18 アルバートの苦悩
はぁ~~~と、隣の席から重苦しい溜め息が聞こえてきて、フランク自身も小さく溜め息を吐いた。
「それ、いい加減にどうにかならないかい? こっちまで辛気くさい気分になるんだよね」
フランクがやんわり苦情を入れると、机に突っ伏したアルバートがボソリと呟く。
「ベアトリスに、……嫌われた……」
「まだそうと決まったわけではないだろう?」
「かなり怒っていた」
「謝れば許してくれるさ」
励ますようにポンッと肩を叩いたフランク。
だが本当にそうだろうか……? と、アルバートの胸には確信にも似た疑問が浮かんだ。
元はと言えば、自分が婚約を解消したいと打診したのが始まりだ。その後訂正したとはいえ、ずっとベアトリスがリリアンを貶めていると思っていたし、リリアンを守りたくて彼女を正妃にしたいとまでベアトリスに宣言したのだ。
アルバートは何も後ろめたいことをしていなかった婚約者に対して酷い言葉をかけた。にも拘わらず、辛うじて婚約を継続できたことは奇跡に近い。いや、自分が王家の人間でなかったら不可能だっただろう。これは自身の王太子という立場のお陰で継続できた婚約なのだ。
それなのに、あんなことを言えばまだ気持ちがリリアンにあると思われても仕方がない。
だが、例えどんなことがあっても私がリリアンを正妃にしたいと再び思うことだけは確実にない!!
王国や自身の未来は勿論、ベアトリスの未来の為にもそれだけは避けなければならなかった。だからこそ、リリアンを正妃にすることはないとアルバートは断言できるのだが、それをベアトリスに信じてもらう術がない。
再び大きな溜め息がアルバートの唇から漏れる。
まだ授業は始まっていない。だが、普段なら背筋を伸ばして座っているアルバートの落ち込みように、周囲の生徒たちはただ事ではないと感じたらしい。それぞれの席から心配そうにアルバートを気にしてちらちらと視線を寄越してくる。
「何度も謝った。でもダメなんだ……」
「じゃあ贈り物をするのはどうだい?」
「贈り物……」
「そうさ。ベアトリスが喜びそうなものを添えて謝ればアルの気持ちもきっと伝わるさ」
「……」
「……」
「……」
「えっ? ……どうした?」
中々返事が返ってこない親友を案じて、フランクはアルバートの顔を覗き見ながら再び問いかける。
「──らない」
「え?」
「……私は彼女が喜びそうなものが何なのか、分からない」
「…………は?」
思わぬ返事にフランクは数秒反応に遅れた。
仮にも幼い頃から婚約者として過ごしてきた相手の喜びそうなものが一つも思い浮かばないなど、誰が想像しただろう。目を丸くして、数回瞬きをしてからハッとする。
「おまっ!? アルバート! 少しぐらい何かあるだろう!?」
フランクが驚きのままアルバートの肩を揺さぶると、少し間が空いてから答えが返ってくる。
「……昔は、茶会の時に甘いものを喜んで食べていた。王城に生えていた花を摘んでベアトリスに渡したら喜んでくれたよ。……だが、最近はそんなことはしなくなったし、いつからか茶会でもベアトリスはあまり笑わなくなった。たとえ笑ってくれたとしても社交辞令で上品に微笑むだけだから、何が好きなのか分からないんだ」
いつになく弱々しい友の声にフランクは額に手を当てた。
……駄目だ。コイツはかなり重傷だ。
一時期とはいえ、アルバートがリリアンに心を奪われていたのだから自業自得である。
あの頃のアルバートはフランクが“ベアトリスを大切にしろ”だとか、“リリアンともう少し距離をとれ”と言っても一向に聞き入れなかったのだ。
それがある日突然、目が覚めたのか人が変わったようにリリアンを避け、ベアトリスを大切にするようになった。
本来の形に戻ってフランクは安心していたのだが、そういう意味でもリリアンに心を奪われていた頃のアルバートは少し変だった気がしていた。
「じゃあ、とりあえず花だね。急にお茶に誘ってもベアトリスが怒っているのなら誘いは断られるだろうし、断られなかったとしても最悪の雰囲気になるだろうから」
「…………フランクは知っているのか? ……ベアトリスの好きなものを」
フランクもまた幼馴染みとして、幼い頃からベアトリスと過ごす時間があった。“ベアトリスの好きなもの”と聞いてパッと思い浮かぶのは、彼女がアルバートのことで笑顔を見せる瞬間だ。アルバートと過ごす時間やアルバートのことを話すベアトリスはとても幸せそうな顔をしている。
「まぁ、アルバートよりは知っている、かもしれないね」
その言葉に勢いよく顔を上げたアルバートが「なっ!」と声を上げる。
だが、正直なところ今のベアトリスがまだアルバートを好きでいるのか、フランクにも分かりかねていた。
少なくとも最近のベアトリスはアルバートに慕われていないと思っている。だから気持ちを抑え込もうとしているのは見て取れていたし、アルバートはアルバートでベアトリスに自分の想いに気づいてもらおうと必死だ。昔はよく見せていた幸せそうな顔も学園に入ってからは殆ど見なくなった。
だからフランクは食堂で二人に話をさせる時間を作ったのだ。
「知らないなら知っていけば良いだけさ。今まで向き合ってこなかった分、これからのアルバートの頑張り次第だと思うよ」
励ますように、フランクはアルバートの肩にポンッと手を乗せた。




