14 ベアトリスが孤児院の支援を続ける理由
ベアトリスが初めてフローレンス孤児院を訪れた時、まだ孤児院に入ったばかりの女の子がいた。
身体は痩せていて元気がなく、虚ろな瞳をした子だったため、ベアトリスは気になって彼女がどういった経緯で孤児院に入ったのか施設長に尋ねた。
『あの子は父親から虐待を受けていて、それを庇った母親を亡くしているんです。他に親戚もおらず、父親から離れて暮らすため施設で預かることになりました。ですが、ここへ来てからも母親が亡くなったのは自分のせいだと、ずっと自分を責めているんです』
その時に孤児院にいる子どもたちは複雑で様々な事情を抱えていることをベアトリスは初めて知った。それまでは両親と死別した子たちが集まっている場所だと勘違いしていた。
親に売られた子、院の前に置き去りにされていた子、何らかの事情で両親と一緒に暮らせない子など、上げればきりがない。
わたくしはたまたま侯爵家に生まれて、恵まれた環境で生きている。けれど、もしもそうではなかったら……?
ここにいるのは、そんな“もしも”と想像したベアトリスだったかもしれない子たちなのだ。
だからこそ妃教育とは関係なく恵まれた自分に出来ることをやりたいとベアトリスは思った。孤独や悲しみを感じて欲しくない。少しでもみんなと楽しい思い出を増やすお手伝いがしたい。そう思って、今も定期的に子どもたちと会って支援を続けている。
「ベアトリス様は図星で言葉もありませんの?」
クスッとリリアンが笑う。
彼女の物言いに動揺してしまったベアトリスだが、一つ息を吸って表情を引き締める。
「いいえ。そうですわ。わたくしも下心が全くなかった訳ではありません。ですが、純粋に子どもたちを笑顔にしたくて支援を続けています」
「子どもたちを笑顔に、ですか。ベアトリス様にしては随分とお人好しな答え方をなさいますのね」
まるでベアトリスの性格や思考を理解しているような言い方に、ベアトリスはムッとする。
「リリアン様はわたくしの何をご存じなのです? わたくしたちは学園の同級生ですが、殆ど会話したこともありませんし、深い仲ではありませんが?」
「どれ程取り繕われてもベアトリス様はわたくしに様々な嫌がらせをされた方ですもの。わたくしは貴女をよく知っていますわ。そして、貴女はいつか罰を受ける日が来ます」
根拠の見えない自信に溢れたリリアン。あまりに強い意思の籠った瞳で見つめられて、ベアトリスは背筋がゾクッとした。
「お言葉ですが、嫌がらせなどしていないと何度も申し上げた筈です。リリアン様こそ、そのように嘘の発言をして自宅謹慎を言い渡されたことをお忘れですか?」
「忘れていませんわ。わたくしはベアトリス様にそのお返しをしなくてはいけませんもの」
ベアトリスの前に王家から付けられている護衛騎士の一人が姿を表す。“お返し”と聞いて、ベアトリスに何か危害を加える可能性があると踏んだのだろう。
「やはり護衛騎士を連れていらっしゃいましたのね」
ベアトリスからは護衛騎士の背中しか見えない。だが、護衛騎士はリリアンの些細な動きも見逃すまいと、鋭い目付きで彼女を観察しているのだろう。
リリアンは頬に手を当てて、困り顔で「……そんなに怖いお顔をされても困りますわ。わたくしは何もしておりませんのに」と呟く。
「カモイズ伯爵令嬢、どうかお帰りください。でなければ、私は貴女を拘束しなくてはなりません」
低い声で騎士が警告する。
「護衛騎士様も大変ですわね。王太子の婚約者という理由で悪役令嬢を守らなくてはならないだなんて」
「悪役令嬢……?」
それはわたくしを指して仰っているのかしら?
まるで物語の悪女かのような呼び方をされて、流石にベアトリスも怒りの感情が募り始める。その時、「リリアン!!」とご婦人の声が聞こえてきた。
声の方に顔を向けると、ベアトリスの使用人がご婦人ともう一人、男性を連れて戻ってきた。
「リリアン!! お菓子を作っていたのではなかったの!? 貴女はまだ邸の外へ出てはいけないのよ!!」
「お母様」
使用人が連れてきたご婦人はリリアンの母、つまりカモイズ伯爵夫人のようだ。
「リュセラーデ侯爵家の使用人から知らせを受けて驚きましたよ! キッチンに貴女の姿はないし、馬車もない。侍女と従者を騙したわね」
「お母様、騙しただなんて、とんでもありません。みなはわたくしの頼みを聞いてくれただけですわ」
にこりと微笑んで答えるリリアンは全く悪気がないようだ。
「彼らがお父様の言いつけを破る筈がありません。リリアン、帰りますよ」
告げたカモイズ伯爵夫人が視線で合図すると、夫人が連れていた使用人男性が動く。
「リリアンお嬢様、こちらへどうぞ」
「……仕方ありませんわね」
ため息を吐くと、リリアンはベアトリスを振り返る。
「ではごきげんよう、ベアトリス様」
そう言い残すと、使用人男性に連れられてリリアンが遠くなっていく。
「リュセラーデ侯爵令嬢、それからフローレンス孤児院の皆様。挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。カモイズ伯爵の妻でございます。この度は娘が大変ご迷惑をおかけしました」
丁寧な挨拶の後、夫人が深く頭を下げた。
「夫人、顔を上げてください。夫人自ら駆け付けて下さったお陰で助かりました。ありがとうございます」
「我が娘のことですから当然です。それに、リュセラーデ侯爵令嬢には重ね重ねご迷惑をお掛けしております」
それはリリアンが自宅謹慎になった件を指しているのだとベアトリスは直ぐ分かった。
「……夫人、リリアン様は自宅謹慎になった理由を正しく受けとめていないようにお見受けしました」
失礼を承知でベアトリスは気になっていたことを口にする。すると、カモイズ伯爵夫人は苦笑いで頷いた。
「はい。お恥ずかしい限りでございます。ですが、あの子も昔は素直で優しい子だったのです。それがいつの間にか自分本意な子になってしまったのです」
「……そうなのですね」
ベアトリスはどう返して良いか分からず、気の聞いた返事ができなかった。そんなベアトリスの様子にカモイズ伯爵夫人がハッとする。
「わたくしったら嫌ですわ。こんなお話をしてしまってごめんなさい。では、わたくしも失礼します」
丁寧な挨拶をして、夫人が踵を返す。
カモイズ伯爵夫人。夜会で何度かお会いしたことがあるけれど、とても丁寧な方だわ。
去っていくカモイズ伯爵夫人の後ろ姿をベアトリスは見えなくなるまで眺めた。
その直ぐ後に王家から人が来た。彼らはベアトリスと施設長から話を聞き取った後、さらに聞き取りを行うため、カモイズ伯爵家へ向かった。




