17 ベアトリスとアルバートの言い合い
リリアンが自宅謹慎となって三ヶ月が過ぎた頃。彼女が謹慎を解かれて久しぶりに学園へ登校してきた。
本来であれば一、二ヶ月程度で済む謹慎だったが、リリアンが無断でフローレンス孤児院へ外出し、ベアトリスと合間見えたことにより謹慎期間が延長されたのだ。
馬車から降りてきたリリアンを目にした生徒たちは、関わるまいと遠巻きに彼女を眺めて遠ざけていた。だが一週間が経つ頃にはポツポツとリリアンと一緒に過ごす男子生徒が出てくるようになった。
「リリアン嬢は素晴らしい! 自身が嘘を吐いていると疑いをかけられたにも拘わらず、謹慎中もずっと王太子殿下を案じていたそうだ!」
「なんでも嘘を吐いているのはベアトリス様の方で、王太子殿下は騙されているらしい」
「ご自分より殿下の心配をされるとは、何て心優しいお方だ!!」
男爵令息や伯爵令息を中心にそんな会話がなされているのを耳にしながら、ベアトリスは澄ました顔で校舎へ向かう。
彼らの中にはリリアンが謹慎中にベアトリスに声をかけていた者も含まれていた。“困ったことがあれば遠慮無く頼って欲しい”と言っておきながら、今や別の意味でベアトリスを困らせる存在になっている。
それにしても、人の心は変わるものとはいえ、こんな短期間で考えが変わるものかしら?
そんな疑問にベアトリスは思考を巡らせる。
以前は令嬢たちを連れていたのに、今回は令息たちを連れているリリアン。令嬢たちは様子見なのか、それとも関わりたくないのか。ひそひそと話しながら品定めするような視線をリリアンに向けていた。
よく見るとリリアンを囲む令息の中には婚約者がいる人も含まれている。
ベアトリスがそうだったように、自分の婚約者が他の令嬢と仲良くしている姿など目撃して気分が良いものではない。当事者だったベアトリスには彼女たちの気持ちがよく分かる。だがベアトリスが口を挟んでしまえば余計にややこしくなってしまうだろう。
只でさえリリアンが自宅謹慎となるに至った当事者なのだから、ここで問題を起こすのは良くない。
ベアトリスが悶々と考え込んでいると、直ぐ傍から声をかけられた。
「やぁ、ベアトリス。難しい顔をしてどうしたんだい?」
「あ、フランク様」
ベアトリスが顔を上げれば、幼なじみが隣に並んでいる。
「あちらにリリアン様がいらっしゃるのですが、婚約者がいらっしゃるご令息との距離に少々問題があるように思いまして」
「……あぁ。そういうことかい」
ベアトリスがそれだけ言うと、彼らを見て全てを理解したフランクは苦笑いを浮かべる。
「彼女は学園に復帰したばかりだというのに、次の問題を起こしかねない展開だね」
「えぇ」
「……ちょうど君の騎士が現れたことだし、行ってくるよ」
「え? フランク様??」
意味深い言葉を告げたフランクを見上げると、彼は任せてくれ! と言わんばかりにウィンクしてリリアンと令息たちの元へ向かう。
そして直後に「ベアトリス」と聞き慣れた声がして後ろから体をグイッと引き寄せられた。
「きゃ!? ア、アルバート様!?」
フランクが言った“騎士”とはアルバートのことだったようだ。確かにベアトリスに対して過保護になったアルバートは何かとベアトリスの身を案じて危険から遠ざけようとしてくれるので、婚約者と言うより騎士に近いかもしれない。
「先週も言ったが、君の方が早く学園に着いた時は、私が到着するのを待つように伝えただろう」
「お言葉ですが殿下、わたくしも一人で教室まで行けると先週お伝えしましたわ。……っ、ところで、そろそろ離していただけますか?」
人の往来がある学園の敷地で抱き寄せられたベアトリスは僅かに頰を赤くして抗議した。だけど、アルバートは構わずに言葉を続ける。
「ベアトリス、リリアン嬢が復学してからまだ日が浅い。まだ彼女に対して警戒を解いてはいけないよ」
「リリアン様が何かしてくるとでも仰るのですか?」
「可能性の話だけれどね」
落ち着いた声でアルバートが忠告する。それでもベアトリスには腑に落ちない点があった。
「ですが、彼女は故意にわたくしとアルバート王太子殿下に接近することを禁止されています。これは殿下が国王陛下に提案して承認されたことで間違いありませんわよね?」
