10 ベアトリスへの想い
注文に向かったフランクから残されたベアトリスとアルバートは意図的に二人にされ、黙り込んでしまった。
アルバートはフランクに邪魔されず、ベアトリスと会話することを望んでいた筈だった。だが、いざその時が訪れると言葉が出てこない。
一体何を話せばいいんだ?
そう考えた瞬間。アルバートはふと気付く。
そもそも、どうして私はベアトリスと話したいんだ? 確か、彼女が食堂に入ってきた姿を見つけて、嬉しくなって声をかけた。それなのに、ベアトリスはフランクとばかり話して……
……え? 嬉しくなった?? 何故??
「アルバート王太子殿下」
自分の感情に戸惑うアルバートの耳に、ベアトリスが呼ぶ声が届く。アルバートは少し驚いたが、平静を装って「なんだ?」と返事をした。
「殿下は、わたくしと話したかったのですか?」
「どうしてそう思う?」
「先ほど、フランク様に“邪魔されている”と仰ったではありませんか」
しまった! そうだった!! とアルバートは自分が墓穴を掘っていたことに気付いて固まる。
「そ、そうだったな」
「何か大切なお話があるのですか?」
「いや、そういう訳ではないが……」
「?」
歯切れの悪いアルバートに、ベアトリスは不思議そうに首をかしげる。それに対して、アルバートは次第に自身がベアトリスと話したかった理由に気付き始める。
そうだ。昔はベアトリスとよく話していたじゃないか。あの頃はそれが楽しみだったんだ。
それなのに、二年生になってからの二人はお茶会で言葉を交わす頻度が減った。リリアンと交流を持つようになってから暫くして、彼女にベアトリスのことを相談されたからだ。
リリアンから聞かされた婚約者の仕打ちにアルバートは胸を痛め、それからは義務のようにベアトリスと会い、形式的に茶を飲んで菓子を嗜みながら彼女の話を聞いた。だが、適当に相槌を打って冷たくあしらっていたからだろう。次第にベアトリスが話してくれる話題も減っていった。
だけど、リリアンから聞かされていた話が誤解だと分かって、今まで彼女と向き合ってこなかった分、ベアトリスを知りたいという気持ちが沸き上がった。
だが、タイミングが悪かった。
婚約解消を申し出た代償はかなり大きい。あれ以来、ベアトリスはアルバートを“王太子殿下”もしくは“殿下”と敬称を付けてでしか名前を呼んでくれなくなった。それは彼女からの信頼を失った何よりの証拠だった。
だけど、間違った未来に進まないために。何よりも、楽しかったあの頃を取り戻したい。
そう強く願ってアルバートはやっと自分の気持ちに気付く。
……あぁ、そうか。
私はベアトリスが好きだったんだ。だから彼女との関係を愛おしく感じているのだ。そのことに今更気付くとは、なんと愚かなんだろう……
アルバートは考えを纏めるように、言葉を選びながら話していく。
「……思えば、私は二年生になってからベアトリスと殆ど会話をしてこなかった。リリアン嬢の話だけで君が過ちを犯したと、一方的に決めつけて傷付けた。だから今度は間違わないように、ちゃんと話したいんだ」
二年生になってから、リリアンのことばかりだったアルバートが、ベアトリスに歩み寄ろうとしてくれている。その事実にベアトリスは胸が温かくなる。
諦めて蓋をした筈のアルバートへの恋心がまた顔を出しかける。だけど、彼はリリアンが好きだったのだ。そして今、ベアトリスを傷付けないように配慮してくれている。それは婚約関係を良好に保つためであり、恋愛感情からではないと気付いてベアトリスはチクリと胸が痛んだ。
殿下がわたくしを“好きだ”と、“慕っている”と仰ったことは一度もないわ。
勘違いしては駄目。と、ベアトリスは自分自身に言い聞かせる。これは優しい彼の心遣いに過ぎないのだから、と。
「お心遣いありがとうございます。ですが、聞き取り調査を行った上でリリアン様ではなく、わたくしを信じてくださったのなら、それで十分ですわ」
ベアトリスは淑女の笑みを浮かべて心の内を隠す。その様子を見たアルバートは、自分の思いがベアトリスに正確に伝わっていないことに気付いてしまった。
「待ってくれ。私はベアトリスと昔のように、他愛もない話がしたいんだ」
「でしたら、もう話しているではありませんか。先ほど今日は三人揃ってBランチを食べることになったのですから」
「っ、それはフランクも交じって会話していた時だろう?」
何故か食い付いてくるアルバートにベアトリスは首をかしげる。
「いけませんか?」
「あぁ! そうだ!! っ、……いや、駄目ではないが……!! そうではなくてだな!?」
何やら苦悩した表情で歯切れが悪くなったアルバートに、ベアトリスは益々分からなくなる。
まさか、わたくしと二人だけで他愛もない話をしたかった、とか? ……いいえ、まさか! そんなわけありませんわ!!
パッと浮かんだ疑惑を頭を振って祓う。
殿下がわたくしに良くしてくださるのは彼が優しい性格であることに加え、婚約解消を突きつけた手前、負い目があるからに違いありませんもの。
そうは思ったものの、慌てふためくアルバートの様子にベアトリスは思わず笑みを溢す。
「ふふっ、おかしな殿下」
「っ!?」
アルバートは急に固まった。
取り乱していることに気付いて我に返ったのも理由の一つだが、久しぶりにベアトリスの楽しそうな笑顔を目にして胸が高鳴った。
ちょうどその時、ランチを頼みに行っていたフランクが戻ってきた。
「アルバート、ベアトリスお待たせ」
「お帰りなさいませ。フランク様」
ベアトリスが振り向きながら答えると、フランクも柔らかく微笑んだ。
「ずいぶん楽しそうだね。ちゃんと話は出来たかい?」
「話すも何も、短い時間では雑談しか出来るわけがないだろう!」
意味ありげな笑みを浮かべるフランクにアルバートはフンッと鼻を鳴らして答えた。
「ですが、アルバート王太子殿下の意外な一面を見ましたわ。殿下も慌てることがあるのですね」
アルバートが何を言いたかったのかは分からない。だが、必死に何かを伝えようとしている姿はベアトリスに伝わった。
ベアトリスと話したい。
彼女を手放してはいけない。
寧ろ手放したくはない。
彼女の笑顔をもっと見ていたい。
アルバートは危機感のような義務感に追われて、ベアトリスとの婚約解消を取り消した。そんな彼はようやく自分の気持ちに気付き始めた。




