」
「え……?」
ポカンと口を開けたリリアンにベアトリスは続ける。
「わたくし、これからアルバート様に昨日のことを謝罪しなければなりませんの。貴女に付き合っている暇はありませんので」
ベアトリスはグッと足に力を入れると、まだ震える足で何とか立ち上がった。
「そこ、通していただけます?」
嗅がされた薬のせいで逃げきるような力も余裕もない。だけど、ベアトリスは淑女の笑みを浮かべてリリアンに立ち向かった。