ベアトリスが初めてそれを耳にしたとき、最初は驚いた。だがリリアンはこの国の王太子を欺き、王太子の婚約者を貶めようとしたのだ。だから不敬罪に問われてもおかしくないとベアトリスはその決定を受け入れていた。
「そうだ」
「流石にリリアン様も王命を無視されるとは思いませんわ」
何しろ彼女が問題を起こせば、カモイズ伯爵家が窮地に立たされるからだ。一族に迷惑が掛かると分かっていて何かしてくるとは考えにくかった。
「だが彼女はこの期に及んで嘘を吐いているのはベアトリスだと吹聴している。それに、何故か分からないがこの短期間でリリアン嬢の話を信じる者が増えているのだ」
「……それについては、わたくしも不思議に思っています」
王家の騎士が聞き取りを行い、学園としても彼女と仲良くしていた令嬢など、関係者に聞き取りを行った。その結果、総合的に判断してリリアンは自宅謹慎となったのだ。
王家が関わった調査結果に異を唱えると言うことは、王家に喧嘩を売るようなものだ。この国の貴族の子であればそれが分からない訳はない。にも拘らず、彼らはリリアンを信じている。
「……だが、私も彼らの心境に全く心当たりがない訳ではない。どうしてかリリアン嬢と話すと彼女の言葉を信じて不思議と全て受け入れてしまう。そして、彼女を守らなければと思ってしまうんだ」
「…………え?」
思わぬ告白にベアトリスは一瞬頭が真っ白になった。そして、『守りたい人が出来た』と婚約解消を申し出てきた時のアルバートが脳裏を過る。
きゅぅぅぅっと胸が握られるような痛みがベアトリスを襲う。
「っ、…………アルバート王太子殿下は、……そうやってリリアン様をお慕いされましたの?」
「え?」
顔を俯かせたベアトリスはそのまま話を続ける。
「……以前殿下が仰っていたお言葉を信じるのであれば、リリアン様にもう未練はないとばかり思っておりました。ですが、わたくしの聞き間違い……いいえ。……勘違い、でしたのね」
カチンと頭に来たベアトリスはトンッとアルバートを押し返す。そして距離を取ると、沸き上がってくる胸の痛みと怒りを笑顔の裏に押し込めて、ふふふっと微笑む。
どうして自分がこんなに怒っているのか? まだアルバートに未練があるのか? なんて、ベアトリスは考えたくもなかった。ただ今は、この感情を抑えることが出来なかった。
「ち、違う!! 全て以前までの話だ! 今は本当にリリアン嬢のことは何とも思っていない!!」
「たった今、“守らなければと思ってしまう”と、仰ったではありませんか! つまり、殿下がリリアン様とお話をすれば、再び殿下のお心が揺らぐということでしょう!?」
ベアトリスはそう言うと、アルバートから顔を背けて早歩きで歩き出す。
「ベアトリス!!」
アルバートがベアトリスを追いかける。ずんずんと先を早足で行くベアトリスに追い付くと、歩きながら説得を試みる。
「本当に! 今は彼女のことは何とも思っていないんだ!! だから怒らないでくれ!!」
「怒っていませんわ」
「怒っているじゃないか」
「いいえ。怒っていません。その証拠に今のわたくし、とっても笑顔でしょう?」
ベアトリスは張り付けた淑女の笑みをアルバートへ向ける。だが、アルバートはその笑顔が嬉しい感情ではなく、怒りの感情からきていることをよく理解していた。
ベアトリスとは幼い頃から婚約者として過ごしているのだ。小さなことではあるが、彼女をよく見ていればそれくらいの見分けはついた。
「君の目が笑っていないことくらい見れば分かる!」
「そう思われるのでしたら放っておいて下さいませ」
「やはり怒っているんじゃないか!」
アルバートに指摘されてもベアトリスは歩みを止めない。
王太子妃として感情で動くことなく、心を落ち着かせて客観的に行動するようにとベアトリスは妃教育で教えられてきた。だけど、アルバートが守りたいと思ったのは婚約者の自分ではなく、リリアンなのだと聞かされて心の中にモヤモヤとしたものが広がった。
それが嫉妬心から来るものだと、頭では分かっている。だけど、今より惨めな気持ちになる気がしてベアトリスはその感情を認められなかった。




