1 婚約解消取り消しの申し出
「ベアトリス。昨日までの私はどうかしていた。だから、婚約解消の話をなかったことにして欲しい。この通りだ!!」
「……」
目の前で婚約者のアルバートが勢いよく頭を下げて机に額をくっ付けている。ベアトリスはそんな彼を冷めた目で見つめた。
一週間前、婚約者と交流を持つため月に一度行っている二人だけのお茶会で、彼は突然ベアトリスに婚約解消を言い渡してきたのだ。
『守りたい人が出来た。私はその人を正妃にしたい』
その一言から始まった婚約者の話にベアトリスは言葉を失った。
幼い頃から恋い焦がれた王太子アルバート。その婚約者として彼の傍にいることが叶ったのに、ここへ来て別の“想い人が出来た”と宣言されたのだ。
相手が誰かはベアトリスも分かっている。伯爵令嬢のリリアンだ。
王立学園入学当初からリリアンが彼に目を付けていたことをベアトリスは知っていた。それでも最初はリリアンが大人しくしていたため、気にも留めなかった。だが、学年が二年生に上がるとアルバートに急接近し、いつの間にか彼女がアルバートの隣にいることが日常になっていた。
『婚約解消に応じてくれるなら、君がこれまでリリアン嬢へしてきた行いに目を瞑ると約束しよう。彼女もそれで納得してくれている』
わたくしがリリアン様にしてきた行いですって?
身に覚えのない言われにベアトリスは漸く口を開く。
『アルバート様、全く身に覚えがございません。わたくしが“これまでリリアン様にしてきた行い”とは、どういったものでしょうか。お聞かせください』
尋ねたベアトリスにアルバートは信じられないと言うように目を見開いた。
『この期に及んで惚けるつもりか!? ベアトリス! 君がそんな人だったとは! 見損なったぞ!!』
想い人からの言葉に傷付くベアトリス。だけど侯爵令嬢として毅然と振る舞い、それを顔に出すことなく言葉を紡いでいく。
『惚けるもなにも、わたくしはリリアン様とは殆ど会話をしたことがございません』
『それはそうだろう! 影で彼女の物を盗んだり、後ろから突き飛ばしたり。リリアンはいつ狙われるか分からない恐怖にいつも晒されていたんだ! だが、勇気を出して私に相談してくれた。だから彼女を危険から遠ざけるために私の傍に置いたんだ!!』
なるほど。それがリリアン様がアルバート様に腕を絡めて歩いていた理由でしたのね。と、ベアトリスは学園での彼らの行動に納得する。
『アルバート様、わたくしがリリアン様の物を盗んだという証拠はあるのですか? わたくしが彼女を突き飛ばしたという証拠は? 勿論、調査してくださいましたのよね?』
『そんなもの必要ない。被害を受けたリリアン嬢が申告しているのだから、間違いないに決まっている』
ふんっ、と鼻をならして答えたアルバートはベアトリスに軽蔑の眼差しを向けていた。
『……』
想いを寄せる相手から嫌われている。その事実がベアトリスの胸をキツく締め付けた。
『殿下は……婚約者のわたくしではなく、リリアン様のお言葉を信じるのですか』
『あぁ、私はリリアンを信じている』
そう答えたアルバートの瞳は真っ直ぐで、全く揺らぎが見られなかった。
『っ……』
昔のようにわたくしを庇って下さる殿下は、もうどこにもいない。わたくしのことはもう信じて下さらないのね。
一度信じたら最後まで信じ抜く。それがアルバートの良いところであり、悪いところでもあった。
『貴方のそんなところが好きだったのに……』
ぽつりと溢した言葉はアルバートには届かなかったようで、『なにか言ったか?』と聞き返される。
言い返したい気持ちをぐっと飲み込んで、ベアトリスは淑女の微笑みを浮かべた。
『いいえ。何でもありません。ですが、この婚約は王家と侯爵家が決めたもの。わたくしたちの意思だけではどうにもなりません。殿下、然るべき手順を踏みましょう』
それからベアトリスは早々に退席すると、侯爵邸へ戻って両親にアルバートから提示された婚約解消の話をした。
ベアトリスの父、リュセラーデ侯爵はベアトリスがリリアンへ嫌がらせをしていた犯人として扱われたことと、婚約者であるアルバートがろくに調査もせずにベアトリスを疑ったことに大層お怒りだった。
『婚約解消なんて認めんぞ! 婚約関係を白紙に戻すにしても、王太子殿下に責任があるのだから婚約破棄にするべきだろう!!』
そう憤慨していたリュセラーデ侯爵。だが、ベアトリスの母である侯爵夫人が『婚約破棄という形を取れば、いくら王太子殿下に非があったとしてもベアトリスの嫁ぎ先がなくなってしまうわ』と宥めてくれたお陰で一旦落ち着いた。
ひとまずはベアトリスがリリアンに行ったとされる問題が誤解であることも含めて、王家と話し合いの場を持つことになった。そして、その話し合いの場が今日設けられる訳だが、その前に「大事な話がある」と、アルバートからベアトリスだけ先に王城へ呼ばれ、今に至るというわけだ。
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